第17話 額縁(11/17の分)

 昨晩のヒロコの様子が気にかかる香坂だったが、当の本人といえばパジャマのままおはようと起きてくると、いつも通り香坂の顔を泡立てた洗顔フォームで洗ってくれる。シェーバーで髭を剃ってくれる。肌がひりつかないように化粧水と保湿クリームを馴染ませ、一仕事終えたとばかりに自分の身支度に部屋へ戻っていく。

 たまたま虫の居所が悪かったのだろうか。女性の気持ちに疎い自分を悔やみつつ、香坂もヒロコが何も言い出さない以上、気にしないよう心掛ける。

 「おじさん、ちょっと付き合ってよ」

 再びリビングに現れたヒロコの姿に、香坂は目が離せなくなる。いつものラフな服装ではなく、真っ白なロングのワンピースを身に纏っていた。シンプルな形ながら、すぼまった袖口や織り込まれたプリーツ、腰元で緩く結ばれたベルト替わりの白いリボンが彼女に申請さを与えている。そして、彼女が手にしたのは大きな銀の盆だった。

 

「落とさないように気をつけてくれよ?」

 首の下に感じる金属の冷たさと、ネックピローという支えを失った状態の自分にひやひやしつつ香坂は盆の上にいる。

 スマートフォンをタイマー撮影にし、盆に乗せた生首を高く掲げたり、正面で持って愛おしそうに見下ろしたりヒロコは様々なポーズを取る。

「ダメだよ、変な顔しちゃ。これは作品なんだから」

「そんなこと言われても、写真なんて撮りなれてないから恥ずかしくてさぁ」

 カシャっとフラッシュが焚かれる度に、顔がやや強張ってしまう。最終的に目を瞑って死んだようにじっとして欲しいと言われ、不安定な置き場にただ怯えることになってしまった。

 ヒロコが満足して、やっと盆の上からテーブルへと戻された時はどれほど安堵しただろう。ネックピローのありがたみをひしひしと感じる香坂に、ヒロコは撮影したばかりの写真を見せてくれる。

 乙女と生首の構図はどこか退廃的で、その非現実さに美しさを感じないこともない。ただ香坂にしてみれば、盆の上で不安を滲ませる自分の姿は、中華円卓に乗った豚の頭の丸焼きに他ならなかった。

「サロメは、王の誕生会の余興で舞を踊ってね。その褒美になんでも与えてくれると言われて、洗礼者ヨハネの首を求めるの」

「なんで、そんな物を?」

「サロメは別に欲しくなかったんだよ。お母さんに唆されたの。王と結婚したお母さんが、かつては王の兄弟と結婚していた不貞をヨハネに指摘されてね。怒って牢獄に入れてたくらいだから」

 哀れなヨハネは、獄中で首を斬られ盆に乗せられてサロメに贈られる。画集に載った盆に置かれたヨハネの首を持つサロメの冷たい表情に、思わず香坂もぞくりとする。

「それで、どんな気持ちだったんだろうと試してみたんだけど……」

「気味が悪いだけじゃないかい?」

 尋ねる香坂に、いたずらっぽくヒロコは笑う。

「それが、意外と楽しかったんだよね。落ちたらどうしようって怖がってる、おじさんの緊張が伝わってきて」

「酷いじゃないか!! 本当におっかなかったんだからね!?」

 香坂の抗議も、まあまあとヒロコはおどけた調子でひらりとかわす。

「でも、なかなか良い画が撮れたよ?」

 翳したスマートフォンの画面には、緊張が拭いきれず顔をこわばらせた香坂と、そんな香坂に笑いを堪えるヒロコの姿があった。

 額縁に切り取られた絵画の美しさとは比べ物にならないが、スマートフォンの枠で切り取られた風景も悔しいが悪くはないと香坂はバツが悪そうに笑った。

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