指輪の魔女と魔導士皇帝~裏切られた大魔導師は愛を知る~

千早 朔

第1話指輪の魔女と皇帝

 いつからだったか。

 目を開くたびに飛び込んでくる世界が、ひどく、歪んでしまったのは。


「殺せ! ええい、なにをしている"指輪の魔女"!! 全てだ! 俺以外の全てを殺せええええ!!!」


 醜い咆哮に重なるは、数多の剣が斬り合う音に、命を散らしていく男たちの悲鳴。

 トルメキア帝国の権威を写した豪勢な玉座の前には、皇帝ラシート・ボランドがこの場所は譲らんとばかりに立ち、怒号を飛ばしながらその指で光る"呪われた指輪"へと自身の魔力を送り続ける。


 見目こそ齢二十四のままだけれど、私がこの指輪に封じられたのは、もう覚えていないほど前。

 いつしか"指輪の魔女"と呼ばれるまでになってしまった私は、"血の契約"に逆らえない。


 目も、耳も。届く情報に感情を乗せることなく受け流し、契約主の命じるまま、触れたモノを切り裂く魔光を周囲に放つ。

 それが私の役割で、指輪の強制力だから。

 指輪の契約が続く限り、己では死ぬこともできない、。


「は、ハハハハハッ! どうだ、数だけのネズミ共が……っ! 俺には"呪われた指輪"がある! 美しく残虐な"指輪の魔女"が、貴様らを全てを斬り捨ててくれるわ!!」


 振り上げられたラシートの腕が、私の腰まで伸びた金の髪をすり抜けた。

 無理もない。実体を伴わない虚像には、何者も触れることは出来ないのだから。

 案の定、ラシートは驚く素振りもなく、興奮を募らせ、


「しつこいネズミ共め、まだ分からないのか! 貴様らがいくら足掻こうが、この魔女が全て――」


 あ、と。咄嗟に感じた"主"の異変に、振り返る。

 分厚いマントに隠されたラシートの背から胸部までを貫く、美しいまでに鋭利な刃。その剣を握り押し込めるのは、漆黒の髪を持つひとりの男。

 

(いつの間に)


 玉座に近づく人間は全て打ち倒していた。

 気配すら感じなかったとなると、おそらくは……魔術を使って瞬時にラシートの背後に現れた可能性が高い。


 玉座から伸びるビロードの絨毯よりも煌々とした二つの赤が、ちらりと私を見遣った。

 けれどもそれはほんの一瞬。ラシートが「この、ドブネズミが……っ!」と呻き、憤怒に支配された形相で私へ命じる。


「はや、く、コイツを殺せ……っ!」


 私はゆるりと首を振る。


「あなたはもう、私の"主"ではないわ」


「なにっ……!? この俺に、け、いやくに、逆らうの、か……っ!」


「いいえ」


 私は嘆息交じりに、


「忘れてしまったの? "血の契約"によって私を使うには、どんなに微量でも構わないから己の魔力を指輪に流し続ける必要があるのよ」


 もはや声を発することすら難しくなったのだろうその男を無感情に見遣り、私は自身の胸部をトントンと指さす。


「もう、魔力どころじゃないじゃない」


「~~~~っ!!」


 カハッ、と男の口から罵倒の代わりに鮮血が飛び散ったと同時に、"血の契約"が途切れたのを感じた。

 ほぼ同じくして、己の姿が解けるようにして消えていくのも。


(次は、どれだけ眠れるかしら)


 規格外の力を得られると、"呪われた指輪"を求める者は多い。

 ここ数十年は"皇帝"の手にあったけれど……。


(次は、この男が"主"になるのかしら)


 皇帝を討った者が次の王座を得る。珍しくもない、よくあること。

 そしてその王が、"私"を手にすることも。


 刹那、ずるりと地に崩れ落ちたラシートから剣を引き抜いた男が、私を見据えた。

 歳は二十の半ばくらいかしら。私の姿と同じくらいか、少し上のように見える。


 権力を存分に堪能し、欲の限りを尽くしてきたラシートを討ち取ったというのに、その体躯はどうにも"屈強な騎士"とは言い難い。


 筋肉質というよりもしなやかで、整った顔つきは剣を好む男の獰猛さをまったく感じさせず、どちらかといえば――物事を追求し、新たなことわりを作りあげる魔術を好むような。


(どちらにせよ、次の満月にはわかることね)


 新たな主による"血の契約"は、満月の夜に行われるから。

 景色が掠れ、完全に途切れる間際。

 私に向けられた男の笑みは、揺らぐ炎光を反射する銀の刃のごとく、美しかった。

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