翌日。早朝五時。

 千早はいろはと共に一七夜月かのう家の玄関の前にいた。


「どうして、一七夜月家に?」

「言っただろう、幸か不幸か練習台が近くにあると。他にも、千早にはまだ説明していないこともある」


 それは、一七夜月家から人の気配が一切しないことに関係しているのだろうか。

 寝静まっているのだとしても、静かすぎる。何より、ここに来てから寒気が止まらない。外は早朝と言えど暑く、日陰でも汗がじんわりと滲むほど。それなのに、こうして引き戸の前に立っているだけで足元から冷えていく。ぞくぞくとしたものが背筋を走り、ここだけ季節が違うようだ。中で何かが起きていると、千早でも安易に想像できる。

 鍵は開いている、といろはに促され、千早はガラスの引き戸に手を当てた。異様に冷たく、開けることに躊躇してしまう。落ち着こうと一呼吸置き、意を決してガラリと戸を開けた。


「……これ、は」


 言葉を失ってしまった。

 戸を開けた音で誰も来ないあたり、本当に誰もいないようだ。しかし、中は直前まで人がいたような状態。靴が綺麗に並べられ、花瓶には花が飾られている。掃除をしている最中に何か起きたのか、雑巾やはたきが無造作に落ちていた。まるで神隠しのようだ。

 更に気になるのは、一七夜月家全体に充満している瘴気。空気が重く、気味が悪い。ねっとりと肌に絡みつき、八岐大蛇を彷彿させる。


「千早、私を手に持っておけ」

「え!? な、何か現れてからでは駄目ですか!?」


 一人でこんな不気味な家の中を歩くのは嫌だ。千早はいろはに懇願するも、無情にも首は横に振られる。


「何か現れてからでは遅い。さあ、早く」


 全く以てそのとおり。

 肩を落としながら、千早はいろはの胸元に手を当てる。


「……天羽々斬」


 刀剣となったいろはを握り締め深く息を吐き出すと、千早は靴を脱ごうと踵辺りに人差し指をかけた。が、すぐに土足で入るよういろはから指示が入る。何かあったときに逃げやすくするためか。そう思い靴から手を離すが、想像とはかけ離れた言葉が続いた。

 ──と。

 全身に緊張が走った。今、この家には誰もいない。だが、帰ってくる者もいないと、そう言いたいのか。


「一番瘴気が濃い場所がある。そこへ向かうぞ」


 千早は頷くと、失礼します、と廊下に足を踏み入れる。土足文化ではないため、変な感じだ。

 瘴気が濃い場所は、千早でもわかる。そこに近付くにつれ、足が重くなり、息がしにくくなるからだ。

 廊下を歩き、角を右に曲がる。本当に数回だが、一七夜月家には来たことがあった。この先にある部屋にも、覚えがある。


「……伊吹さんの部屋」

「伊吹本人が鬼となったからな。その部屋が根源となっているのだろう」


 木目調の引き戸の前に立つと、部屋から瘴気が漏れ出ていることがはっきりとわかった。この部屋で何が起きたのか。一度深呼吸をしてから、引き戸に手をかける。

 すう、と滑らかに戸は開き、薄暗い部屋の中が見えた。それと共に、クチャリ、ボキ、と音がする。

 この咀嚼音だけで、ある程度想像ができてしまう。戸が開いたことに気が付いていないのか、止む気配はない。胃から迫り上がるものを堪えるため、千早はぐっと目を瞑った。息を整え、ゆっくりと部屋の中へ入る。


 窓はすべてカーテンで閉めきられ、隙間すら許さないとガムテープが貼られていた。太陽の光を恐れていたのだろうか。

 気を付けてはいたものの、カツ、と足音が鳴る。すると、咀嚼音がピタリと止まった。小さな唸り声と共に、それは千早を視界に入れる。

 肌黒い大きな図体に、二本の赤黒い角。口は大きく裂け、鋭い二本の牙が見えている。口周りには、今まで口にしていたであろう人間の血液が付着していた。これもまた、鬼なのだろうか。


≪来るぞ!≫


 いろはの声が聞こえた瞬間、目の前にいた鬼らしきそれは千早に襲いかかってきた。見た目からは考えられない速度でこちらに近付くと、右手を振り下ろす。それを何とか天羽々斬で受け止めるが、圧倒的な力には敵わず千早の身体は後ろに吹っ飛んだ。

 伊吹のものであろうライティングデスクに背中を打ち付け、痛みに悶えるもそこを狙って追撃がくる。奥歯を噛み締めながら横に身体を転がし追撃を避けると、ただちに体勢を整えた。攻撃の隙を与えないようにと、千早も天羽々斬で斬りかかる。背中を斬るつもりで仕掛けたが、ガキン、という音ともに弾かれてしまった。急いで距離を取り天羽々斬を構えるものの、今し方の衝撃で両手がじんと痺れている。


