第18話  宰相補佐の思惑

 ペネロペとアンドレスは、一切の嘘をついてはいない。


 自分たちが恋人同士だと宣言したわけでもなく、嘘偽りのない会話を繰り広げていただけなのだから、周囲の人間がそれで誤解したところで、アンドレス自身は痛くも痒くもなんともない。


 ただ、婚活目的で王宮に出仕して来たペネロペにとっては、元婚約者をギャフンと言わせることは出来たとしても、痛い代償を払ったことになるだろう。


 もっと上手い具合に話を進める方法をアンドレスは知っていた。ペネロペがその後の婚活に支障をきたすことなく、元婚約者にギャフンと言わせる術も知っている。それでも、あえてそうしなかったのは、彼なりに思うところがあったから。

 

「アンドレス・マルティネス君、君、ペネロペ嬢とだいぶ噂になっているみたいだね」


 神経質そうに眼鏡を指先で押し上げながら、アンドレスの直属の上司となる宰相であるガスパールに問いかけられたアンドレスは、素知らぬ顔であっさりと答えた。


「それを宰相閣下もお望みだと思いましたので」

「ふーん、僕の望みを慮って行動に出てくれたわけだ」


 目の前に立つ直属の部下を眺めたガスパールは、フンと鼻を鳴らす。


「魔法が関わっていないというのに嘘を見破れるというあれほどの能力、あれほどの才能を埋もれさせるのは勿体無い。他所に持って行かれるようなことにはならないよう、きっちりと見張っていてくださいね」


 国王陛下の心の中は、長年仕えてきたガスパールにも判断出来るようなものではなかったのだ。その国王の心の中をあっという間に丸裸にしてしまった彼女の手腕は素晴らしいものだった。


 しかも、この国一番の権力者である国王陛下に対して、

「はい、嘘です」

 と言いきる胆力。おそらく宰相のガスパールがペネロペに対して嘘をついたとしても、

「それは嘘です」

 と、彼女は言い切ることだろう。


 財務部に勤める官吏が元婚約者であり、浮気を繰り返された末に、相手の有責で婚約破棄にまで持っていったという令嬢は、遥かに目上の男性、権力を持った男性、見目麗しい男性を目の前にしたとしても、一切の忖度を行わない。


 自分が必要であると判断したのなら『嘘』か『真実』かを、彼女の誇りにかけて見抜いていくのだろう。

「はい、嘘です」

 と、国王陛下に言い切った時に凄みのようなものを、ガスパールはまだ幼さが残る令嬢に感じることになったのだ。


「陛下が次の王位をハビエル殿下にお譲りになると決意したというのなら、これからこの国は大きな舵きりをすることになるのでしょうね」


「信じる神さえも違うアブデルカデル帝国に我々は親睦の意を示し、ラムール人の血を引くハビエル殿下を擁立する。異教徒の排斥を望む司教たちは最後まで抵抗するであろうし、世論を味方に付けるにしてもやり方を間違えれば国家は転覆することになるだろう」


 帝国の血が混ざらないロザリア姫を女王に据えることを決定すれば、司教たちは大人しくなり、世論も何の反発もせずに女王の即位を認めるだろう。


 戦争の予兆もない平和な世の中であれば、ロザリア姫に王位継承を認めたとしても何の問題もない。破竹の勢いで勢力を拡大し続けているアブデルカデルが、北大陸への侵略を企んでいなければ、ロザリア女王が誕生したとしても何の問題もなかっただろう。


「宗教は難しい」


 ガスパールがポツリと呟くように、国政に宗教が絡み始めると、途端に問題は大きくなる。例えば、ラミレス国王が帝国との融和を何の策も講じずに発表したとするのなら、司教たちはこう叫び始めるのに違いない。


「ラミレス王は悪魔に魅入られた異端者だ!」

「異国の宗教を信じる者は到底楽園に行くことは出来ない!死しても楽園を望むことは永劫出来ないであろう!」


 自分の死後、楽園(天国)に行くことを望んで神に祈り捧げる人々は、楽園に行けないという言葉に恐怖に似た思いを抱いている。


 異端者になれば、自分だけでなく一族郎党、全ての者たちが楽園を諦めることになる。

 この考えが浸透しているからこそ、司教たちは絶大な力を持っているのだ。


「私に案があるのですが」


 もしもラミレス王がハビエル王子の擁立を考えたら、起こりうる問題に対して幾つものシミュレーションを考えていたアンドレスが進言をすると、

「我が国まで帝国の皇子を引っ張り出すか・・・」

 唸るような声でガスパールは呟いた。


「そこで嘘を見抜く令嬢の登場か・・ペネロペ嬢はそこまで使えると思っているのか?」

「ええ、使えると私は思います」

「そこで気に入られて帝国に連れて行かれても困るのだがね」

「ええ、ですから彼女を私の婚約者、もしくは、私の妻としたいと考えています」


 表情を動かすことが極端に少ないガスパールが、驚きに目を見開きながら自分の部下を見上げた為に、鼻にかけていた眼鏡がずるりと落ちそうになる。


「生涯独身を貫くとか何とか言っていたお前が結婚だって?」

「ええ、まあ、私もそろそろ良い年になったので」


 そう言って、何故か凄みのある笑みを浮かべるアンドレス・マルティネスのバランスの取れた美しい容姿を見上げたガスパールは、大きなため息を吐き出した。


「ペネロペ嬢はロザリア姫のお気に入りとなっている、ヘマはやらかすなよ?」

「もちろん、ヘマなどやらかしませんよ」


 アンドレスもガスパールも、人の嘘を見抜くことにかけては自負しているところがあったのだが、ペネロペ嬢のやり方と見抜き方は異次元のレベルのように彼らには見えるのだ。


 彼女自身、いつでも百パーセント嘘が見抜けるわけではないとは言ってはいるけれど、精神感応系の魔法を使用したわけでもないのに、相手の心を丸裸にする話術は素晴らしいものだった。


「であるのなら、令嬢を絶対に手放すなよ」

「宰相閣下に言われなくても十分に分かっておりますよ」


 彼女はアンドレスにとって、唯一欲しいと思った一輪の花なのだ。


「それにしてもペネロペ嬢は、アストゥリアスの花のような人だな」 

 眼鏡を外したガスパールは、自分の眉間を揉みながら言い出した。


「アストゥリアスの花の根は、昔は自白剤として使用していたと言われている。依存性が高いことから今では使われなくなった花だが、髪色といい、新緑の瞳といい、国家の花のような令嬢じゃないか」


 アストゥリアスは王宮の奥の庭園にのみ咲いている幻の花とも呼ばれている。建国の王マルケスが愛した女によく似た花の名を国の名前にしたのだと公には言われているのだが、マルケス王がアストゥリアスの名を国の名にしたのはそんなロマンティックな理由ではない。


「我が国に嘘偽りなど通らない、この花(自白剤)がある限り、どんな嘘でも見破ろう!」

 という威嚇と共に、周辺諸国へ喧伝するために、この名を国名としたというのが本当の話。


「確かに、亜麻色の花びらは彼女の髪色と同じですし、アストゥリアスの若葉はペネロペ嬢の瞳と同じものと言えるでしょう」


 アストゥリアスの花は依存性が高い、この男には珍しい執着心のようなものを垣間見たガスパールは、口元に意地悪な笑みを浮かべたのだった。

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