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 空気が違う、とはこういうことを言うのだろう。

 五感ではなく、何か内なるものが進むのを拒否する。

 警鐘を鳴らしてくる。

 行ってはいけない、見てはいけない、と信号を絶え間なく発してくる。

 引き返せないぞ。

 後悔するぞ。

 ──わかっている。そんなことはわかっている。これはごっこ遊びじゃない。死という奈落と向き合わなければいけない。そう、これは戦いなのだと。わかっていたはずだ。


 その場所は例に漏れず明かりが乏しく、月明かりも雨雲に隠れていて照らさない。ただ、ここまで歩いてきた工業団地も薄暗かったので、直ぐに暗闇には目が慣れた。

 その場所には死体が転がっていた。そう、死体だ。人間だったものがバラバラにされて、乱雑に転がっている。地面は真っ赤っか。まだ染め足りないのか、各パーツから溢れる赤い液体は止まらない。

「──う」

 隣の雪月は口を押さえて嗚咽を漏らしてる。悲鳴を出さず、よく吐きださなかったと褒めてやりたい。かくいう僕も、迫り上がってくるものを必死に我慢していた。

「──なんだ、これ」

 なんとか絞り出した言葉だった。初めてみる人間という生物の死。それはあまりにも凄惨で。こんなにバラされているのに、それが人間であったこと、おそらく三人分の体だったものであるのがわかったのは、中でも大きく形を残していた頭部が三つ転がっているからだ。

「──あな……たは……?」

 雪月が震えた声で問いかける。僕だってその存在に気づいていた。この死者が転がる地獄の中に、生者が一人立ち尽くしていることに。

「……ふう。今時の学生はこんな場所をデートスポットに選ぶのか? こんな遅い時間に、健全じゃないな」

 黒い傘をさした男は、そう言ってため息と共に紫煙を燻らせる。暗がりで顔はよく見えないが、おそらく二十代ほどの男だ。先ほど会った浅黄先生と似たような眼鏡をかけているが、纏う空気が違う。浅黄先生の空気を柔らかいと表現するなら、この男は鋭い、だ。

「ここで見たことは忘れて、真っ直ぐ家に帰るんだな。でないと、私が困るし、君らも困ることになる」

 まったく、どういうことなんだ。死体は穴だらけになっているんじゃないのか? この男はなんだ? 赤い傘の女は?

 ──クソッ。情報の整理が追いつかない。

「あんたが……これを……?」

 言葉を引き絞りながら、考える。何よりもまずは、この男が何者であるかだ。

「君達はたまたまこの場所に来た……ってわけじゃなさそうだな。なるほど、これは困ったことになる」

 男がこちらに歩み寄ってくる。僕の体は自然と雪月を庇うように一歩踏み出し、懐に潜ませているモノに触れる。

「近づくな」

「……君達は何か──」

 その時、遠くから甲高いサイレンの音が聞こえてきた。……パトカーか?

「おっと、すでに通報は済ませてあるんだったな。君たちも面倒ごとにまき混まれたくなかったら早く離れたほうがいい」

 そう言って男は踵を返しこの場を後にしようとしたが、

「待って!」

 雪月の声で男は足を止める。

「あなたが……あなたがこの人たちを……殺したの?」

「……そうだと言ったら?」

「もしそうなら……逃すわけにはいかない」

 ずいと前に出てくる雪月の声にもう震えはなかった。僕はこの男と戦闘になった時のことを考える。小雨だが、まだ雨は降っている。魔法は使える。あとは相手がどんな魔法を使ってくるかだが……。

「……忠告だ。君たちのような子供が関わる話じゃない。それと──」

 深く吸い込んだ煙をゆっくり吐き出しながら、男は言う。

「これをやったのは私じゃない」


 男が去った後、僕達もパトカーのサイレンから逃れるようにその場を後にした。気づくと雨は止んでいて、灰色の雲の隙間からうっすらとだが月明かりもさしていた。

「……今日は終わりにしよう。雨も止んだことだしな」

 流石の雪月も目に見えて気が滅入っているようだった。それは僕も同じで、さっきの光景がまだ脳裏にこびりついている。あの女を追っていればいつかは見なければいけなかった光景。殺人鬼と戦うには目を背けることはできなかった光景だ。

「……そうだね」

 雪月は俯いて肩を震わせている。あんなもの、真っ当に生きてきた人間が見ていいものじゃなかった。それは魔法使いの僕だって変わらない。他人の死に思うことなど、何もないと思っていた。今も何か感傷があるわけじゃない。ただ、あれはこの先も忘れることのない、あまりにもショッキングな現場だった。

「大丈夫か、雪月」

「……たい……せない」

「せない?」

「──絶対に、許せない!」

 勢いよく顔を上げた雪月は、怯えているどころか決意に満ちた強い眼差しをしていた。

「あんな……あんな酷いことを。どうしてあんな事ができるの? 絶対に許せない! だから絶対にやめさせよう! ね!」

「あ、ああ」

 勢いに負けて、僕はただ頷くしかなかった。

「あの男の人は誰なんだろう? 自分はやってないって言ってたけど」

「さあ、どうだろうな。嘘をついている可能性もある」

「あ、それもそうだね。逃しちゃったのまずかったかな」

「可能性の一つだ。もしそうだとしても、過ぎたことはどうにもならない」

「それも……そうだね。これからのことを考えないと」

 確かに、あの男の存在は謎だった。天罰事件と関わりがあるのか。あの男も魔法使いなのか。もしくは委員会の可能性もある。

 考えなければいけないことが増えたが、どうにも頭が回らない。あの光景がフラッシュバックして思考を邪魔してくる。

「今から幽霊ビルに行ってもあの女の人はいないよね。雨の夜に現れるって話だし」

 また改めて話をしよう。そういうことで、この日は見回りを終わりにしてお互い帰ることにした。

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