9.

 ◇三人称視点◇


 あの日、社から戻った少年の目に映った明方の元ヨリス村には、ただ瓦礫と焼跡だけが残っていた。

 火災から生き残っていたのは、買い出しに隣町へ出ていたカタリーナと、その祖母のヨハンナ。二人の懇意もあって三人は、隣のトレイス町へ移り住んだ。

 後から知ることになるのだが、村からは何も略奪されていなかった。

 あの日、黒衣の、禮命の聖騎士は何の目的で村を燃やしたのだろうか。

 今では知る由も無い。

 

 ――そして、その火の海から七度目の春。

 何もかもを失った三人はであったが、それでも、ただ暖かさがそこにはあった。

 しかし現実、生活にはお金がかかる。生活費を稼ぐためヨハンナは村での経歴そのまま教職を、青年へと成長したレイフは、手にした力で町の近辺に出没した穢蕊えしべを討伐する依頼をこなし生計を立てていた。

 あの日、契約を交わしたルーナが再び眠りへ就く前に、レイフへ残した助言によると、ルーナと剣は長年の封印によって魔力の大半を失っているとのこと。回復するためには、魔女と同じく魔力を力の源泉とする穢蕊えしべの血を剣へ浴びせる必要がある。その度に神速と膂力は、振るう力を増していく。それは、復讐を叶える力になる。

 七年間、レイフはただ穢蕊えしべを斬って、斬って、斬り続けた。少しずつではあるが、確かに自身に与えられた力の円熟を感じていた。

 そして十六歳となる今年、受験資格を得た青年は騎士団の入団試験を受けていた。結果は剣戟主席で一発合格。

 今日、レイフはこの東の辺境を旅立ち、王都に鎮座する中央騎士団へ入団する。

 決してあの頃の、揺ぎ無き正義の騎士団への憧れからではない。騎士として世へ貢献するつもりは更々無いが、聖騎士が所属するのは地方の支部ではなく中央騎士団のみ。あの禮命は王都にいる。

 時間は無駄にできない。時間が掛かればその分、痕跡は薄れていく。あの屑がいるであろう中央へ初期配属されるためには入団試験の成績が全て。七年間の命を賭した努力は、無駄ではなかった。

 後は禮命の聖騎士を探り、殺すだけ。

 ……殺す、だけ。


 ◇レイフ視点◇


「行くのかい」

 出発の準備を進める俺へヨハンナが声を掛ける。

 王都までは隣のロイルクリア市から鉄道が走っている。ロイルクリア市はこの王国の四大都市で、東部地方騎士団の本拠地である。そこまでは歩きだ。途中野宿をしながら六十キロメートルを二日。

