第28話 かわたれどき(11/28の分)

 話しているうちにどんどんと空気は冷えていき、ちかちかと照明灯が灯り始める。黄昏の赤は夕日と一緒に沈み、夜の気配が一層濃くなってくる。

「おじさん、あれ」

 ヒロコに促されて前方を見やると、消えかかる夕焼けを背に受けた人影が近づいてくる。逆光のせいで暗くてよく見えなかった人物だが、ベンチに近づき照明灯の光を受けて像がはっきりとしてくる。

「天沢くん……」

 スーツ姿の若者は、香坂が最後に会った顔見知りに違いなかった。人好きのする笑みを浮かべた好青年は、ベンチの前迄やって来ると綺麗なお辞儀をする。

「ヒロコさん、ですよね? 初めまして、天沢と言います」

 はきはきとした挨拶は、会社で一緒に働いていた時と変わらなかった。そして、そのままヒロコの隣のヘルメットへと視線を落として笑いかける。

「香坂さんも、ご無沙汰してます」

 一瞬ぎょっとするが、わかっているのなら話は早かった。香坂はヒロコにヘルメットを外してくれるように頼み、代わりにネックピローをつけて天沢に生首状態の今の姿を晒す。天沢は驚きもせず、笑みを浮かべたままその光景を眺めていた。

「久しぶりだね、天沢くん」

 驚きもせずに会釈をする天沢が、得体の知れない者に思えて恐ろしくなる。それでも、香坂の首を掲げるヒロコの手に後押しされるように言葉を紡ぐ。

「なあ、教えてくれないか? 俺がどうして生首になったのか、君は知ってるんじゃないかい?」

 香坂の言葉に、天沢はにこりと笑った。

「その通りです。僕が、香坂さんをそんな姿にしました」

 不便な目に合わせてすみません、と謝る彼に悪意などは感じられず、尚更どうしてと言う気持ちが強まっていく。

「それで、なんで上司でもあるおじさんを生首にしたの? 一緒に暮らしてみて、誰かから恨まれるような人じゃないのは私でもわかるよ」

 黙っていたヒロコからの思いもよらぬ本音に、無いはずの胸が熱くなる。天沢がなんと答えるか。いつまでも続くような緊張した空気の後で、ようやく彼は口を開く。

「僕は、人の願いと願いを結び付ける、謂わばマッチングを生業とする天の遣いなんです」

 信じられない言葉に呆気にとられる二人を残して、にこにこと笑みを浮かべながら天沢は説明を続ける。

「この度は、会社をクビになったことに絶望した香坂さんに、非日常に憧れを抱いていたヒロコさんの願いをマッチングさせて頂きました。本来ならお互いの願いを尊重するべきなのですが、クビになって放心状態の香坂さんがあまりに気の毒だったため……」

 余計な真似をすみませんと深々頭を下げて謝る天沢に、慌てて顔を上げてと頼む香坂は怒ることすら失念しているようだった。

「でも、お二人が仲良くなられたようで良かったです!! 願いの叶え甲斐もあるというものですよ!!」

「それで、そっちの事情はわかったけど、おじさんは元に戻せるの?」

「ヒロコくん?」

 妙に語気が荒いヒロコを諌めようとするも、天沢はそんなこと気にしていないようだった。

「もちろん!! 生首と暮らしてみたいというヒロコさんの願いを叶えただけですので、すぐに戻すことができます」

 元に戻れる。その言葉をどれ程聞きたかっただろうか。ほっとする香坂に、ヒロコもよかったじゃんと笑い掛ける。


 すっかり暗くなったベンチで香坂はネックピローを付けたままヒロコと向かい合う。天沢と言えば二人をにこやかに見守っており、いつでも香坂を戻す用意はできているようだった。

「本当にありがとう、ヒロコくん。動けない俺の世話から生首の謎の解明まで、君には感謝しても仕切れないよ」

「私も、おじさんとの生活は結構楽しかったよ」

 これでお別れなのか。そう思うと寂しさに涙が滲みそうになるがぐっと堪える。

「では、いいですか? 元に戻しますよ?」

「頼むよ。天沢くんも、俺のことを心配してくれてありがとうな?」

 香坂の感謝に、天沢は目を細める。

「約束、忘れないでね?」

 ヒロコの言葉を最後に、香坂の意識はふっと途絶えた。


 次に香坂が目覚めたのは、見知らぬ場所だった。まだ薄暗い空の下、見渡す限りの野原と遠方に連なる山脈に戸惑っていたが、やけに視線が高いことに気づく。

 まるで初めからそうであったように、首が胴の上に乗っているのだろう。自分の足で立ち、手には寮を引き払った際にまとめた大荷物がそのまま握られている。

 身体があることを喜ぶより先に携帯電話で日時を確認する。何故か充電は満タン状態なのに、表示するのはクビになってから一ヶ月近く後の日時だった。

 夢じゃ無いんだ。首を触ろうとして、自分がネックピローを嵌めていることに気づく。

 世界の眠るまだほんのり暗い、彼は誰時。それでも山の向こうに控えた夜明けの気配に、どうしてか香坂の胸は高鳴っていた。

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