19.

 ◇レイフ視点◇


「レイフさん、起きて下さい。朝ですよ」

 カーテンの開く音。肩を揺すられ、俺は眠りから目を覚ます。

 ……体が軽い。こんなに深い眠りに就けたのは何時振りだろうか。恐らく、カタリーナ達と別れて以来な気がする。

「おはよう。アリシア」

「おはようございます。レイフさん。先にお顔を洗ってきて下さい。朝ご飯、できてますよ」

 エプロンをしたままのアリシアは屈託の無い笑顔で微笑む。

「……そこまでしてくれなくてもいいのに」

「いいんです! 私、レイフさんと一緒に居れるのが嬉しいんです。ご飯も一人分より二人分の方が、作り甲斐があります!」

 そうしてアリシアはくるりと回って一階へ降りて行った。着替えて顔を洗った俺は食卓に着く。どこか懐かしく優しいスープの匂いが鼻腔を突く。

「いただきます」

 二人の声は揃う。アリシアの健康を考慮した少し薄味の手料理は、今日一日の活力になる。

「どうですか? レイフさん」

「美味しい。アリシアはきっと素敵なお嫁さんになるね」

 母の徹底した教育の賜物と言えるその回答に、アリシアのスプーンがピタリと止まる。

「……レイフさんは心に決めた方はいらっしゃるんですか?」

「? どういう意味?」

「その……。彼女さんとかはいらっしゃるんですか?」

 アリシアは俯いたまま、質問を重ねる。

「はは。いないよ、そんな人」

「本当ですか!?」

 アリシアは飛び上がる。食卓と食器が揺れる。スープはギリギリ溢れずに済んだようだ。

「なんでそんな驚いてるの?」

 あまりに予想外のその反応。同じく十六歳の女性であるアリシアは、やはりそういった話が好きなのだろうか。

「……いえ。なんでもありません」

 アリシアはコホンと咳払いを一つ。ゆっくりと席に座り直す。その頬は桜色に。

「さあ、食べちゃいましょう!」

 そんな他愛も無い話を交わしながら食事を終えた俺達は、油汚れがこびり付かないように直ぐ様食器を片付ける。

「洗い物は俺がやるよ」

「いえ! レイフさんにやらせるわけにはいきません!」

 アリシアは意志の強い目で俺を遮る。

「……じゃあ半分こにしよう。それくらいやらせてくれ」

「まあ、それなら……ありがとうございます」

 そして二人は並んで作業を進める。

「こうしてると夫婦みたいですね」

 アリシアは小さな声で呟く。

「そうだな」

「聞こえてたんですか!?」

「そりゃ隣にいれば聞こえるさ」

 すると二人は無言のまま、食器を洗う水音だけが辺りに響く。

 アリシアは俯き、表情は窺えない。

 しかし、ほんの僅か、その胡桃色の髪の隙間から覗くのは桜色に染まった君の頬。

 瞬間、脳裏を掠めるのは自意識過剰な拙い直感。

 ……アリシアは、俺のことが、……好きなのだろうか。

 意識した瞬間、俺の顔はマグマのような熱を帯びる。

 俺に恋人が居ないのを喜んだり、夫婦みたいと言ってみたり、それってつまり、……そういうことなのだろうか。

 いやしかし、アリシアとは昨日知り合ったばかり。やはり、そんな……。そんな事はない、……はず。

 横目でちらりとアリシアを見やれば、無防備な胸元が、その肌と膨らみの始まりを露出している。

 罪悪感に襲われ、急いで目線を逸らす。

 そのまま洗い物が終わるまで、どちらが話し出すわけでもなく、ただただ甘美な無言だけが、耳元で劈いた。

 そして名残惜しいが、そろそろ出発の時間だ。

「受け取ってくれ。一泊分。少ないけれど」

 一泊分にしては割高のヒルド紙幣を二枚手渡す。

「いりません。レイフさんは私が、お金が欲しくて、こんな事してると思ってるんですか?」

 アリシアは顔を膨らませる。怒った顔も可愛らしい。

 でも、ならどうして?

 そんな疑問が心に芽生える。

「……でも、悪いよ。受け取って欲しい」

「じゃあ……。その代わり今晩も泊まりに来て下さい。それで私は十分です」

 アリシアは俺の手を握って微笑む。

「それじゃあ余計に悪いよ」

「いいんです! ね? 約束ですよ」

 そしてアリシアは強引に指切りをする。

「……わかった。世話になるな」

 これはきっと、恋愛ではなく親愛。そうに違いない。傲慢な妄想は君に対して失礼だ。

 もしかするとアリシアは目の前に捨て猫がいたら、それを全て拾ってきてしまうのではないか。ものすごく心配だ。それでも、この優しさに甘えてしまいたい自分がいるのも確かだ。

「ふふ。良かった。いってらっしゃい、レイフさん」

「うん。いってきます」

 こんなにも優しいアリシアのためにも、さっさと任務を片付けて、父親を助けてあげよう。

 そしてアリシアの家から少し遠い、ライラの待つ宿屋へ戻る。

 まだ朝は早い。ライラはまだ眠ってるだろうか。奥へ進み、起こさないようにゆっくり扉を開ける。不用心にも鍵は掛かっていない。

 部屋へ入ると、騎士装束へ着替え髪を纏め上げたライラが、椅子に腰掛け腕組み待っていた。動きやすいように纏めているのだろうか。その髪型も似合っていると言いかけて、……止めた。ライラは無言でこちらを睨む。どうやら女王様はご機嫌斜めのようだ。

「遅かったわね」

 ライラはいつもより低い声で出迎える。

「おはよう。ライラ。起きてたのか。早いな」

 琴戦に触れぬよう、普段通りを振舞う。

「早いな? むしろ遅いくらいでしょ? 貴方、この任務やる気あるの?」

「……まだ七時過ぎ。別に遅くないだろ。なんなら今から出発しようか?」

「私、朝食がまだよ」

「そうか、俺は済ませてきたから、食堂で食べてくるといい。俺は部屋で待ってるよ」

「……そう。私、別に要らないわ。早く行きましょう」

 ライラは椅子から立ち上がり、俺の横を通り過ぎ、部屋をさっさと出てしまう。

「……なんで不機嫌なんだよ」

 独り残された部屋の中で、俺は頭を掻きながら呟いた。

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