あたし、全裸の俳優を見つける。

西谷水

第1話

 珍しく今日は、大学を休んで午前中から目黒へ向かうことになっている。それはなぜか。理由は、あたしの所属している女優養成所にこれまた珍しくオーディションの仕事が舞い込んできたからだ。CMコマーシャルのちょい役を募集しているとのことだったが、あたしを含めて養成所の役者さんは、みんなこぞってオーディションに出願している。


 そりゃそうだろう。マネージャーさんは、ちょい役だなんて言っていたけれど、普段仕事の仕の字も聞こえてこない若手役者にとってどんな役だろうと喉から手が出るほど欲しいチャンスだ。中には、不満がる人もいたけれど、役者を志すあたしに言わせてみればどんな役だろうと貴賤はない。他人を演じることは同じなのだから。


 ましてや今日は、書類選考・映像選考を超えてようやくたどり着けた実演だ。


「誰かがあたしを見つけてくれますように」


 そんなこんなであたしは、早いうちに賃貸マンションを出て、きちんと近所の小さな神社で合格祈願をしてから、地下鉄で目黒駅を目指した。通勤ラッシュの車内に耐えた次は、「すいませーん」と声を張って車外に出て、長いながーい駅構内を歩いてようやく改札を通り抜ける。とん、とん、とん。ワイヤレスイヤホンで流行りの音楽を聴きながら、改札を抜けて三歩目までを数えたが特に意味はない。ええっと。普段しないことを意識的にしてしまうのは、多分あたしが緊張している証拠だろう。たぶん。


 目黒駅を出て最初に視界へ飛び込んできたのは、九月の青空に太い黒線を縦に引いたようにそびえ立つ目黒セントラルスクウェアのビルだった。そのすぐ下にたくさんの車が行き交う大きな車道があって、その先、目黒駅を出たところ、つまりあたしの目先に比較的小さなバスターミナルがある。そんな見慣れたはずの景色を前にあたしは、改まって大きく息を吐き出す。そして冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んだ。なるほどね。間違いない、あたしは緊張している。「集中、集中……と」呟いて駅から溢れ出すように続いていた人の流れに身を投じる。足並みを揃えて、周りがそうしているように自分の目的のためだけに歩く。そうしてバスターミナルを横目に目黒セントラルスクウェア前の車道、その横断歩道に差し掛かる。この人の群れの中にたとえ有名人が紛れ込んでいたとしても、誰一人として気付きはしないだろう。


 あたしは、それくらいに整然と歩き続ける。会場へ着く前に怖気づいてしまわないよう、コンディションを崩してしまわないよう細心の注意を払って世界の情報を断つ。あたしは、足を動かすことだけを考える機械。みんなもきっとそう。


 演技、そんな演技の世界に意識を落としていく。頬に触れる秋の乾いた湿度も、冷たい風も、全てを遮断する。よし。うまく入り込めた。横断歩道の上、渡りきるだけの夢想の世界。


「え……?」


 それなのに。あたしは、見てしまった。横断歩道のど真ん中に見つけてしまった。


――霧島海斗きりしまかいと。三十五歳、男。職業は、俳優。


――ハリウッド俳優。


 テレビの中でいつも見ていた闘犬のように鋭い三白眼。軽く艶がかった黒髪のフェードカットも相まって実物は、数倍増しで高圧的に見える。鼻が高くて顔の彫りが深い、高身長イケメン、まさしくスターの外見。見間違いようもないほどに、そこで仁王立ちを決めていた男は、本物の有名人だ。しかし、もしそうなら不可解なことがある。


 霧島海斗は、先月から行方不明になっている。失踪状態なのだ。


 たった一カ月程度、姿が見えないだけで大騒ぎになるなんて流石芸能人。あたしだったら誰も気付いちゃくれないだろうな。なんて余裕をこけるほど、残念ながら余裕じゃない。


 そんな彼があたしを見て目を丸くする。一応背後も確認したが間違いなく、あたしだ。


「お前……まさか俺のことが」


 もちろん彼とは面識なんてない。だから意味が分からない。分からなさ過ぎる。


白線の一本目に足を乗せたあたしは、息を呑んで立ち止まる。それは彼が有名人だったからか。いや違う。誰一人として足を止めちゃいないのに、あたしだけが群れの中の異物になったみたいに流れに逆らう。それは彼が失踪者だからか。それも絶対に違う。


 そのまま時が止まったかのように、しかしやがて歩道信号が赤色に変わって横断歩道にはあたしと霧島海斗の二人だけになった。


「あ、あ、あの……」


 ようやく声を振り絞ることができたけれど、きっと彼に聞こえるほどの声量はない。次第に車のクラクションがあたしに向かって鳴らされ始める。あたしに鳴らしているのか、彼に鳴らしているのか、それは運転手の方を見てみないと分からない。


 けれど。そんな余裕のないあたしは、驚きと衝撃に震えながら彼を指さす。


 そして、喧騒の中へ呑み込まれる運命にあるだろう声を振り絞って言う。




――どうして全裸なんですか、と。

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