5 旅

 屋敷に戻り、フローレンはテオドールとランタンを持ってメイドの部屋へと向かった。一足先に耳の穴から出たヴェロニカはまた隙間を通って、地下室に戻った。変身を長くしていたために、どっと疲れてしまった。しかし、閉じ込められていた身だ。弱っているほうがそれらしいかと階段に座って、扉が開かれるのを待った。


「ここは私とママの部屋だったの」

 扉の外で声がする。やはりフローレンはメイドだったかと二人は納得した。部屋の掃除も客人への振る舞いも、高級そうな服を着た女にしては気が利きすぎていた。テオドールも元々はお抱えの庭師で、侍女との交流も多かったのだ。

 ラックを動かす音と鍵を開ける音がして、扉が開いた。ヴェロニカは眩しそうに目を細めた。そのあと、憎しみを込めて睨み付けた相手はフローレンよりテオドールだったが。

「ロニィ、イタズラもほどほどにしないといけないじゃないか」

「だって地下室があったら、覗いてみたくなるでしょ」

「ごめんなさい、怖かったでしょう?」

 子供らしい物言いをすると、フローレンはヴェロニカのほうに近付き頭を下げた。フローレンは心から反省しているようにも、嘘つきのようにも見えて、ヴェロニカは戸惑う。それでも、ヴェロニカもヨハンソン邸の謎は気になるため、演技をする。ヴェロニカもテオドールも娯楽に飢えている。最高の暇潰しは人間の秘密。長く生きた者は大体そうなるとヴェロニカの先生もよく言っている。

 ついでに、契約を解いてもらえるなら幸運ラッキーだ。テオドールからの「契約破棄」の返事はまだないが、今夜でお役御免になるかもしれない。フローレンの本性はわからないが、昼も夜も動ける美しい人間の女のほうが病弱で未熟な吸血鬼より使い勝手はいいように思える。だらだらとした旅を終わらせる機会が舞い込んだなら、利用しない手はない。


「ねぇ、フローレン。あの二人の首はなに? まさか、本物じゃないよね?」

「なんだって?」

 あえて白々しくテオドールが驚いているが、フローレンは気にしていない。もう取り繕うこともないほどに、フローレンはおかしくなっている。

「あの二人はミシェルと、フローレン様よ」

 ヴェロニカの見立て通りだったが、謎はまだまだある。

「じゃあ、君は誰なんだい?」

「私はフローレン。ママと同じフローレンよ」

 ヴェロニカとテオドールは目を合わせる。フローレンが何を言ってるかわからないから翻訳してくれという互いのアイコンタクトだったが、わからないなと納得して頷き合った。

「フローレン様とママと君。フローレンは3人いるのかい?」

「ええ、ママはもういないけれど」

「それは気の毒に。どうして?」

「病気で亡くなったの。でも、ミシェルったら、ママの話を聞かないでどこかに埋めてしまって」

 フローレンの母親は病死して埋葬された。娘が埋葬場所もわからないということは、何かやましいことがあったのだ。

「ママはあんなに大きな声で埋めないでと言ってたのに」

「埋めないで? 埋葬されたくなかったってこと?」

「ママも私と一緒にいたかったのよ。冷たくなっていたけど、抱きしめたら心から喜んでいたわ」

 え?というヴェロニカの間の抜けた声とともに、階下に辿り着いた。ランタンの明かりに照らされて、ヨハンソン夫妻の首がある。大きいものがミシェル、少し小さいのはフローレン。よく見ると、フローレンのほうには化粧がされており、ミシェルの髪にはボマードがつけられている。




「ミシェル、待たせてごめんなさい。新しいお友達を連れてきたわ」

 フローレンはテオドールを夫妻の目の前に差し出した。話しかけても、もちろん返事は聞こえない。

「二人はテオドールとヴェロニカというの。あぁ、フローレン様! 私ったら。ファミリーネームをお聞きするのを忘れておりました。失礼な振る舞いをお許しください」

 誰も見えていないようにフローレンは饒舌になっていく。

「えぇ、お客様には美味しいお食事をご用意しました。ヨハンソン家として恥ずかしくないように、おもてなしができました」

 フローレンは夫妻の間に、テオドールを置こうとしている。テオドールは珍しく顔を振って嫌がった。しかし、フローレンの手は容赦なくテオドールを間に置いた。台に置かれると、下に落ちたくないためにテオドールは仕方なく動きを止めた。

