異種族達の決戦(22日目:呪文)

 月の光が差し込む静まりかえった室内に、ランフォードが一歩一歩前に進んでくる靴音が、いやに大きく響き渡る。ランフォードはレクトールの前に立った。二人の間の距離が、ランフォードの間合いなのだろう。――意外と近い。

「レクトール。コンラート君は、私と君との争いには無関係だ。即刻解放してもらおう」

「……断る、と言ったら?」

「――そのときは、私も実力行使に出るまでだよ」

 ランフォードは構えを取った。元は騎士であるコンラートにはわかる。ランフォードの構えは、武芸を嗜んでいるものの構えだ。レクトールはランフォードから視線を外さずに、コンラートの方に片手を伸ばした。

「ランフォード。そこから一歩でも動いたら、あの生首は微塵に砕け散るぞ」

 レクトールが呪文のようなものを呟くと、コンラートの方に伸ばした手が仄かに灰色の光を放ち始めた。その光も、レクトール本人のように、冷たく感じる。

 その光を見ても、ランフォードは表情ひとつ変えない。普段の穏やかな笑みとはどこか違う笑みを浮かべて、ランフォードはレクトールを見た。

「私が全くの無策で乗り込んだと思うかね、レクトール?」

「――そういうことだな」

 よく聞き慣れた低い声が部屋に響いた瞬間、コンラートの乗せられているテーブルが、黄金に輝いた。驚愕するレクトールをよそにテーブルの下からジェフが出てきて、コンラートを背に庇い、レクトールのかざす手の前に立つ。

「ジェフ! 何故ここに。貴方の気配は全くなかったはず」

「そうだな。お前は今、俺様の気配は全く感じていなかったはずだ。俺様、極限まで能力を抑え込んでいたからなあ?」

「……まさか、只人同然まで力を抑え込んで、あらかじめこの場にいたと言うのですか。貴方がそこまでする必要は無いはず」

 レクトールの声が僅かに震え、視線が泳いでいる。受けた衝撃は大きかったようだ。

「お前の考えた通りだ、レクトール。そして俺様がここまでする必要があるかという問いだが、今回はある。――今回のお前のやり方は、俺様の美学には反しているんでな。さっさと首だけ騎士から手を引くんだな、レクトール」

 ジェフが何事かコンラートのわからない呪文を唱えた。唱えると同時に、爆発的な黄金の光がジェフを包み込んだ。コンラートにはその背しか見えないので前面の変化はわからないが、後ろから見ていても耳が尖り、その右手には黄金の錫杖があるのはわかる。ジェフが錫杖で床をどんとつくと、コンラートの全身に走っていた痺れが解けた。

「約定は果たす。首だけ騎士は俺様に任せろ。――行け、ラン!」

「ありがとう、ジェフ。――これで私も心置きなく全力を出せる」

 レクトールから視線を外さずに、ランフォードは呪文を唱える。ランフォードを包み込んだのは、黒い光。光の中から現れたランフォードは、ジェフ同様に耳が尖り、虹彩は初めて出会った頃見た形になっていた。黒い髪は一緒に旅をしているときよりも、長い。――恐らくこれが、ランフォードの真の姿なのだろう。ランフォードが手を閃かせると、その手の中に剣が現れた。

「場所を変えるよ、レクトール。こちらの世界を破壊するのは、本意ではない」

 ランフォードが手を振ると、空間が歪んだ。次の瞬間コンラート達がいたのは、見たことの無い大地。そこには水晶のようなもので出来た柱が幾本も並び、大地も不思議な光を放っていた。

 


「ここは……まさか」

「察しがいいな、首だけ騎士。正解だ。ここは魔界だ」

 錫杖を構え、対峙するランフォードとレクトールから視線を外さずに、ジェフが答えてくれた。

「……魔界に、人間の俺が入り込んでいいのか?」

「それはいいだろう。第一こうしないと、お前の国が焦土と化すぞ。ランが全力で戦うというのは、そういうことだ」

 立ち上がったレクトールの手の中に鎌が現れた。ランフォードとレクトールは、互いの隙を窺いながら、円を描くように動き回っている。

「……ジェフ。ひとつ聞くが」

「ランの一番得意なものか? あいつの力は、本人の性格や望むこととは真逆だ。――要は破壊だな。俺様、魔法だけでの勝負ならランに勝てると思うが、直接戦闘をしたら、恐らくそうはいかないぜ」

