有明の在り方

きうり

第一章

   1

「ええと。神社の敷地内の公園を抜けて左に曲がり、田んぼ道をまっすぐ行って三軒目、と」

 敷島瑠璃(しきしま・るり)は、スマートフォンで撮っておいた地図と、目の前の風景を照らし合わせながら歩を進めた。

 田舎の住宅街である。農家が多いらしく、広い敷地に、住居と作業小屋と車庫がまとめて建っている家が多い。作業小屋のほとんどは道路に面して建っているので、住居と見誤って件数を数え間違えそうだ。道路の両脇には田んぼと畑が多く、青々とした稲穂と、都会育ちの瑠璃には何の品目かも分からない、ねじ曲がった太い樹木がよく目についた。

(見晴らしが悪い)

 田んぼは一気に遠くまで見通せるので問題ない。しかし果樹園というのは狙撃手泣かせだな、と瑠璃は考えた。立ち並ぶ樹木の中に標的が隠れたら非常に厄介なことになりそうだ。おそらく、迂闊に中に入って標的を追いかけようものなら方向も見失うに違いない。

 このあたりは田んぼと果樹園が入り交じっており、田んぼの向こうにはカントリーエレベーターというらしい、巨大な縦長の施設が見える。

 瑠璃はどちらかといえば、果樹園よりも田んぼの方が好きだ。田んぼは、果樹園と比べて遮蔽物がないので狙撃しやすそうだから――というのももちろんあるが、何より田んぼは整然としている。もちろん果樹園も整然と区画されているのだろうが、樹木で遮られているのでそれが見えない。思うに、田園地帯の美しさとは、自然の美しさとは別に、この一定のルールに基づいてしっかりと区切られ、配置された並びそのものの美しさもあるのだろう。

 自然そのものは必ずしも美しくないと思う。人が手を加えるから美しいのだ。

「うん。ルールに従っているものは美しい」

 瑠璃は、暑さを紛らわせるように呟いた。

(もう少しで着くはず)

 歩きスマホで、地図と自分のいる位置を頭の中で照合しながら進む。途中、ものすごい青臭さにウッと思わずうめき声が漏れて横を見ると、どうやら大量の雑草を刈ったらしい痕があった。草を刈るとこんな匂いがするの? と、瑠璃は驚く。

 こんなド田舎に、あの伝説の殺し屋が隠遁しているのか――。

 瑠璃はそのことをずっと不思議に感じていた。彼女が向かっているのは、業界では伝説的存在の元・殺し屋の家である。現在はフリーでやっていると聞くが、現役時代はかなりの稼ぎだったはずで、退職後はもっといい土地で生活することもできただろうに。

 しかし理解できなくもない。商売柄、殺し屋は報復や機密の隠匿などの目的から、時として自分自身が暗殺の対象となることも多い。それは引退してからも同じことだ。身を護ろうと思うなら、慎重に居住地を選ぶことになるだろう。おそらく伝説の殺し屋・近衛有明(このえ・ありあけ)も、そんな理由から、こんな農村地帯で隠棲することに決めたのだろう。

 地図が間違っていなければ、次が近衛家の敷地だ。瑠璃から見て左の道路沿いに、物置小屋と、その向こうに車庫兼住宅らしい二階建ての家が並んでいるのが見える。情報によると、近衛家の南側には畑があるというから、その畑に物置小屋が置かれているのだろう。畑の様子は、隣家の生け垣に遮られて見えない。

 で、物置小屋の前を通過して、間もなく近衛家に到達しようとしたときだった。

「あっ」

 瑠璃は思わず小さく声を上げていた。物置の前を抜けると、その奥にある畑が見えたのだ。

 厳密には、物置は砂利の上に置かれており、その奥に地続きで畑があるのだった。面積はかなり広く、駐車場にすれば車三台くらいは停められそうだ。そこに近衛有明がいた。

 瑠璃は彼女とは会ったこともないし顔も知らないのだが、彼女のことは業界でも有名なので一目で分かった。髪型はショートカット、顔はメイク不要の美人。そして長身で、誰もが口を揃えて言うのは「水着が似合う」「水着が映える」ということだった。なぜ近衛有明の人となりを説明する際、必ずと言っていいほど水着が出てくるのか、理由を聞かされるまで瑠璃はさっぱり分からなかったのだが――。

(伝説は本当だったんだ)

 近衛有明は、常にビキニの水着を着用しているというのだ。

 そして今、目の前の畑で麦わら帽子をかぶり、鎌を手にして雑草を刈っている女性はまさにビキニ姿である。瑠璃はその光景を見た瞬間、このへんに海なんてあっただろうかという錯覚をほんの少しだけおぼえた。

 「近衛有明の水着」は、いろんな意味で有名である。

 目立つわけにいかない「仕事」の時などはさすがに相応の服装になるのだが、プライベートや打ち合わせの場などではいつも水着。しかも決まってビキニなのだ。業界では一種の「伝説」として知られているが、実際にそれを目の当たりにした者の感想は、大抵二種類に分かれるのが常だった。すなわち、「こいつは頭がおかしいのかと思った」と「見ているこっちの頭がおかしくなるかと思った」である。

 しかし、殺し屋などというのは皆どこか頭のネジがひとつ飛んでいるものだ。最初はギョッとした瑠璃だが、すぐに気を取り直して声をかけようと、一歩踏み出した。

「あの」

 その時彼女は、自分に向かって熱風が吹いたような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る