「……テオを見ても驚かないわけだわ」

「ロニィ、助けてくれ」

「ご挨拶が遅れました、ヨハンソンさん。私の名前はヴェロニカ・カーター。隣の彼はテオドール・ミ……」

「おい、勝手に紹介をするな」

「もうテオはヨハンソン家の一員よ」

「そうよね、ロニィ!」

 フローレンがヴェロニカの手を取って、目を輝かせた。このまま手を繋いで踊り出しそうである。

「えぇ、フローレン。テオは完全にヨハンソンファミリーよ。それに、貴女はテオを悲しませたりしないわよね?」

「もちろん、テディに不自由はさせないわ」

 同級生の友達のようにヴェロニカとフローレンは話し合う。テオの言葉を無視しているヴェロニカと、本当に話が聞こえてなさそうなフローレンではあるが。

「でもね、フローレン。私はおうちに帰らなきゃ。でも、テオが帰してくれないの」

「あら、大変!テディ、ロニィをおうちに帰してあげて!」

「そうよ、テオ。私を自由にして!」

 二人の女に睨まれることはテオドールによくあることだった。怯むことはないが、人を二人殺してる女と、自分をよく殺している女が結託することはあまりない。自分が何をしたというのか。ぎりと歯を食いしばって考えた。ヴェロニカの言うことを聞いても自分になんの得もない。流されてはいけない。強く、断言できることがあるはずだ。あいつだけ逃がしてはいけない。テオドールは深呼吸して、声を張り上げた。



「答えはNoだ! ヴェロニカ、お前は僕を連れて、この屋敷を出る!」

「なんでよ?」

 フローレンとヴェロニカの声が揃った。

「契約破棄は絶対にしない。喜べ、これでお前もこの屋敷から一生出られない!」

「テディ、そうなの?」

「あぁ、フローレン。ヴェロニカは妹みたいに可愛いだろう?」

「……妹! じゃあ、ロニィもフローレンになって!ええ、そうね。フローレン様も喜んでいらっしゃる!」

「聞こえないが、ヨハンソン夫妻の許しは得たな」

「テオ、もう一度よく考えて。フローレンは私より丈夫な、昼も動ける身体よ」

「お前はサボるが、死体と喋らん」

「普通は生首とも喋らないわよ!」

「つべこべ言うな。僕を連れてさっさと逃げろ」

「……二人とも、私を置いていくつもり?」

 言い合っているうち、フローレンはヴェロニカの背後に立った。手には銀のナイフがある。ヴェロニカは寒気を感じた。

「フローレン、落ち着いて」

「一応聞くが、ロニィ。吸血鬼は銀全般ダメなのか?」

「吸血鬼はできることが多いけど、その分、制約やルールに縛られるって先生が……ていうか、手が震えてるわ」

 正面にテオドール、背後にフローレンがいる。ナイフの一振で灰になるかはわからないが、この状況はまずい。ヴェロニカは吸血鬼の身体になって一度も死んだことがない。ゆえに、経験したことのない死は怖い。飾りのような心臓が早鐘を打ち始めた。

「お前が死んだら、僕もバッドエンドなんだからな!」

「テオドールがいるならいい。あなたは諦めるわ」

 テオドールもフローレンも勝手なことを言う。

「ごめんなさい、ロニィ!」




 振り下ろされたナイフに向かって、ヴェロニカはテオドールの頭を投げた。テオドールの眉間にナイフが突き刺さり、フローレンはナイフから手を離した。テオドールがどすんと床に落ちた。叫ぶ間もなく、血がどくどくと流れ出ている。

「テディ!……ああ!そんな!」

 フローレンはテオドールのために膝をついた。ロングドレスの裾が赤く染まっていく。テオドールは動かない。

「いや!テディ、死なな……」

 フローレンがテオドールに覆い被さる隙に、ヴェロニカはフローレンの首に牙を立てた。

 ヴェロニカにとって、久々の新鮮な血だ。ぐっと吸い上げると、フローレンの身体から血の気が引いていく。ヴェロニカも腹が空いていたため、存分に喉を潤した。急激に力が沸き上がってくるようだった。よくできましたの800ミリリットル。大きいジョッキ1杯分は飲んで、ようやく口を離した。

「ごめんね、フローレン。貴女は私より力があるし、これが一番手っ取り早いのよ」

 フローレンは気を失ってしまった。そして、下敷きになったテオドールがぎゃーと叫んだ。もう傷が閉じかけているらしい。

「テオ、まだ死んでたほうが楽だと思う」

「何言ってんだ!早く抜け!」

「残念だけど、二人とも銀には触れないかな……」



 郊外にぼつんと建つヨハンソン邸。

 テオドールの叫びは誰にも届かなかった。

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