死ねない生首と吸血少女(仮)

camel

00 introduction

1 むかしばなし

 むかしむかし、あるところに美しいお姫さまがおりました。お姫さまはよく庭の薔薇を愛でておられました。そうして、若い庭師と恋に落ちたのです。しかし、庭師は嘘つきで強欲な男でした。庭師が困るたびにお姫さまは城の宝を分け与えました。少しずつ王さまの宝物は減っていきます。庭師の悪行を知った王さまは庭師の首をはねました。




 そこで、物語は終わるはずでした。

 庭師はお姫さまから首をはねられることを先に教えられ、森の魔女にお願いをしに行きました。魔女は不老不死になれる妙薬『ネクタル』を持っていたのです。


 薔薇いっぱいの部屋で、庭師は魔女に言いました。

「二人でこのくすりを飲もう。そうすれば、僕らはずっと一緒さ」

 魔女は頬を染め頷きました。

「約束よ。ずっと私のそばにいてね」

 魔女がさびしくないように庭師はたくさんの薔薇を贈っていました。枯れてはいけないからと、大きな薔薇の花束を何度も届けてくれる庭師に魔女は恋をしたのです。でも、薔薇は一本も枯れていません。魔女の力は本物であると確信していたからこそ、庭師は魔女に取り入ったのです。


 ネクタルの小瓶を口に含み、庭師は王子さまのように魔女に口づけをしました。しかし、魔女の口の中には甘い蜜のような匂いしかありませんでした。

 庭師はネクタルを一人で飲みきってしまったのです。



***

「どう考えても、テオが悪いよね」

 癖の強い赤毛の少女、ヴェロニカはぱたんと絵本を閉じた。表紙も剥げ、タイトルも読めなくなった本には知らない町の昔話が載っている。

 本を勢いよく閉じたせいで埃が舞い、ヴェロニカはこほこほと咳をした。何度か咳をすると口を押さえていた手に血が混じる。人間だった頃の名残だ。肺の病で死にそうな娘を思って、両親はヴェロニカを吸血鬼の下に差し出した。残念なことに吸血鬼になっても病気は完治しなかったが、幸運なことにその病で死ぬことはなくなった。今も日に当たらなければ死なない。


 ヴェロニカはサイドテーブルの上の首だけの男、テオドールに非難の目を向けた。金色に輝く細く長い髪は床についてしまいそうなほどだ。数時間どころではない。数日が過ぎていたようだ。最近、ヴェロニカは時間の経過を忘れてしまう。

「僕は悪くない! 籠の鳥のようにしまっていた娘にようやく恋人ができたというのに祝福のひとつもなくあっさり処刑したんだぞ! それに僕が首を繋げて甦ったあとに、わざわざもう一度首を切り落として身体を奪って消えたあの女もどうかしてる!どの陪審員も僕に同情するだろう」

 陪審員の男女比によっては、いや、このうるさい男の言葉を聞けば簡単に有罪になりそうだ。テオドールはこらしめられたほうがいい。

「二度も斬首されるなんて、どんな罪を重ねたのよ?」

「僕はなにもしてない! 僕は僕を愛した人間の全てを愛してやったというのに。平等に全員を愛したんだ。現代の男にはそうそうできはしないだろう。それに首が繋がったら、僕を喪って傷付いた女に生き返ったと伝えてやらなければ」

 物語の庭師はめでたく不老不死を手に入れた。手に入れたからこそ、頭部だけになっても死ぬことなく話し続けている。表情筋と口しか動かせないので身体がある頃より自己主張が激しくなったと言うけれど、元からうるさかったんだろうなとヴェロニカは予想している。軽薄で大胆不敵な自己愛主義者。魔女は悪さをする身体と一緒に舌も抜いておくべきだった。

「魔女を騙してネクタルを全部飲んだのに、反省してないの?」

「薬をもらわなきゃ死ぬんだぞ。下手に分けて、生き返れなかったらどうする? 僕の死は全世界の損失だ! ところで、ロニィ!早く髪を切ってくれ。前髪でテレビが見えなくなってきたんだが」

 テオドールの最近の趣味はテレビだ。スマートフォンなるものが欲しいとも言っている。音声で動かせるものが増えたらしい。テオドールは前髪が鬱陶しいのか歯でがじがじと噛んでいる。どうして髪が伸びるのに、首から下の身体は生えてこないのだろうか。

 ヴェロニカはため息を吐いて、使用人の部屋までいき、引き出しを探った。ステンレスの鋏なら持っても大丈夫だろう。


「前みたいにまっすぐに切るのはやめろよ! このドラマの俳優のように、長すぎず短すぎず、無造作にふわっとかきあげられるようにするんだ。ほら、ちゃんと見ろ! 古臭い本ばかり読まずに、現代を知れ!」

 ヴェロニカがテレビに目を向けると、海の見えるホテルで前をはだけた男が髪をかきあげて、女に覆い被さろうとしていた。引き締まった筋肉の陰影が美しい。かきあげる手もないというのに、俳優のようにしろだなんて。また、自分よりもうんと年上の、神話や伝承なんかの世界を生きてそうなテオドールに現代を学べと言われるのは変な話でいつも腹が立つ。

