第4話 大丈夫

 もう昼休みの時間に入っていたけれど、のんびり食事をしている時間はない。


 私はまず真っ先に落とし物として届いていないかを確認した。


 職員室脇に落とし物用のコーナーがあり、届けられたものはそこで管理されている。


 そこにあれば、何もかも安心だった。だけどそこには、小川さんの上履きはなかった。


 もう、目を背けるのはやめよう。


 物がなくなった。落とし物として間違えて届けられたわけではない。であれば、隠されたか、捨てられたのだ。


 私は次に、ゴミ箱を漁った。一番出てきたら嫌な場所がそこだったからだ。


 二人と別行動していてよかった。眼の前でいきなりゴミ箱から探し始められたら、小川さんは決していい気分ではないと思う。


 昔の私ならそこまで気が回らず、眼の前のことに必死になって気づかないままに傷つけていた。


 今はちゃんと気が回っている。だから大丈夫。これ以上空回ることはない。ちゃんと見つけ出せる。


 そう自分に言い聞かせながら探し続ける。ゴミ箱からも、見つからなかった。ほっとするような、困るような。他に、ありそうな所はどこだろうか。あってほしくない所はどこだろうか。


 焼却炉は、今はもう使われておらず封鎖されていたはず。であれば、トイレとかだろうか。男子トイレにでも隠されていたらお手上げだ。男子に協力を頼むことを、小川さんは良しとするだろうか。


 嫌な想像ばかりが膨らむ。自分でも大分参ってしまっているようだと思うが、本当に辛いのは小川さんの方だ。


 自分を奮い立たせて次を見据える。さあ動くぞ、というときにスマホが震えた。見ると、別れ際に連絡先を交換した大野さんからのメッセージだ。


『更衣室に来い。見つかるかも知れない』


 更衣室、ということは、何か見落としがあったのか。大野さんは何かに気がついたのだろうか。


 やはり彼女は頼りになる、と安心すると同時に、それをどこか、情けなく思った。私のせいなのだから、私が解決するべきなのに、なんて。


 見つかるならそれが一番であるはずなのに。喜ぶより、自分のミスの責任を自分で果たせないことに悲しむ私は。


 何だかみっともなくて、嫌になりそうだ。



−−−



 更衣室に行くと、丁度大野さん達も来たところのようだった。


 更に驚くことには、進藤くんと九十九くんも一緒にいたのだ。事情を話したのだろうか?


 彼女たちの方を見ると、小川さんは困っているし、大野さんは訝しげに九十九くんを見ている。胸には、くすんだ深い青みたいな、強い猜疑心の色。


 彼女たち自身、想定していた状況ではないみたいだ。なにがあったんだろう。


「ノリで現場検証だなんて言っちゃったけどさ、本当に入っても大丈夫?」


「……昼休みだし、次に利用するクラスが来る前に済ませば、大丈夫だろ。あたし達もついてるしな」


 進藤くんと大野さんの会話から察するに、何かに気がついたのは進藤くんで、更衣室の様子を確認したいらしい。利用していた私達でわからないことが、男子である彼にわかるのだろうか?


 更衣室に入りながら、何が気になるのか進藤くんに聞いてみたが、返ってきた答えは想像もしていないものだった。


「さあ? 言い出したのはハジメだからね」


 ハジメ、というのは九十九くんのあだ名らしい。前にもそう呼ばれているのを耳にして不思議に思ったが、彼の本名は確かに、九十九仁だった。


 九十九くんが……? と彼の方を見ようとすると、既に近くには居らず、真っ直ぐに窓に向かって歩みを進めていた。


 私の〝感覚〟では自分の感情はキャッチ出来ないけれど、きっと今、私からも大野さんと同じ色が出ているだろう。


「置いていた机のほうが窓枠より低いんだから、ベランダの方に落ちたりはしないだろ、って言ったんだけどな」


 大野さんはそう言うが、私はハッとした。


 クラス教室など、正門やグラウンド側に面した教室には無いけれど、反対側に面した更衣室などの教室のいくつかには、狭いベランダが存在している。この更衣室にも。


 事故やサボりを防止するため、ベランダに出ることが出来る大窓の鍵が固定されていると聞かされていたためか、存在自体がずっと思考の外にあった。


 嫌がらせのために隠そうとするなら、出られないベランダに小さいほうの窓から放り出すというのは、手っ取り早く効果的であるように思える。本来なら真っ先に探すべき場所だった。


 九十九くんは上履きを乾かすために小川さんが開けた窓から頭を突き出し、ベランダを覗く。それから一度頭を引っ込めて、一番奥の窓に移動し、今度は上半身ごと大きく乗り出した。


