第三章

17.

 ◇レイフ視点◇ 


 幾つもの木々が絶え間なく車窓を過ぎ去る。初めての光景に、俺は興奮を隠せない。ロイルクリア市からの蒸気機関車のそれよりも景色が近く迫力は桁違いだ。

 請書を提出する際、受付の謎に筋骨隆々のおばちゃんにはヒヨッコ二人での出撃は危険と何度も止められたが、ライラの折れぬ対応に遂におばちゃんは屈した。本来であれば割に合わない任務のはずであるが、一度決めたら貫き通すライラの強い意志は尊敬すべき点である。

 目的地のカノリア村は王都から南西におよそ百十キロメートル程。乗馬の出来ない俺にとって、本来であれば丸三日掛かるであろうこの旅程も、馬車に乗り込めば七時間程で到着するらしい。乗馬は騎士の伝統的な必須技能。しかしこれほどまでに移動手段の発展した現在では、その強制力は失われつつある。現代の馬車はサスペンションが発達しており、乗り心地はそこまで悪くない。何より騎士の戦力は国家全体へ公共の利益として貢献すべきといった先々代国王の政策により、王都や地方騎士団の拠点から主要な地方都市まで放射状に伸びる石畳の街道と各地の馬車駅が、国の予算で配備されているとのことだ。そのため蒸気自動車が発明された今でも、王国の移動手段の主流は馬車のまま。

「噂では旅行好きだった先々代が馬車の乗り心地を改善したかったみたいだけどね。昔の馬車はそれこそ拷問だったそうよ」

 ライラはつらつらと国の歴史を話してくれる。流石は筆記首席。その豊富な知識量は彼女の過去の努力を証明する。家名復興を背負うこの少女の肩にはどれ程の重圧が掛かっているのか。俺には想像がつかない。

「それでもカノリア村は地方都市でも地方騎士団の拠点でもないわ。にも関わらずこの村には王都から直結した石畳が整備されているの」

 確かにとても立派で滑らかな石畳だ。この品質を保全するためには莫大な修繕費が必要だろう。いったい何のために?

「さあ、それは何故でしょう? 分かるかしら? マゾ豚君?」

 疑問に思っているところを突かれる。もはやライラが心を読めると言われても疑わない。それにしてもライラは昨日から上機嫌だ。叙任式の氷の女王とは、一体何だったんだろうか。

「俺はマゾじゃないって。もう止めてくれ」

「じゃあ、このクイズに正解したら名前で呼んであげるわ」

 ライラは朝からずっと喋りっぱなし。俺はただただ話を聞くだけ。旅行か何かと勘違いしているのだろうか。ただ、自身の名誉を回復するためにも、この問答には必ず勝利しなければならない。

「難しいな。ヒントは有るのか」

「そうね。……うーん。じゃあ、カノリア村の名産は知ってる?」

 分からない。

 筆記で足切りを受けないよう、ばあちゃんに毎晩勉強を教えてもらっていたが、地理は苦手だ。成績が辛うじて伸びたのは数理系だけ。俺は無言で首を振る。

「カノリア村はね、かつて鉱業で発展した村なの。エレオナイトと呼ばれる美しい宝石よ。別名はカノリアの銀河と呼ばれているわ。聖騎士紋章にも使用されているのよ」

 そうか。確かにあの禮命の聖騎士が落とした聖騎士紋章には、紫の斑晶に七色の光を反射する美しい宝石が遇らわれていた。あれはカノリアの銀河と呼ばれていたのか。

「エレオナイトを輸送するために整備した……とか?」

「ふふ。単純ね」

 ライラは満足そうに微笑む。

「ブッブー。そこまで遠く無いけど違うわ。チャンスはあと二回よ」

 まずい。

 このままでは本当にマゾ豚君なってしまう。騎士団内での人付き合いは必要無いが、変な噂が広まるのは尊厳に関わる。手段を選んではいられない。

「……三択問題にしていただけないでしょうか?」

「ふふ。駄目よ。きちんと自分の力で辿り着きなさい。手助けはしてあげるわ」

 完全に女王様の掌の上だ。なんとかヒントだけでも引き出さねば。

「ヒントが欲しいです、って顔ね」

「……お願いします」

 するとライラは掌を上に向けて差し出す。俺は何が何だか分からず、とりあえず握手する。

「違うわ。チャンスはあと一回よ」

 ライラは急に冷淡な表情で呟く。

「なっ!?」

 突然のルールチェンジ。それも仕方ない。女王様こそがルールなのだ。そしてライラは再び掌を上に向けて差し出す。考えろレイフ。男の尊厳が掛かっている。

「……お金でしょうか?」

 するとライラの表情は更に険しくなる。流石にこんな貧乏人に金銭を要求する貴族様ではないか。

 であればなんだ?

 人間が掌を出して要求するものとは?

