どうしてここに、と千早が声を出す前に、会いたくなかった人物が伊織の後ろから現れた。その姿を目にした瞬間、いろはが千早の前に出る。


「……伊吹さん」


 両親を喰らったからか、まだ日が沈んでいない夕方でも皮膚が焼けている様子はない。

人を、両親を喰らうことでこうも違うのか。そう思いながら伊吹を見ていると、何かを察したのか彼はにやりと口角を上げた。


「へえ、


 絶句した。よくそんなことが言えたものだと。 

 そうだ、いろはと共に綺麗にした。伊吹が喰ったとされる人間達の血肉の残骸も。その人間達の負の念から生み出された鬼も。瘴気も、すべて。

 本当は、怒りをぶつけたい。何をしているのかと。だが、ここには何も知らない伊織がいる。このような形で知るのは良くないだろう。ぐっと奥歯を噛み締めていると、伊吹が首を傾げている伊織の肩を叩いた。


「伊織、今日は千早のところで世話になれ」

「え? どういうこと?」

「また、


 伊織が止めるのも聞かずに、伊吹はそのまま姿を消してしまった。

 何も起きずに済んだ。そのことに肩を下ろしつつも、浴びせられた殺気でかいた汗がたらりと首筋を伝う。その汗を拭いつつ、深い溜息を吐く伊織におずおずと話しかけた。


「あの、伊織ちゃん。どうして、ここに?」

「今日、またお兄ちゃんから連絡があったんだよね。櫛名くしな駅まで迎えに行くから、帰ってこいって」


 千早といろはは目を合わせる。やはり、伊吹は伊織を喰おうとしていると、二人とも同じことを思ったようだ。

 とりあえず、ずっとここにいるわけにもいかない。千早は「泊まっていってね」と伊織を連れて家へと向かった。その際、どうしても一七夜月かのう家を通ることになる。立入禁止のテープが張り巡らされている一七夜月家を。

 これはどうやっても避けて通ることができない。仕方がない、と思いながら歩いていると、やはり伊織は「何これ」と声をあげた。

 再度、千早といろはは目を合わせる。どう説明したものかと。

 これは隠すことはできないと、この家で起こったことだけを話すことにした。


「伊織ちゃん、一七夜月家の人達、その……鬼に、喰われたみたいなの」

「え!? お、鬼って……そんな冗談言うの、千早ちゃんらしくないよ。あ、お父さんと、お母さんは!?」

「ご両親は……」


 喰われたと言うべきか。千早が口籠もっていると、いろはが代わりに口を開いた。


「親は行方不明だと聞いている。我々も所在がわからない」


 嘘、と伊織は顔を俯けてしまったが、喰われたと言うよりはまだ心理的負担はまだいいほうだろう。隠しごとをしているようでモヤモヤとした感情に襲われるが、今は仕方がない。いろはには声を出さずに「ありがとうございます」と口を動かすと、慣れていないウインクを一生懸命しようと両目を瞑っていた。また少女漫画から何かを学んだようだ。

 それには敢えて反応せず、千早はいまだ俯く伊織を抱きしめる。自分の親が行方不明だと言われ、平気な者はいない。問題はいつ真実を告げるかだが、この状態ではやはり酷だ。しばらくは行方不明で通し、時期を見て話すしかない。

 家に入ると、出迎えてくれた祖父母が驚いた表情を見せた。事情を説明すると、優しく伊織を抱きしめる。伊織も千早の祖父母には懐いており、ぽろぽろと涙を溢した。


「伊織、ここはお前の家だ。ゆっくり休め」

「そうよ、今は夕飯までゆっくりしなさいな」

「ありがとう、千早ちゃんのおじいちゃん、おばあちゃん」


 千早、とこっそりと名を呼ばれ、いろはに顔を近づける。


「伊織は翁と嫗に任せよう。我々は何を話すべきか考えた方がいい」

「そう……ですね……」


 千早の祖父母に涙を流しながらも笑顔を向ける伊織に、ズキンと胸が痛んだ。



 * * *



 今日の夕食は肉じゃがだった。いただきます、と両手を合わせ、まずは味噌汁を口にする。あたたかい味噌汁が身体に沁み、どこかほっとする。その横でいろはが肉じゃがを食べ、感嘆の声をあげていた。


