マヤ ~episode 3~

 「真綾先輩!」

振り返ると、つぶらな瞳の男の子が手をぶんぶん振りながらこちらに走って来た。

「ああ、凛くん。おはよ。」

手を振り返す私の前で急停止すると、満面の笑みで顔を覗き込んでくる。

「おはようございます!今日もお美しいで―」

「私のクラス今日から体育で新競技やるんだって。なんだと思う?バレーだといいな。あとはバスケとか?」

「ちょっと先輩!」

拗ねた顔で睨んできた。

「最後まで言わせてくださいよ。」

「毎日毎日挨拶みたいに言ってるんだからいいでしょ。」

「よくないですよ!ちゃんと毎回心こもってるんですから!」

「どうだか…」

「先輩、疑うなんてそんなひどい―」

「おはよう諸君!」

後ろから明るい声が聞こえて二人とも振り返った。

「おい、桐島、抜け駆けはズルいぞ!真綾はみんなの女神なんだからな。」

「ふっ、残念でしたね先輩。真綾先輩今月初の『おはよう』は僕がいただきました。」

「なにぃ!?よし、真綾、ここで俺に『愛してる』って言ってくれ。」

「まーくんさぁ」

私はため息交じりに言った。

「黙ってればお望み通りモテるのに…。」

「何を言うか!」

まーくんが爆笑する凛くんに膝カックンを食らわせながらこちらを向いて言った。

「俺はいつだって、世界一イイ男だぜ。」

「あ、そう。」

私はぐるりと目を回した。

「私、もう行っていい?」

じゃれあう二人を見つめて私は聞いた。

「あ、僕送ります!」

「なにぃ!?俺もだ。」

「そりゃあごくろうなことで―」

「真綾先輩!」

私はくるりと振り返った。

「楓、おはよ!」

「おはようございます!先輩、今日も大変美人ですね。」

「ああ、楓、あんたまで。」

私は笑顔を曇らせ、『ブルータス、お前もか!』もどきの調子でため息をつきながら言った。

「今までそんなこと言わなかったのに、一体どういう風の吹き回し?春休み明けてからずっとこんな調子じゃない。この二人に買収でもされた?」

「違いますよー。」

反論しようと口を開いた二人を遮るように楓が言った。

「私、思ったんです。画面の向こう側にいる芸能人にって、どんなに強く思ってても直接『きれい!』とか『スタイル抜群!』とか言えないじゃないですか。」

「?うん、そうだね。」

「だから、先輩が目の前にいて直接言えるうちに言っておこうって決めたんです!」

「うん、ごめん、全然意味が分からない。」

同意を求めようと男性陣二人を振り返ると、私の予想に反して非常に納得した表情をしていたので私はぎょっとした。

「そうだな、筒香、賢いな!」

「はい?」

「ですよねー!」

「いやいやちょっと待って?」

意気投合する三人の間に割って入って私は慌てて言った。

「何がどうして私が『画面の向こう側の人』になるの!?え、何、私の将来の夢って女優かなんかだっけ!?記憶にないんですけど??」

「先輩の夢って女優だったんすか!いいっすね、絶対なれると思います!」

「いや違うよ?それにならないよ!?」

「そんなの分からないじゃないですかー。」

楓が言った。

「ここ東京だし、大手の芸能事務所からスカウトとかされたら、ねえ?」

「そんなのあるわけないでしょ!」

「いいえ、大いにあり得ます。」

楓がかぶりを振った。

「まあとにかくそういうことです。何事も備えあれば患いなし、です!」

私はやれやれと首を横に振った。三対一では、私が何を言ったってかなうはずがない。

「もうすぐチャイムなるから行くね。」

そう言って三人に背を向けた。本当はまだ少し時間はあるけど、あの人たちの茶番に付き合っていたら日が暮れてしまう。ここらへんで切り上げておくのが一番だ。

「おいてくなって。」

肩に体重がかかるのを感じて顔を上げると、まーくんが私の肩に腕をまわしていた。

「おーもーいー。」

私がそう言って腕をどかそうとしたとき、まーくんの腕に別の人の腕がかかるのが見えた。

「重そうだから、どかしてあげて。」

見上げると、謙人がまーくんと反対側の、二人で私を挟む位置に立っていた。覆いかぶさるようにして立つその背の高さに、私は少しキュンとしてしまう。

「あ、王子か。はよっす。」

まーくんがそう言って大人しく腕をどかす。

「じゃあ真綾、昼休みにな。」

そう言って私の肩をぽん、と叩くと、まーくんは歩き去って行った。

「謙人、おはよ。」

まーくんの後姿を見つめる謙人に向かって私は言った。

「ああ、おはよ。」

謙人ははっとしたように私を振り返り、いつも通りにっこり笑った。

「ほんとに皆に王子って呼ばれてるんだね。」

私はニヤニヤして言った。これを聞いて、謙人がわざとらしく眉をしかめた。

「なんでそんなあだ名がついたの?」

謙人は確かに優しいしかっこいいけど、どちらかというと人を笑わせるのが好きだし、綺麗にウェーブした少し長めの髪のために見た目は恭ちゃんと同じくチャラそうだ。イケメンはイケメンでも、王子っていうタイプではない。

