形見の指輪

「というわけで、私のことをいろはと呼んでほしい」


 きつね色をした揚げたてのアジフライ、色鮮やかなサラダ、味噌汁、白ご飯と並んだ食卓。祖父母が揃った夕食の席で、天羽々斬──いろはは意気揚々とこう宣言をした。

 何も事情を知らない祖父母は、ぽかんとした表情で千早を見る。説明も何もないままでは、このような顔をするのは当然だ。ふぅ、と小さく息を吐き出したあと、千早は経緯を話し始めた。

 始まりは、いろはから「名を付けてほしい」と言われたこと。理由としては、人の姿をしているときに天羽々斬と言う名は似つかわしくないからというもの。いろはという名は、要は人の姿になっているときの名のようなものだと説明をすると、祖父母は一定の理解を示してくれた。


「なるほど、そういうことですか。では、我々もいろはさんとお呼びさせていただきましょう」

「ああ、是非ともそう呼んでほしい。これからは人の姿でいるようにするのでな」


 言い終えると、いろはは目の前にあるアジフライを口に運んだ。ざく、と軽快な音をさせた後、目を見開き感嘆の声をあげる。


「こんなにも良い音がするのに、中はしっとりと柔らかく魚のうまみが広がる。これはうまいな!」

「あらあら、いろはさんに喜んでもらえて嬉しいですねぇ。作り甲斐があるわぁ」


 祖母は口元を右手で隠しながら、くすくすと笑った。

 不思議な光景だと思う。刀剣でありながら、こうして人と同じように食事をしているのだから。

 二日前までは、いろはは「刀剣には必要ない」と何も口にしていなかった。水分も摂っていない。だが、昨日千早とキスをしたあとから、様子がおかしくなった。

 腹から音が鳴り、何だか気力が沸かない。口の中が渇いている、と言うのだ。

 いろは自身がわからないのであれば、刀剣ですらない千早にはもっとわからない。が、話を聞いていると「実は空腹なのでは」「喉が渇いているのでは」と千早は考えた。そこで、その日の夕食にいろはも呼んでみたところ、やはりそのとおりで、いろはは空腹と乾きを感じていたことがわかった。キスで直接力を流して千早の回復力を底上げするやり方は、いろはも消費が激しいようだ。


 初めて食事をし、喉を潤したいろは。腹が満たされ、渇きも潤されたことに感動していた。また、祖母の料理を大層気に入り、特に何も消費することがなくともこうして食卓を共にするようになった。

 だからだろうか、三人で食事をしていた頃よりも、賑やかになったような気がする。千早は味噌汁を一口飲み、皿に取っていたサラダを口に運ぶ。葉がみずみずしく、新鮮なレタスだ。煎りごまのドレッシングが更にレタスをおいしくさせている。次はミニトマトを、と箸で掴むと、ふと視線を感じた。右側に視線をやると、いろはが渋い表情をして千早を見ている。


「千早はその赤くて丸いものが好きなのか」

「ミニトマトですか? 普通、かな」

「ミニトマトと言うのか。私のミニトマトもやろう。きっとその方がいい」


 千早の皿にいろはが食べるはずだったミニトマトが移される。別に食べるからいいのだが、何故このようなことをするのか。


 ──もしかして苦手なの? ミニトマトが?


 箸で掴んでいたミニトマトを口に入れ、歯を当てる。ぷちっと皮が弾け、中身が出てきた。少し酸っぱいが、千早は嫌いとまでは思わない。ごくん、と飲み込むと、移されたばかりのミニトマトを箸で掴んだ。


「いろはさん」

「どうし、んぐ!」

「好き嫌いは駄目ですよ」


 いろはがこちらを振り向いた瞬間、その口にミニトマトを放り込んだ。眉を八の字にし、両目をぎゅっと瞑りながら食べるいろはの姿に、千早だけではなく祖父母も思わず笑ってしまった。

 何とかミニトマトを飲み込んだいろはは、千早をじとりと睨み付ける。その目は涙目になっていて、可愛くも思えた。すると、いろはの箸が伸びてきて千早の皿からアジフライを取っていってしまった。


