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 その女は、五年前と全く変わらないままだった。赤い傘に、赤い髪、炎のような赤い瞳。黒いロングコートを羽織っていて、黒いブーツの片方は、浅い水たまりに浸かっている。咥えているタバコも、吐き出す灰色の紫炎も変わらない。まるで五年前にタイムスリップしたようで……いや、この場合はこの女がタイムトラベラーの方がしっくりくる。それほどまでに、あの時のままの姿だった。


「ハッ、本当に現れやがったなあ」

 僕と雪月が固まっている中、江崎だけが俊敏に動き、女との間合いを瞬時に詰める。

 拳は振り翳さず、肩口から発射される江崎の本気のストレート。だがその拳が女に届くことはなく、不規則な軌道で逸れてその右腕を壁に叩きつけられる。

「あ?」

 江崎の右腕は水の枷で壁に固定されていた。

「――チッ」

 江崎は左足で女に蹴りを入れる──そのつもりだったのだろう。既に左足も水の枷で地面に固定されていて、振り上げようとした足の自由を奪われていた。

「……」

 女は無言のまま江崎に手をかざした。

 ──まずい、江崎が殺される!

 僕と雪月は同時に動いた。僕は懐から隠していた短剣を取り出し、雪月は江崎と同じ──いや、それよりも速く女に近づき、左脚でミドルキックを放つ。が、案の定その攻撃は水でできた盾に防がれる。

 ならばこれなら──!

 握った短剣を女に向かって投げつける。魔法も行使し、そのスピードは常識から非常識への一線を越え、もはや音速に近い。女は新たなに水の盾を生成するが、短剣はそれを突き破る。瞬間、二枚目の盾、これも突き抜ける。三枚目、それにヒビを入れたところで短剣は止まった。

 だが、意識は逸らせた。江崎を固定していた枷も解けた様で、雪月と共に下がって女と距離をとっている。

「──くそ、化け物が。だがてめえ、手を抜いてるな? あの時はこんなもんじゃなかったはずだ。なんのつもりだてめえ」

 僕にも違和感があった。それはこの一連の戦闘だけでも気づくことのできる、謎の違和感。

「待って、話をさせて!」

 雪月の言葉に、女は無表情のまま顔を上げる。やはり、何かおかしい。あの女がこんな表情を見せたか? 五年前のあの女なら、『話ねえ、いいよ、楽しいお話だと期待してるよ』なんておどけて見せる気がした。

「話だあ? んな悠長なこと言ってられっかよ!」

「いいから黙ってろ金髪」

「──ああ?」

 今まで感じたことないほどの殺気を感じるが、今はスルーする。

「ねえ、あなたはなんで人殺しをするの? どうして?」

「……殺されるに値する人間だからだ」

 その声は確かに五年前に聞いたあの女の声だが、これほどまでに感情のない、モノクロな声色で話さなかったはずだ。

「確かに、悪いことをしてた人たちかもしれないけど……それでも殺されるなんて酷すぎる」

「悪は悪だ。放っておけばさらに大きな悪になる」

「そんなのあなたの勝手な妄想でしょう? 確かに将来そうなっちゃう人もいるかもしれないけど、だからって命を奪っていい理由にはならない」

「……つまらない問答だな。どうせお前は死ぬのだから意味のないことだ。お前は私を止めにきたのだろう? ヒーローごっこにしては踏み込みすぎた。ここにいるお前達三人、全員殺して、これからも私が天罰を続ける」

「──は、はは、やっぱりそうか!」

 思わず笑ってしまう。そうだ、その可能性は最初からあった。いや、僕が自分を信じられないから、その可能性に辿り着けなかった。

「……狂ってんのかお前?」

 江崎が変なものを見るように僕を見てるが、まあこれもスルーだ。この女には、僕からも問わねばならないことがある。

「おい、赤い傘の女。お前は何者だ?」

「……何者? 私は神に変わって裁きを──」

「あー違う違う、そういうんじゃないんだ。じゃあ質問を変えるよ。あんたの名前は?」

 ふた通りのパターンがある。名前を知っているか、知らないか、だ。

「……」

 女は黙り込んでいる。それなら後者だ。こいつは名前を知らない。それはつまり──

「偽物だな?」

 僕の言葉に女は視線を鋭くする。

「五年前の『赤い傘の女』を演じている偽物。それがお前だ」

 魔法とは、常識の裏側にある非常識だ。僕は半人前だが、世の中には色んな魔法使いがいる。それこそ、他人に姿を変える魔法だってあるはずだ。魔法とミステリーは水と油。これは常識(表側)の事件ではなく、非常識(裏側)の事件なんだ。常識側の警察では解決できない。僕のような魔法使いがやらねば、誰がやるっていうんだ。

「で、だからなんだって言うんだ? 五年前のリベンジといかないのは残念だが、こいつが今回の犯人なんだろ?」

「いや、五年前のあの女だったら勝ち目が無かった。魔法使いとしても桁外れだし、委員会のことも恐れてなかったしな」

 委員会という言葉に江崎は疑問符をつけているが、これもまた今はスルーだ。

「それにだ、僕はこいつの正体に心当たりがある」

「……なに?」

 流石に黙っていられないようだった。確証はないが、昼間に生徒会長に調べてもらった情報からして、七割……それでもハッタリには十分だ。

「……その口、すぐに閉じさせないといけないな」

 女が前に手をかざすと、僕らがいる空間の中央に雨粒が集まりだし、最初は小さかった球体が、次第に大きく膨らんでいく。バスケットボールほどの大きさで肥大化を止めると、その球体はぷるぷると震え出した。

「──雪月! 江崎もこっちに来い!」

 雪月はその危険を察しているようで、江崎を無理やり引っ張りながら跳ねるように僕の元へ飛んできた。

「チッ、得意じゃないんだけど……!」

 僕ら三人を囲うように、水の膜でドームを張る。いわゆるバリヤってやつだ。逃げ場はないし、そもそもあれは全方位に飛ばしてきそうだが、前回と同じなら連射はないはずだ。

 想像(イメージ)する。

 創造(イメージ)する。

 弾丸だって防いでみせる──!