 本日初の沈黙。

 俺の脳裏には様々な方程式や関数が入り乱れる。

 ライラの人格を考えろ。

 ライラの嗜好を考えろ。

 ライラの思想を考えろ。

 今までの彼女の振る舞いに、そのヒントが、解を導くパラメータがあったはずだ。

 ……そして、遂に、俺の脳内に轟音を伴う稲妻が走る。

 いや、まさか……そんな訳はない。

 動揺とは裏腹に俺は女王様の要求を確信していた。そして自身の尊厳のためにも手段を選んではいられない。誇りを捨て実利を得んとする。これは一瞬の恥だけだ。

 勝て、レイフ。

 勝利が、勝利だけが全てを解決する。

 俺のその眼差しには修羅が宿る。

 ……いくぜ。

「……わん」

 天へ向けられたライラの掌へ、俺は握り拳をそっと預ける。

 これは、世間一般には、……お手と呼ばれる振る舞いだ。

 俺の中で何かが破壊された音がした。顔はみるみる紅潮する。

「まあ! 素直で良い子ね! そんなつもりはなかったのだけれど」

 ライラは一瞬にして満面の笑み。絶対嘘だ。俺の嘘は許さないくせに。

 しかし、とりあえず女王様の要求には応えられたようだ。

 これでいいレイフ。何も間違っちゃいない。

 これは、一瞬の恥だ。

「しょうがないわね。……そうね。エレオナイトの名前の由来は、先々代王妃のエレオノーラ様の名より賜ったものよ」

 それがなんだ?

 と、一瞬思ったが、これが重大なヒントなのだろう。ライラはそういう部分ではフェアな人間だ。

 ……と思いたい。チャンスは後一回。

 逃してはならない。

 俺は自身の持てる全てを手繰り考え、遂に一条の光に辿り着く。

「王妃エレオノーラ様はカノリア村の出身で、王妃へ会いに行くため、先々代が交通ルートの建設を命じたんだ」

 真剣な眼差しのライラ。

 いやに溜めるな。

 そして。

「ブッブー! 違います!」

 そして弾むような笑顔。俺の心臓の高鳴りは、もはや平常運転となりつつある。

「ふふ。レイフったら。そんなにマゾ豚君と呼ばれるのが気に入ってたのね」

 俺は絶望に打ち拉がれる。

 もう騎士団内にマゾ豚君として認知されてしまうのか。そもそもマゾ豚君とはなんなのだ。それはその界隈では一般的な名称なのだろうか。

「正解はね。王妃が大好きなカノリアの銀河を現地まで買付に行くための石畳でした!」

「分かるか! そんなの普通侍従が買いに行くものだろう!」

「そうね。でもエレオノーラ様は自分の目で原石を見極めなければ気が済まない性格だったそうよ。そして自ら危険な鉱山の中を見学されたって逸話もあるくらいね」

 なんたその飛び切りイカれた王妃様は。

 鉱山は常に死と隣り合わせ。高貴なる方の出入りするような場所ではない。

 そんなの当たる訳が無い。

「そのため、この石畳は別名エレオノーラへの愛とも呼ばれているわ」

「……安直な名前だ」

「私が付けたんじゃないわ」

 ライラは肩をすくめる。

「でもそれは結果として大正解。当時流行りの病によって経済は落ち込んでいたのだけれど、その莫大なマネーが流れる公共事業によって、景気は緩やかに回復したそうよ。だからこの石畳は今なお、国費によって維持されているのよ」

 ライラは続ける。

「そんな高い営業利益率を産む産業も相まって、かつては沢山の人がカノリア村やその周辺に移り住んでたそうよ。ピーク時は王都よりも人口密度が高かった時もあったくらいにね」

 そんなに。ならカノリア村は案外潤っているのかもしれない。

「それでも資源はいずれ底を尽きるわ。今ではカノリア村は産業を失って寂れてしまったそうよ。……まるでレーヴェンアドレール家みたいにね」

 そしてライラは車窓の遠くを少し寂しそうな目で見つめる。

 カノリア村へシンパシーを感じているのだろうか。

 どうにかして、力になりたい。

「俺達の力ですぐに復興できるさ。そのためのバディだろ」

 ライラは壁に頭を凭れたまま、こちらへ視線を向け、そして微笑む。

「そうね。頼りにしてるわよ。……レイフ」

 理由は全くの不明だが、どうやらマゾ豚から犬を経て、ようやく人間戻れたようだ。

 そうこうしている内にカノリア村の近くまで到着。ここからは少し歩きだ。まだ昼下がりの午後三時。

 すごいな。

 本当に日没前に着いてしまった。そして御者へ料金を支払いお礼をする。

「楽しかった?」

 ライラは俺の顔を覗き込みながら問いかける。

「まあ……楽しかったさ。初めての馬車だったからな」

「そっちじゃないでしょ! もう!」

 ……?

 じゃあどっちなのだろう?

 そっちってなんだ?

 俺の疑問に答えてくれる者はない。

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