「わたしのアジフライ!」

「ミニトマトを食べた私へのご褒美だ」


 千早の皿から奪ったアジフライを囓り、いろはは満足そうに微笑んでいる。

 こうして、朝日奈家の夕食の時間は過ぎていった。



 * * *



 机の引き出しの奥から、小さなこげ茶色の箱を取り出す。それをぎゅっと抱きしめたあと、いろはの前へ差し出した。


「これです」

「なるほど……千早、アジフライを取ったこと、まだ怒っているのか」

「食べ物の恨みは恐ろしいんです」


 ふーん、と何も気にしていないいろはは、千早から受け取ったこげ茶色の箱を開ける。中にはサイズが異なるシルバーの指輪が二つ入っていた。

 これは、千早の両親が最期まで嵌めていた結婚指輪。形見になるため、大切に保管していた。


「一つ訊くが、本当にいいのか? これは、千早の両親の形見だろう」

「はい。それに、ずっと引き出しの奥に入れておくのも、二人に悪いし」


 両親ならばきっとわかってくれるはず。千早は口にはしなかったものの、そう思った。

 事の発端は、明日から学校についていくといろはが言ってきたことから始まった。

 それはできないと説明し、いろはにわかってはもらえたものの、離れることはしたくないと納得はしてもらない。

 八岐大蛇に怪我を負わせたとはいえ、そこまで深くはない。動き出すのもそう遠い未来ではないことも考えると、いろはが納得しないのもわかる。けれど、いろはには別の理由があった。

 その理由とは、以前いろはが千早に向けて言った言葉。


『これからも傍にいる。何があっても、その手を離すことはない』


 約束を交わしたわけではない。それでも、いろはは律儀にこの言葉を守ろうとしてくれていたのだ。

 ならば、と千早は一ついろはに提案した。

 それは、千早がいろはの名を呼べば、瞬時に傍へやってくる、というもの。

 無理を言っているかもしれないと思ったが、できるぞ、といろはに即答されたときには驚いたものだ。

 ただ、それにはいろはの力が宿ったものをお互い身に着けておく必要があるらしく、そこで形見の指輪を出したというわけだ。


「では、始めよう」


 いろはは箱から指輪を二つ手に取り、ぐっと握り締める。ほんの一瞬、強い光が輝き、千早は思わず両目を瞑った。


「これで完成だ」

「え、もう?」


 随分早い、と思いながら両目を開けると、いろはに左手を掴まれ、薬指に指輪を嵌められた。


「え!?」

「大きいな。これでは落ちてしまう」


 身に着ける必要はあると言われたが、何故わざわざその指に。

 千早は顔を真っ赤にしながら左手を振り解き、机の中をがさがさと探し出す。何がいけなかったのかわからないいろはは、腕を組んで首を傾げていた。

 指先に、チャリ、と何かが当たる。これだと千早は手繰り寄せ、手に取った。それに指輪をとおし、いろはに見せる。


「これでどうですか? 首からかけられます」


 銀色の細いチェーンに、指輪をとおしたものだ。こうすればネックレスとして首からかけられるため、指に嵌めることはしなくていい。いろはは顎に手を当て、まじまじと眺めている。


「なるほど。それは名案だな」


 肩を撫で下ろしたあと、千早はいろはの持つ男性ものの指輪もとおしてやる。チェーンが二つあってよかったと思いながらそれを手渡そうとすると、くるりと後ろを向かれた。

 いろはは少し膝を曲げると、首を指差し顔を少しだけ横に向けて微笑む。


「つけてくれ」

「……っ、わ、わかりました」


 いろはの前にネックレスを持っていき、引き輪があるチェーンの部分を後ろへやる。引き輪のつまみを動かし、プレートの穴部分に引っ掛けた。


「できましたよ」

「おお、これはいいな! さ、千早も」


 千早も後ろを向き、引っかかってはいけないと肩より少し長い髪の毛を手で簡単にまとめた。

 先程の千早のように、いろはも同じ手順でネックレスをつけてくれる。肌に指輪とチェーンが当たり、恥ずかしさから唇を噛み締めた。


 ──まるで、指輪の交換をしてるみたい。


 カチ、と小さく音がすると、いろはが少し離れた気配がした。


「よく似合っている。私を呼ぶときは指輪を握り締め、天羽々斬と言え。さすれば、私は千早の元へ呼ばれるだろう」

「ありがとうございます」


 千早は胸元で輝く母の指輪を握り締めた。

 顔も声も知らない母だが、身に着けることでいろはと共に傍にいてくれているような、そんな気がした。

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