 ランフォードがレクトールとの距離を詰めた。剣を振りかざし、レクトールに斬りかかる。レクトールは難なくランフォードの剣を受け止めたが、瞬間、ランフォードは剣を持たない方の手を伸ばして、呪文を唱えた。至近距離で爆発が起こり、レクトールを容赦なく吹き飛ばす。バランスを崩してつんのめるレクトールをよそに、ランフォードは軽いステップで、体勢を素早く整えていた。

「――おのれ、ランフォード!」

 レクトールが呪文を唱え、鋭い雷撃を放つ。だが、体勢の整っているランフォードはそれを軽く躱した。そして身を翻した反動で、再びランフォードはレクトールに肉薄する。鎌のリーチの中に入り込んで、真っ直ぐレクトールを剣で、突き刺すようにランフォードは斬った。剣が鋭くレクトールを裂き、どす黒い血が撒き散らされる。

「ぐっ……おのれ……!」

 レクトールが傷を押さえ、ジェフの方を見た。――正確には、その後方のコンラートを。

「私が何も仕掛けをしていないと思うのか、ランフォード! 私がある呪文を唱えると、その生首は弾け飛ぶ……!」

「――やってみるがいいよ、レクトール。私はジェフを信頼している。君の思うようにはいかないはずだ」

「果たしてそうかな? ジェフは口では何と言おうと中立、そこまで貴様の味方はすまい!」

 レクトールは高らかに長い呪文を唱えはじめた。

「ほう? 俺様を見くびるなよ、レクトール」

 ジェフはコンラートの頭にその大きな手をかざし、素早く呪文を唱えた。レクトールの呪文よりもジェフの呪文は早く完成し、完成した瞬間コンラートは不可思議な文字が描かれた結界に包み込まれる。

 レクトールの呪文が完成した。……だが、コンラートの身には何も起こらない。起こったことと言えば、コンラートを包み込んでいる結界の文字が、輝いただけ。

「ジェフ! 何故そこまでする」

「俺様さっき言ったな。今回のお前のやり方は、俺様の美学に反すると」

「たかがそれだけのことで、貴方はランフォードに加勢するのか……?」

「たかがそれだけ? 俺様にとっては十分な理由だぜ? 俺様、ランと首だけ騎士に誓ったことがある。――ティファレトの誓約を甘く見るなよ、レクトール!」

 裂帛れっぱくの気合を込めた大喝だった。――こんな面も、ジェフは持っていたのか。

「さあ、勝負をつけよう、レクトール。――当分、私たちに手を出さないことだ。そして、コンラート君のことは忘れることだね」

 ランフォードの構える剣の刃が、仄かに黒く輝いた。一気にレクトールとの距離を詰めると、ランフォードはレクトールを一刀の下袈裟切りにする。

「おのれ……今回はここまでにしておきましょう……だが次は無いと思え、ランフォード。貴様の部族もろとも貴様を消滅させるのが、我が望み……」

 血が溢れ続ける傷を押さえながらレクトールは手を振る。瞬間、レクトールの姿はその場から消え失せていた――。



「終わったな、ラン。――どうした、その顔は」

 ランフォードは勝ったというのに、悲しそうな瞳をしていた。今にも泣き出しそうな顔だ。

「俺様、約束は守った。首だけ騎士は無事だぞ。――行ってやれ」

 ジェフに肩を叩かれてようやく、ランフォードはふらふらとコンラートの元にやってきて、側に膝をつく。

「……恐ろしい目に遭わせて済まなかったね、コンラート君。……本当の私は、このような存在なのだよ……」

「……それで、何だ?」

「……え?」

「レクトールに対抗するために、ランフォードとジェフは本気を出してくれたんだろう? 俺にとってはそれだけだ。別にランフォードのことを恐ろしいとは思ってないし、印象も変わらない」

「そう……なのかね?」

「それを言うなら、俺は喋る生首だ。そんな俺を見てもランフォード達は普通に接してくれたじゃないか。――それと同じだ。……だからあまり気に病まないでくれ」

 コンラートの言葉を聞いて、ランフォードの瞳に溢れてくるものがあった。とめどなく溢れ続ける透明な雫が、ぽたりとコンラートの額を濡らす。

「……君は本当に立派だよ、コンラート君。本当に、本当に……」

「気が済んだか、ラン? ――なら、戻るぞ。首だけ騎士に、魔族二人なんていう、ふぞろいな旅にな」

 ランフォードは声も無く、ひとつ頷く。

 ジェフが錫杖を振るうと、一行は元いた屋敷に戻っていたのであった。

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