 持ち物はなけなしの衣類と、母の形見である魔除けのお守りのみ。

「うん。荷物も無いし、そろそろ行くよ」

 するとヨハンナは、奥から立派に拵えられた騎士装束とブーツ、黒い薄手のトップコートと牛革の鞄を取り出してきた。

 現代の騎士装束は嘗てのサーコートでは無く、スーツに見紛うドレスコードを意識した上品な意匠である。

「カタリーナと二人で選んだんだ。ふふ。びっくりしたかい?」

 この王国には騎士として旅立つ我が子へ騎士装束を送る伝統がある。それは汚れの目立ちにくい紺青を基調に、騎士を象徴する白を差し込んでいる。

 ……いつの間にこんな高価なものを。決して袖を通すことはないと思っていたそれに、俺は二人の愛に有難さを感じながら着替える。

「どう?」

 俺は少し照れながら、両手を広げて見せびらかす。

「ふふ。似合っているよ。やっぱり背が高いと映えるわねぇ。……本当に騎士様になるんだね」

「当たり前だろ。剣戟主席だぜ?」

 本来なら鼻高々な実績だが、俺の気は少し重い。借り物の力で掴んだ地位に後ろめたさ感じている。それでも復讐のためなら手段は選べない。

「どんどん面差しがヘレーナに似てきたね。きっと王都の女の子達もほっとかないだろうさ」

「俺にはそういう事は分からないよ」

 復習を果たすため、それ以外の全ては諦めてきた。学校も、友人も、恋人も。今の俺には、ただカタリーナとヨハンナだけが心の支えだった。

 そしてヨハンナのそれまでの笑顔は沈み、憂いの表情で俺を諫める。

「レイフ。復讐はダンも、ヘレーナもユリアだって、望んじゃいないさ」

 知ってる。

 知ってるさ、そんなことは。

 あの春のような家族が望む行為ではない。

 これはただの俺のエゴだ。

 それでも俺は清算しなければ、一生前には進めない。

「……分かってるさ。俺は騎士として人々の助けになるため、正義になるんだ」

 嘘だ。

 俺は真実を話さない。

 それは偏に二人の心配する顔を見たくないから。

 それでもヨハンナは、きっと、何かを察していたのだろう。

「私はね、レイフ。あんたを本当の孫だと思っているんだよ。騎士様は任務の度にどんどん亡くなる。別に騎士団なんていつ辞めたっていいんだ」

「ありがとう。俺もばあちゃんを本当の家族だと思っているさ」

 そして俺は少し屈んでヨハンナを抱きしめる。もうここに帰ることは無い。

 二人の笑顔が俺の復讐を、意志を揺らがせる。

 本当は別の幸せな道があるのではないかと考える夜もあった。それでもこの憎しみだけが、この旅路の足元を照らす灯であった。

「カタリーナと生きる道もある。あの子の気持ちを知らないわけではあるまい」

「……カタリーナはどこ?」

 朝からカタリーナの姿が見えない。七年間一緒に過ごしてきた家族だ。最後に一目会いたい。

「朝方どこかへ出かけちまったさ。あの子はあんたとお別れをするのが嫌なんだろうさね」

「……カタリーナは器量が良くて、暖かい心を持った優しい子だ。彼女を幸せにしてくれる人は沢山いるさ。俺とは誰も幸せにはなれない」

「そんなこと――」

 俺は言葉を紡ぐヨハンナを制するように抱擁を解いた。その表情には諦めが漂う。

「行ってきます。ばあちゃん。今までありがとう」

「……いつでも帰ってきなさい。この家があんたの故郷だよ。……手配書が出たって匿ってやるよ」

 いつも柔和で細い線を描く瞼が不意に開く。覗くのは、肚を括ったその瞳。

 ……敵わないな。ばあちゃんは俺のやろうとしていることなんてお見通しか。

 逡巡しつつ、俺は七年住んだ家を扉のノブへ手を掛けた。

 さようなら。

 俺の唯一の優しい体温。

 そしてまだ肌寒さを残した晩冬の風抜ける外へ。

「仕送りはいらないよ。稼いだ金はあんたの命を賭したものだ。自分のために使いなさい」

 俺は振り返って、はにかんでみせる。

「お金の使い方なんて思いつかないさ。二人には世話になった。二人の幸せが俺の望みさ」

 そして手を振る。

 ヨハンナの姿は徐々に小さくなっていく。最後まで見送ってくれる優しい人だ。

 それでもカタリーナの姿は無い。最後に挨拶を出来なかったのが心残りだ。

「さようなら」

 青空の下、独り呟く。街の終端、門まで着いた。すると。

「レイフ!」

 後ろから呼び止められる。

 振り向くとカタリーナがそのアイボリーの髪を振り乱しながら走り寄ってくる。その目は赤く腫れている。

 ……ああ、本当に、本当に綺麗になった。

「レイフ!」

 そしてカタリーナは俺の胸に飛び込む。顔を埋め哀哭する。

 カタリーナ、どうか、泣かないで。

「行っちゃ嫌。騎士団なんかに入ったらいずれ死んでしまうわ」

 そうしてカタリーナは俺を見上げ、懇願する。

「どうか死なないで」

 これ以上、カタリーナの傍にいれば決心が鈍ってしまう。そしてこの復讐はきっと……。

「死なないさ。この七年がその証拠さ」

「依頼から帰ってくるレイフはいつも傷だらけだったわ。騎士になればもっと過酷な任務が――」

「大丈夫!」

 不安に沈むカタリーナを勇気づけようと、俺はぎこちない笑顔を精一杯に見せつける。

「俺は死なないさ。だから心配しないで」

 そしてカタリーナの、……恐らく、俺の初恋の人の涙を、そっと拭う。

「笑ってカタリーナ。君は何より笑顔が似合う」

 初恋の人は涙を堪え、こちらもぎこちない笑顔を見せる。

「うん。大好きよレイフ。最後に貴方を追いかけて良かった」

「最後じゃないさ。いつでも戻ってこれる。落ち着いたら手紙を書くよ」

 俺はそっと抱き締める。カタリーナはきつく抱き締め返した後、そして不意打ちに唇を重ねる。俺は目を丸くする。

「おまじないよ。王都でレイフに悪い女が寄ってきませんように」

 頬が赤らむカタリーナ。俺の体温もどんどん熱くなる。お互いに初めての口付けだ。

「……さよならは言わないよ。行ってきます」

「うん。行ってらっしゃい」

 抱擁を解いて踵を返し、七年の時を超え、遂に俺は、復讐への道を一歩進む。

 聖騎士を殺せば俺は犯罪者だ。復讐を成し遂げた後は逃亡生活か、将又……。そんな未来に、こんな愛しいカタリーナを連れてはいけない。

 これは地獄への片道切符。

 多くの者がその命を落としていった無慈悲で実力主義な中央騎士団。

 もう二度と戻れることはないだろう。

 少し後ろでは堪え切れない嗚咽が聞こえる。

 温かな愛を与えてくれたカタリーナ。

 決して、忘れない。

 ……どうか、幸せに。

 目的地は幽幽たるものであるが、その足元には春一番に揺れるシロツメクサの白い花。それらが、暗い暗い俺の旅路を、そっと見守り続けてくれる予感がした。

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