 咄嗟に危ないよ、と駆け寄ろうとしたけれど、身体を戻した九十九くんの手元を見て、動きが止まる。


「あったぞ」


 その手には小川と名前が書かれた上履きが掴まれていた。


 慌てて駆け寄る小川さんと、彼女に上履きを手渡す九十九くんを、進藤くんと大野さんは驚いた顔で見ていた。


 私の顔は、不安に染まっていなかっただろうか。上手く安心した顔が出来ていただろうか。


 大野さんも言っていたけれど、窓枠より上履きを置いていた机の方が低いのだ。自然に落ちてしまうことはない。


 ベランダにあったということは、誰かが意図的にそこに置いたということだ。


 だけど、探しものが見つかってそれで良し、と小川さんが思うのであれば、きっと私はこれ以上何も出来ない。余計な不安を煽るべきではない。


 だけど、それでも。人に悪意を向けて害をなした人がいて、何の咎もなく平然と過ごしていくのなら。


 それを放っておくこともしたくはない。同じような被害をまた受けるかもしれないのだ。放ってはおけない。


 だけど、どこまでが私が踏み込める領域だろうか。仮に私が一人で犯人を見つけることができたとして、それでどうするというのか。


 着地点が見つからない。したことは、許せない。だけど、事情があるなら考慮はしたい。その上で、私に何が言えるだろうか。何を言う資格があるだろうか。


 資格がなければ、何も言えないのだろうか。

 

「ちがう」


 ふと聞こえた声に、ビクリと飛び上がりそうになる。今の声は、小川さんだろうか。


「この靴、わたしのじゃ、ない」


 一瞬、私に言ったのかと思ったが、そんな訳はなかった。それより、小川さんのじゃ、ない? でも、じゃあ、だって。


「そうか」


 混乱を極めて言葉にもならない思いがぐるぐると回る思考が、九十九くんの反応を見て止まる。


 今日までずっと、彼の心は靄の形でしか感じられなかった。今でもそう見えている。


 でも、そうか、と一言溢した一瞬だけ。ほんの少しだけ。柔らかな温かさを確かに感じた。


「今、安心、したの?」


 気づいたときには口から出ていた。戸惑いのまま、形も整えず。


「ああ」


 まるで、何でもないことのように。今度は、これまでと同じ、何も感じられない声色で、ただ肯定された。


「お前、何考えてんだ?」


 私の理解が追いつかないままに、大野さんが彼に詰め寄る。


 彼女の胸にあるのは、大きなエネルギーを持ったまま沸々と湧き上がる溶岩のような、熱くて、重たくもたれ掛かる、赤黒い怒り。


「安心できるようなとこあったか? なあ、見つかったのが別物で、何がよかったんだ?」


 まってまって、と進藤くんが止めにかかる。


 小川さんはというと、何故か私の方に来た。控えめに私の服の裾を摘みながら、落ち着いて、と嘆願するように声を掛けてくる。私のさっきの質問が、責め立てているように聞こえたのだろうか。


 まずい。ちがう。まって。そうじゃなくて。


 慌てて九十九くんの方を見る。傷つけてしまったかも、という思いは一目で霧散した。


 彼は全く揺らいでいなかった。真っ直ぐな目で大野さんを見て、真っ直ぐに答えた。


「故意に人の物を盗んだり隠したりするやつがいるより、ずっといい」


 それはきっと、私に向けられた言葉ではなかったけれど、ほぼそうだと決めつけてしまっていた私には深く刺さって、何を言えばいいのか、分からなくなってしまった。


「ああ、そっか」


 固まる女子三人が嘘みたいに、あっけらかんとした進藤くんの声が響く。


「取り違いか」


「だと思う」


 取り違い。


 小川さんの上履きが無くなって、別の小川さんの上履きがある。だから、取り違い。


 だとしても腑に落ちないことは沢山ある。


 どうしてもう一人の小川さんは、ベランダに上履きを置いていたのか。


 どうして、全く置いてある場所が違うのに、取り違いが起きたのか。


 もう一人の小川さんは気が付かなかったのか。


 まだ分かっていないことが多い。解決したわけでもない。でも、取り違いということは、じゃあ。


 九十九くんの真っ直ぐな視線が、今度は小川さんを射抜いた。


「だから、大丈夫」


 今度もまた、私に向けられた言葉ではなかったのに。


 私をずっと追い立てていた不安の渦が、綺麗に溶けて消えていくのを感じた。

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