「こないだ皆でドッジしたときに、謙人がナイスプレーしたんよ。守られた松岡がこいつのこと王子って呼び出して、それがおもろくて、そのあだ名が定着したってわけ。」

声のした方を振り返ると、恭ちゃんがひらひらとこちらに手を振っていた。

「まったくあんた達、突然走り出さないで頂戴。」

隣には少し息を切らした七瀬がいて、謙人を睨みつけていた。

「陸上部がこんくらいで何言ってんだよ。」

「別に疲れたなんて言ってないわ。それに私は短距離の選手よ。その上、高校バスケ部の男子と体力を比べられるなんて、フェアじゃないわ。」

茶化す恭ちゃんを睨みつけて、七瀬が長い黒髪をさらりと後ろに流した。私は全力で走ったら真っ赤の汗だくで見れたもんじゃなくなるのに、どうしてこの三人はいつだってこんなにも爽やかなのかと聞きたい。

「栗原、今日は朝練なかったのか?」

「うん。今日はね、タッキーが出張でいないからできなかったの。」

「ってことは…、三限の生物自習か!よっしゃぁ!」

「でも自習プリントあるみたいだよ。すごい悪そうな顔でニヤニヤしながら問題作ってたから、相当問題数多いか難しいか、最悪の場合はその両方だと思う。」

ガッツポーズをする恭ちゃんに向かって言うと、私の目の前で崩れ落ちた。それを見て私はクスクス笑う。

「で?あんたはなんで走ってたのよ。」

七瀬がまた目線を謙人に戻しながら言った。

「え?あ、そうそう、あのさ、真綾―」

「「キャー!!」」

黄色い声が上がって、四人全員声のした方を振り返った。弓道部の中学二年生の女子部員五人が、私を見つめて固まっている。

「おはよ。なんか悲鳴が聞こえたけど、大丈夫?」

私が尋ねると、五人はそろって首を縦に振る。

「あ、あの、真綾先輩…。」

一人が、恐る恐ると言った感じで口を開いた。

「髪、切ったんですね…!」

「ああ、そうなの。」

私はやや面食らいつつ、髪に手をやった。

「似合う、かな…?」

「「はいっ!最高です!」」

五人が見事にはもって言った。恭ちゃんが思わず、といった感じで吹き出す。

「あ、ありがと。」

私が少し笑ってそう言うと、五人はまたもや悲鳴をあげて、それからお辞儀をして走り去って行った。

「髪切ったの結構前だよね?あの子たち知らなかったの?」

七瀬がにやにやしながら聞いた。

「二年生修学旅行でいなくて、その上最近は前期後期練習別々が続いてたの。だから会ってなくて…。」

「さっすが女神。大人気だな。」

恭ちゃんが笑いすぎで目に涙を浮かべながら言った。

「そんなんじゃないんだけど…。」

私は弱りはてた。この三人や玲奈に比べたら、私はちっとも綺麗なんかじゃない。まーくんの悪乗りとか、袴×弓道マジックとかで『かっこいい』ように皆錯覚してるだけなのに。

「同じノリなのか…?」

謙人が隣でぼそっと呟いた。そういえば、謙人が何かを話している最中だった。

「ごめん、それでなに?」

私が謙人に言うと、謙人が少し頭をかいた。

「あ、や、なんか、俺の勘違いだったっぽい。ごめん、なんもないよ。」

「そう?それならいいんだけど―」

「はあ?あんたの勘違いで私は朝っぱらから走らされたってわけ?」

七瀬が腕を組んだのを見て、謙人がため息をついた。

「別に一緒に走ってくれなんて一言も―」

「なんて?」

「まあまあ、良いダイエットになったということで。」

「私にダイエットなんか必要ないわよ!?」

恭ちゃんにまで火の粉が降りかかりそうだったので、私はクスクス笑いながら七瀬のセーターの袖を引っ張った。

「ほら七瀬、教室行こう。チャイム鳴っちゃう。」

「そうね。行きましょ。」

七瀬が大人しく私に続いて言った。七瀬は男子には突っかかるくせに、女子にはものすごく優しい。まあ、男子にも本気でキレてるわけでもないんだけど。それに、七瀬を怒らせるようなことを言う男子にも問題が―

「すっげぇ栗原。まるで猛獣使いだな。」

「あ?」

「恭ちゃん!」

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