「この芋はとてもあたたかくて柔らかいだけではなく、しっかりと味が染みていてうまい! 肉も朱色の野菜も味が染みこんでいて、手間暇をかけていることが伝わる一品だな」


 まるで食レポをしているかのようないろはの感想に、食卓を囲んでいた誰もが声を出して笑った。伊織も笑っており、落ち着いているようにみえる。よかった、と胸を撫で下ろした千早はじゃがいもを口に入れた。いろはの言うとおり、じゃがいもはほくほくとしており、数回噛めば消えてなくなってしまう。

 やはり祖母の肉じゃがはおいしいと堪能していると、伊織が箸を置いて千早といろはを見た。


「あのさ、千早ちゃん。いろはさんって、何者? 彼氏?」

「ちっ、違うよ! ええっと、いろはさんは」

「私は天羽々斬で、千早の剣だ」


 言い終えると、いろはは厚切り豆腐を口に入れ、またしても感嘆の声をあげた。

 どういう意味だと言いたげな顔をしている伊織に、千早は「あのね」と説明を始める。あのあと、機会を窺いつつ伊吹のことは伏せながら話をする、といろはと決めていた。伊織がこうして話を振ってくれたのだから、今が話すタイミングとしてちょうどいいだろう。


「実は、八岐大蛇が蘇ったんだ」

「え!? 封印が解けちゃったの!?」


 ゆるゆると首を横に振り、祠の封印が故意に壊されたことを話すと伊織の顔は青ざめていた。


「迷惑系ってやつだよね。あたしの学校でも見てる人多いよ。何が面白いのかはわからないけど」

「話すのが遅くなってごめんね。一七夜月家の人達が鬼に喰われたっていう話とかも、全部八岐大蛇が蘇ったのが関係していて……」


 本当は、と千早は話を続けた。


「伊織ちゃんには、今は帰ってきちゃ駄目だよって、送るつもりだったの」


 メールが来たことがわかっていたのだから、次の日に確認していれば。今日も、伊吹よりも先にメールを返信できていれば。慣れていないということもあるが、自分の連絡無精なところが悔やまれる。

 伊吹に先を越されてしまった。魔の手はもう伸びていて、伊織は巻き込まれてしまっている。何とか逃さなければ。

 一七夜月家で残っているのは、伊吹と伊織だけなのだ。


「……お兄ちゃんに、何かあった?」

「え?」

「あたしでも……ううん、妹のあたしだからわかるよ。気味悪いくらい優しいんだもん」


 金色の瞳を持つ伊吹と、何も持たない伊織。一七夜月家で、差をつけられて育てられていたのは、千早も何となく気が付いていた。

 伊吹も伊織には厳しく、兄妹仲良く遊んでいるところなど見たことがない。一緒にいることがあれば、それは伊吹から罵詈雑言を浴びせられ、当たられているときだ。

 そんな伊吹が「櫛名駅まで迎えに行く」と言ってきたのだから、さすがの伊織も気が付いたのだろう。何かがおかしいと。


「千早ちゃん、あたしのこと気にしてくれてるんだよね。ありがとね」

「ごめんね、伊織ちゃん。……今はまだ、言えない。けど、いつか絶対に言うから」


 そういえば、と伊織は何かを考え込む。少しして、腕を組むと首を傾げた。


「小さい頃なんだけど、お兄ちゃん、あたしにこう言ったんだよね。って」

「……何も、持ってなくて?」

「たぶんだけど、これじゃない?」


 そう言って、伊織は自身の目を指した。

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