「注文が多すぎるのよ」

 じゃきんと音を立てて前髪に斜めに鋏をいれると、金色の髪が床にばさりと落ちた。前髪を切るとテオドールの顔が露になる。彫りが深く、目は翡翠のように美しい。先の俳優に負けない造形といえよう。テオドールは美丈夫と呼んで差し支えない顔面を有している。しかし、顔を褒めるとたちまち付け上がる。「困ったことに顔だけは良いな」と人ならざる者たちが口を揃えて言うほどだ。嘘つきに与えてはいけないものは美貌だった。この男のそばにいると、ヴェロニカにも神が存在するように思えてしまう。神の意思によるものか、はたまた悪戯か。もっとひどい顔をしていたら、この男はただの庭師のまま死んでいただろう。

「もう十分、本は読めただろう。仕事をしてくれ」

「現代では子供を働かせちゃいけないわ」

 唇をつんと尖らせる様子はまさに子供のようだ。ヴェロニカはわかって子供のようにすることがある。子供であることは忘れたくないのだ。

「首から下があって、わがままを言うんじゃない。血をやらんぞ」

 そう言われるとヴェロニカは苦々しげに顔を歪める。ヴェロニカは数十年前にようやく梟に変身できるようになったが、大人を誘惑し血を吸うのは得意ではない。子供なら容易く操れるが、同じような幼い吸血鬼を増やすのは主義ではなかった。極限までの空腹で動けなくなっていたときに、何故かテオドールがヴェロニカのほうまでごろごろと転がってきた。首だけの存在はもはや人ではないと思ったが、欲求に耐えきれず血を飲むと間違いなく人間の味だった。若い青年の血で不味くはない。認めたくないが酔いそうなほどに美味かった。しかし、ヴェロニカがいくら血を吸ってもテオドールは吸血鬼にはならない。だから、交渉しにきたのだと悪い顔で微笑むテオドールは今と変わらず悪魔のように見えた。

「僕の血をやる代わりに働く約束だろうが」

 約束は契約であり、ヴェロニカを縛る鎖となっている。契約は強大な使役の力を帯びている。

「そうね、テオは私の大事な非常食だものね」

 それでも長い付き合いのため、ヴェロニカも口では負けていない。どれだけ傲慢な態度をとっていても、テオドールは生首だ。頭突きと噛むくらいしかできない。どこかに閉じ込めたら簡単に動けなくなるのだが、それをすると契約違反となりヴェロニカの背筋が凍る。おそらく、死ぬ。一度も死んだことはないが、ヴェロニカにも察せられるほどの消失への恐怖が胸を襲った。かなり重い呪いなのだ。

「ああ、それでいい。さあ、今日からまた俺の足となれ。この町にもう用はない」

 尤もらしく言っているが、テオドールが観ていたドラマが最終回を迎えたのだろう。ヴェロニカも大概だが、テオドールも自分の娯楽を第一に考えている。ちなみに、ヴェロニカは映画は好きだがドラマにはあまり興味がない。長いシリーズは途中で飽きてしまう。

「引きずって歩いてやろうかしら」

「やめろ、僕の顔は世界遺産だ」

 擦り傷程度なら、テオの傷はすぐに治る。しかし、ナルシストゆえか、顔を傷つけられることを極度に嫌がる。厄介な男と契約してしまったとヴェロニカはもう百年以上も後悔している。

 テオドールの悪行を誰かに語って聞かせた魔女はテオドールの身体を隠してしまった。薬を飲んでいないなら、おそらくすでに死んでいる。しかし、テオドールは身体を諦められないでいる。上が死なないなら、下も腐らず死んではいない。根拠はないようだが、そういうことらしい。




 キャリーケースの中のテオドールは夜道で静かになる。周りの人間を気にしているわけではなく、密閉した鞄で呼吸ができず、何度も死んでは蘇っているためだ。減らず口を叩いている場合ではないらしい。取っ手に伝わる不自然な振動がテオの苦しんだ回数だ。面倒事に付き合わされているが、テオドールが苦しむ姿を見るのはヴェロニカにとって愉しいものだ。わざと舗装されていない道を選んでキャリーケースを引きずっている。小さな車輪が傷んだとしても、テオドールのうめき声は聞いておきたい。


 野犬の遠吠えを背に、ヴェロニカは目的の町へ足を踏み入れた。田舎ながら、古い書物が多く所蔵されているという。

 日が昇る前に屋敷の確保が必要だ。こんなときだけ子供の姿でよかったとヴェロニカは思っている。大きな屋敷のベルを鳴らすと、警戒しているものの小さく扉が開かれる。どうしたのと親切な婦人が顔を出すと、ヴェロニカと目が合う。人形のように婦人はどうぞと口にし、ヴェロニカたちを部屋へ招き入れてくれた。

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