 そうして、球体から水の弾丸が──弾丸じゃない!?

 その球体からは、無数のトゲが伸びてきた。容赦なく僕らを囲うドームにヒビをいれ、そのまま勢い衰えることなく、トゲは徐々に貫通してくる。

「──まだだ!」

 ドームの維持に意識を集中させながらも、手の空いている思考をかき集めて再構築(イメージ)する。

 今までろくに使ってこなかった魔法だ。不相応な魔法の行使は体に、脳に容赦なく負担をかける。体力を空にした状態からの全力疾走を強要するようなものだ。

 口から何かが溢れる。鉄の味がする。だからなんだ。

 目から何かが溢れる。視界が赤く染まる。だからなんだ。

 血管の切れる音がする。突き出した両腕が震える。だから、なんだっていうんだ。

「灰夜くん!!」

 雪月の声が脳に響く。だが、それは思考の邪魔にはならない。

 雪月を、江崎だって──いや、もう誰も殺させない。

「僕の……皆の……日常を、奪うな!」


 ──気づくと、トゲを出していた球体と共に、僕の魔法のドームも消えていた。

 僕は壁に背を預けて座り込んでいた。心臓の音がバカみたいにうるさく響いてきて、肩で息をする。視界がぼやけている。……くそ、耳鳴りまでしやがる。この程度の魔法で、満身創痍ってやつだ。相変わらず雨は冷たいし、コンクリートの座りごごちは最悪だが、このまま眠ってしまいたいぐらいの経験したことのない疲労感。

「──くん! ──るくん! ──灰夜くん!!」

 雪月の声で我にかえる。眠る? 冗談じゃない。だってあいつはまだ、無表情のまま立っている。

「灰夜くん!! 大丈夫?」

 泣きそうな顔をしながら、僕の顔を雪月はハンカチで拭いてくれる。折角の真っ白なハンカチが、僕の赤色で台無しだ。

「チッ、おい、動けるか東雲?」

「……ああ、もちろんだ」

「駄目だよ灰夜くん! あなたもなに言ってるの!?」

「何って……逃げんだよ。そいつにはでけえ借りを作っちまった。気に食わねえからすぐに返してやる」

 そう吐き捨てて、江崎は赤い傘の女と対峙する。

「俺が死んでも隙を作ってやる。そのうちにてめえらは逃げろ」

「そんな……それじゃあ、あなたが」

「舐めんなよ、鮮血の雪女。俺も喧嘩じゃ負けなしだ。せいぜい時間稼いでやるよ」

「待て……江崎……」

 情けないことに声を絞り出すだけでやっとだった。

「俺はやりたいようにやる。誰の指図も受けねえよ」

 江崎は自ら死地へと踏み込んでいく。くそ、ここで江崎が殺されたら、それこそ借りを返せないじゃないか!

 ガンガンと痛みが響き渡る頭に意識を集約させる。いくら江崎でも魔法使いには勝てない。ならば魔法使いである僕がなんとかしなければ。

 もはや爆発しそうな脳を無理やり働かせる。頭の痛みは増すばかり。鉄のように冷たく重たい右腕を無理やり持ち上げる。想像(イメージ)の明確化のために、赤い傘の女に向かって手をかざす。視界がぼやけたままの目を見開き、対象を見据える。

 後のことなど考える余地はない。

 今のこと、現在のことだけ。

 今、僕が出来ることをする──!


「ストップだお前ら。取り返しのつかないことになるぞ」


 その声は女の後ろから、よく通る低い男の声だった。

 江崎は女の目前で足を止め、バックステップで距離をとる。

 女は無表情のまま動かない。いや、動くことを許されない、だ。何故なら、後ろに立つ男に拳銃を向けられているからだ。

「えっ、あの人って」

 段々と視界がクリアに戻ってくる。女に拳銃を向けている男には見覚えがあった。それはあの日、初めて惨劇の現場に足を踏み入れた時、その場に立っていた眼鏡の男だった。

「ようやく捕まえたよ、偽物(レプリカ)。にしても随分出来が悪いな。吐き気がする」

「何者だお前は?」

「私は本物(オリジナル)の知り合いだよ。人の姿を真似て悪さをしてるお前を追ってきた」

「なるほど。お前も魔法使いか?」

「もちろんそうだ。四対一だな。諦めろ」

「……魔法使いが二人と、動けるのが二人、か。一人は使い物にならなそうだが、お前の手の内がわからないこの状況は分が悪いな」

「逃げられるとでも?」

「今は逃げるさ。そうだな、決着はあのビルにしようか」

 突然、拳銃を構える男の上だけに、まるでバケツをひっくり返したような土砂降りが降り注いだ。予め上空に雨水を溜めておいていたのか?

 不意を突かれながらも、男は引き金を引いたようで、パシュとサイレンサーで抑えられた銃声が聞こえた。その弾丸をかわした女は五メートルほどの高さを飛び上がり、壁を蹴りながら街の喧騒へと消えていった。

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