第2話  無言の有効性

 微笑を浮かべたまま無言を貫くペネロペに笑みを浮かべたフェレは、普段ではありえないほど多弁となって語り出した。


「君だって学生なのだから、男子学生と会話をすることもあるだろう?それと同じことで、僕だって仕事をしている関係で、女性と会話をすることだってそりゃあるよ。なに?もしかして、嫉妬しているの?ペネロペはかわいいなあ」

「・・・・・」


「君が宮廷に来ることはないから、街を歩いている時に、僕が誰かと居るところを見たのかな?あれは、仕事の関係で役所に移動していた時のことだから」

「・・・・・」


「私服だったのも気になるのかな?僕ら宮廷で働く人間は、外に出る時にわざと、私服に着替えることもあるんだよ。特に人の出入りが激しい店なんかは調査の対象になることもあるからね。カップルと偽って店に入り、内情を探るなんてことも多いんだよ」

「・・・・・」


「君が何を誤解をしているのかわからないけれど、僕は清廉潔白なのは間違いのない事実だよ。僕が婚約者の君を裏切ると思う?まさか、僕が浮気していると考えているのかい?冗談じゃないよ!君がそんなバカな子だなんて思いもしなかったな!」

「・・・・・」


「僕が今まで君にどれだけ尽くして来たかを忘れてしまったのかい?僕が愛するのは君だけだといつでも言っているのに、そんな疑いの眼差しで見られるなんてショックだよ!君ってそんな人だったわけ?僕は仕事を一生懸命頑張っているというのに、君は、本当に、何も分かっていないんだね?本当の本当に残念だよ!」


 今までのペネロペだったら、フェレの言葉に流され、仕事で忙しいフェレを慮らず、自分の意見を主張した自分の方が悪かったのではないかと思ってしまったことだろう。


 彼を疑った自分が悪いんだ、彼を信じられない私が悪いんだ。


 政略結婚とはいえ、今までフェレが自分を大事にしてくれたのは本当だし、彼がやましいことがないというのなら、婚約者である自分は信じてあげなければならない。

 そう考えてしまっていたところだけど・・・


「フェレ様」


 彼の名前を呼んだペネロペは、その幼さが残る、可憐で可愛らしい顔に花開くような笑みを浮かべた。


 今、ペネロペが沈黙を貫いている間に、フェレは幾つものサインを出していた。


 人は、嘘をつく前に唇を舐めたり、無意識のうちに一文字に引き結んだりなどの行動を起こすことがほとんどだ。更にはその後に、視線を動かさずこちらを凝視をしながら、通常の倍の情報量を彼は吐き出し続けたのだ。


 普通、人は自然と視線を周囲に移動させたり、意識することなく瞬きを繰り返すことになるけれど、嘘をつく人は、相手をコントロールするために視線を一点に固定する。


 極端に瞬きが少なくなり、相手を凝視するようになるのだが、これは、相手に真実を知って貰おうと必死になっているわけでは決してない。自分の都合が悪い方へ相手の思考が行かないようにするために多弁となり、威嚇と言っても良いような視線で熱心に見つめるようになる。いらないと思われるような情報を沢山相手に与えるのもまた嘘をついている証拠でもあるのだ。


 誠実に自分のことを語り、清廉潔白であると主張したいが為に多弁になっている訳では決してなく、自分の都合が悪いことを覆い隠すために、いらない情報まで相手に与えて惑わすわけだ。


 つまりは、こちらが必要としない情報まで相手に与えるのは誠実な証ではなく、嘘の証に他ならない。


 フェレが今言った言葉の中にある、

「私服だったのも気になるのかな?僕ら宮廷で働く人間は、外に出る時にわざと、私服に着替えることもあるんだよ。特に人の出入りが激しい店なんかは調査の対象になることもあるからね。カップルと偽って店に入り、内情を探るなんてことも多いんだよ」

 と言っていた言葉は、彼が、女性と一緒にデートしていたことを示唆している。


 もし仮に、彼が秘密裏の調査として市井に降りていたことがあったとしても、もしもそれが浮気ではないのであれば、ここまでの情報を話しやしない。それは何故かと言うならば、自分にはやましい事がカケラもなければ、わざわざ口に出す必要性を感じないからだ。


 やましい事がないのに、女性と外に二人っきりで出掛けていたと言い出して相手に疑惑を持たれるよりも、黙っていた方が平和に過ごせるのは間違いない。


 だからこそ、この場でそんなことを言い出したフェレは完全に黒だということが、この短時間で判明したことになる。


 フェレが実際に仕事が忙しいのかどうかは分からないけれど、彼に女が居るのは間違いない。恐らく王宮に居る誰かであり(彼は仕事で女性と話していることが多いと自ら主張しているのだ)おそらく、外でも会っているのだろう。


 それが、婚約者であるペネロペと一緒に居る時間を削減してまで選ぶような女性であるとしても、彼がその女性のことをどれほど真剣に考えているのかまでは分からない。


「ペネロペ、誤解は解けたかな?僕が愛するのはペネロペだけなんだ。仕事が忙しいことにかまけて君をおろそかにした僕が悪いんだよね。今度、君が好きな演劇でも見に行くことにしよう」


 と言って、フェレは笑みを浮かべたけれど、現在の彼は、ペネロペに対して観劇に誘う程度にはまだ利用価値があると考えているのだろう。


 二人は政略で結ばれた婚約者同士で、ペネロペが学校を卒業すれば結婚をする予定となっている。そろそろ、一年後に行われる結婚式の詳細について話し合わなければならない時期に差し掛かってはいたのだけれど、

「いいえ、観劇になど行きませんわ」

 ペネロペはそう答えて立ち上がる。


「気分がすぐれませんの、今日はこれで失礼致しますわね」


 ペネロペは、ただ、ただ、無言を貫き通すだけで、多くの情報を得ることに成功した。

「敵国の諜報員だって、この無言のプレッシャーに屈することもありますのよ」

 と、グロリアは言っていたが、確かにこの『無言』の有効性は相当なものだと言えるだろう。


 この時フェレは、年下の婚約者がちょっとへそを曲げただけ。仕事が忙しいと言って最近は相手にしていなかったからちょっと拗ねただけだと軽く考えていたのだが、その十日後にはフェレが同僚の女性と恋人同士、しかも半同棲状態となっているという詳細な情報が書面となって送られてくることとなったのだ。最終的にはフェレの不貞による有責ということで、ペネロペとの婚約は破棄されることになった。


 ちなみにフェレの家はペネロペの家からの出資によって鉱山の開発を進めることが出来たのだが、こちらの事業の支援が打ち切られることが決定することになる。


「ペネロペ、あちらの領地にある鉱山はそれなりに鉱石を採掘する事が出来たは出来たが、安全な場所の採掘は終わってしまったような状態でね、より深く掘るには更に資金を投入する必要があったのだよ。しかも、採掘量と出資額が見合わないんじゃないかという予想がついていたのでね」


 と、ペネロペの父は言い出した。


「娘が嫁ぐ家だから、どうしようかと悩んでいたところだったのだが、相手の浮気でスッパリと縁が切れることになったのだから本当に良かったことだよ。実は浮気をうまい具合に察知したペネロペに感謝しているくらいなんだよ?」


 そう言って父は傷心のペネロペの頭を優しく撫でてくれたのだが、もうすぐ十八歳で婚約破棄という事実は、重くペネロペの上にのしかかって来ることになるのだった。

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