「鬼ってあんなに硬いんですか!?」

≪力を込めていないだろう。今のは刀身で斬ろうとしただけだ≫


 言われてみれば、いつもの斬撃とは違った。力を込めるように柄を握り直し、鬼と向き合う。

 ぼうっと刀身が光り出したのを確認すると、先に仕掛けようと千早は鬼に向かって走り出した。鬼が左手でなぎ払おうとしてきたため、身体を捻って避け、すぐさま天羽々斬を振り上げる。


「うあぁぁぁああああぁぁ!」


 勢いよく振り下ろし、斬撃を飛ばす。光を纏った斬撃は鬼の身体に当たると断末魔があがり、真っ二つになった。サラサラと砂のように身体が崩れ、欠片も遺さずに消えていく。それにつれて、瘴気も薄れていった。

 家を壊してはならない。鬼だけを斬る。そう思いながら力を込めたからか、そこまで身体は疲れていない。千早は小さく息を吐き出すと、鬼がいた場所を見る。人間だったものが食い散らかされ、原型を留めていない。これには耐えることができず、その場で膝をついて吐き出した。

 もう少し早くここへ来ていれば、助けられたのだろうか。肩で息をしながら、落ち着きを取り戻そうと目を瞑る。何故、このような悲惨なことが起きているのか。


「なんで、こんな……」

≪鬼は、人間の血肉を好んで喰らう。力を得るために。特に、血の繋がった親族の血肉はその由縁から凄まじい力をもたらす。……ここまで話せば、大方理解できるだろう≫


 伊吹の両親は、彼の血肉となったということだ。

 関係性は悪かったとは言え、身近な者が辿った悲しい結末に心がずきりと痛む。


≪鬼の弱点は太陽とされている。だが、伊吹が太陽の下に出たときもそこまで身体に被害はなかった。あの時点で、この家の人間を相当数喰っていたのだろう≫

「そん、な」


 これが、闇に落ちた人間の末路だと言うのか。そうであれば、あまりにも酷すぎる。伊吹が元々闇を抱えていたとしても、その素質があったのだとしても。


≪今し方戦った鬼は、伊吹が喰った者達の負の念から生み出されたものだ。妖怪や化け物と言うのは、そういう負の力で自然と生み出され、生前の恨みから人間達を襲う≫

「じゃあ、伊吹さんはどうして鬼に? 闇に落ちたからですか?」

≪伊吹童子という鬼を知っているか。諸説はあるが、八岐大蛇と関係しているそうだ。おそらく、八岐大蛇自身が伊吹を闇に落とし、その名に呼応したと考えられる≫


 八岐大蛇が蘇った際、赤く光る十六個の目で千早と伊吹を捉えていた。そのときにはもう、伊吹の闇に気が付いていたのか。

 立ち上がり、服の袖で口元を拭う。ここで落ち込んでいても、何も始まらない。


「いろはさん、他に……わたしにできることはありますか」

≪瘴気はかなり薄れたが、まだ残っている≫


 遺体と言っていいのかはわからないが、といろはは誰のものかすらわからない血肉を指した。

 近付きたくはないが、そうは言っていられない。意を決して近付いていき、すぐ傍でしゃがみ込んだ。血肉に目がいっていたが、どうやら一人ではないようで、数多くの骨が散らばっている。ここで伊吹が喰ったのだろう。そして、負の念が鬼を生み、それが残りを喰っていた。


≪祓えるのかはわからない。だが、やってみる価値はあると思わないか?≫

「そうですね。鬼も斬れましたし、瘴気も何とかなりそうな……」


 このままにはしておきたくない。千早は天羽々斬を構え、そっと力を込める。瘴気を斬る、と意識しながら。

 刀身が光り出すと、ゆっくり振り下ろす。血肉や骨には当たらないようにし、その寸前でピタリと止める。

 刹那、光が拡がった。あまりの眩しさに目を瞑ってしまい、何が起きているのかがわからない。光が収まった頃に目を開け、この家から瘴気を感じなくなったことでやっと理解ができた。瘴気を斬ることができたのだと。

 いろはが人の姿に戻り、止めてあったテープを剥がすとカーテンを開ける。差し込む太陽の光に、部屋が一気に明るくなった。


「このままにしておけないので、おじいちゃんに相談してみます」

「そうだな、それがいい。丁重に弔ってやらんとな」


 その後、千早は祖父に一七夜月家で起きたことを説明した。祖父の行動は早く、千早が朝食を終え学校に行く頃には警察が来ており、一七夜月家には立入禁止のテープが貼られていた。

 祖父曰く、櫛名村の特殊性から警察も特殊らしく、事件にはならないそうだ。それでいいのか、悪いのか。千早にはわからない。

 ただ、少しでも早く、犠牲になった者達が家族の元へ帰られるよう祈るばかりだった。

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