第2話 まだ何も知らない

「―――そのぞめさーん!!」


昼下がりの大学構内。

混み合う食堂のカウンター。

その内側では、キビキビと動くおばちゃんらが、食券を片手に無限の列を成す学生らを捌いている。


そんな忙しない昼時の様子を俯瞰できる真横に設置されてあるのが、種類豊富な三台の自動販売機である。


その三台のうち、選りすぐるように左端の機器のボタンに指を這わせていた『彼女』の姿を偶然見つけた俺は、食堂に飛び交う数多くの喧騒を貫く大声で、彼女の元へと駆けていた。


「……げっ。」


俺の発した大声に、びくっと肩を震わせこちらを見る彼女。

その目には、『またお前か。』と言わんような呆れた色を覗かせていた。


「やほ!元気?今日も可愛いね。何飲もうとしてるの?良ければ俺が買うよ!」


「……白雲くんに機嫌を気にされるほど仲良くないし、妙に彼氏ヅラするのもやめて欲しいんだけど。」


「またまた〜、嫌よ嫌よも好きのうちってね☆」


「あー、話にならねぇ。」


ぶつぶつと小言を吐きながら、彼女は自販機のボタンを押す。

彼女が今回選んだ飲み物は、『正午の紅茶』。


「『正午の紅茶』を正午に飲むなんて……!」


「……?何も問題ないじゃない?」


「―――偉い!!」


「……特に指摘することもないなら黙っててくれない?」


自販機からペットボトルのそれを取り出して、早々とその場を離れようとする彼女。


「……え?俺まだ飲み物買ってないよ?」


「……一人で勝手にどうぞ〜。」


俺の静止の声も聞かず、そのまま食堂の奥の方へと消えてしまった。


「…………。」


『あの日』から、約一ヵ月が経った。

『あの日』とは、俺と彼女が初めて出会った日のことだ。


俺はあの時、彼女にこう告げたのだ。


―――『俺の彼女にならないか?』と。


「……何を言ってるの?どういう神経してるの?頭大丈夫?」


脳内に蘇るのは、紅葉の舞い散る並木道。

そこで交わされた記憶。


彼女は本気で困惑するかのように、俺を疑心に満ちた瞳で見つめてきていた。


……しかし、そんなことは気にも留めず、俺は『あの日』からずっと、先程のように彼女を見かけては絡みまくっている。


だって可愛い彼女欲しいし。


……いや、それなら告白してきてくれた子で良いじゃん!って意見も分かるんだけどね。


俺に告白してくれた子が可愛くなかったとか、そういうんじゃないからさ。


でもほら、俺にも色々と思うことがあるわけで、今はどうしてもあの子が良いわけよ。


「…………。」


人混みの中に遠くなっていく彼女の背を見つめる。


……どうしたもんかなぁ。


正直に言って、今のままでは、これ以上彼女との距離が近付くような気がしない。


かと言って、あまりにもしつこく付き纏うと、それこそ彼女に嫌われてしまう。


……ひたすらアタックするしかないかぁ。


「……あの、すみません。」


「…………ん?」


その時突然、初めから分かりきっていた結論を改めて下したところで、後ろから声をかけられた。


振り向くと、そこに立っていたのは目元が髪で隠れた少し内気そうな男性。

俺より一つ下の学生っぽい。


「自販機で飲み物買いたいので、ちょっと横に逸れてもらっても良いですか?」


「ああ、ごめんよー。」


確かに、飲み物を買うわけでもないのに自販機の前に立たれると、そりゃ迷惑だ。

俺は謝罪の言葉を口にしつつ、二三歩後ろに下がってから、今になってようやく自販機に並んだ飲み物を目で追い、物色し始める。


……べっつに飲みたいもんなんかないな。


しかしまぁこれが、びっくりするくらい飲みたい物がない。

喉が渇いていないわけじゃないけど、今すぐ水分を欲しているわけでもないから、しょうみどれも、あんまり変わらない気がする。


……無難に水でもいっとくか?


ここまできたら、無理に買わなくても良いのでは?という意見も聞こえてきそうではあるが、今日は午後も講義があるので、どうせ後で買う羽目になる。


そんなこんな考えていると、自然と意識は目の前の男性へといくわけで。


…………おっ。


その人は色々と悩む素振りを見せた後、数ある飲料水の中から『正午の紅茶』をチョイスした。


…………『正午の紅茶』か。


何かと名前はよく耳にする飲み物ではあるが、そういえば生まれてこの方、一度も飲んだことがない。


確か、薗染さんも『正午の紅茶』を好んでいたような……


「へい兄弟!ちょっといいかな?」


「……ひぃっ!?なんですか!?」


俺は、目の前の男性と肩を組むように相手の首元へと腕を回し、互いの顔を近付ける。


「いやー、ちょっと聞きたいことがあってね?」


「ちょっとたいこと!?僕は殺されるんですね!?分かりました!はい!ごめんなさい!でも最後に一言だけ言わせてください!お父さんお母さん、今まで大事に育ててくれてありがとうございましたッ!生まれ変わってもまた、お父さんとお母さんの子供が良いな!……って、もう二人とも四十代後半だから無理かぁぁああ!?」


「…………。」



…………え、なにこの人。



見た目から想像していたのとは全然違う……というより頭がおかしいヤツ過ぎて、俺は素直に引いてしまう。


「―――それと希海のぞみちゃん!」


「まだ出てくる!?」


「僕みたいな変人に愛想も尽かさず、ずっと大好きでいてくれてありがとうぉぉおおッ!ちょっと重いところもあったけど、生まれ変わったらもっと君に相応しい男になって戻ってくるから、できたら待っててくれええええええ!!無理なら大丈夫ぅぅううう!!」


「…………。」



…………本当に、何を言ってるんだ?



「あと―――!」


「もうええわ!!」


俺は思わず口をついて出てきたツッコミを入れると同時、彼に回していた腕を解き、肩組みをやめる。


「…………!?解放された、だと?」


「……いや、そもそも君に危害を加えようとしてたわけじゃないから。」


「希海ちゃんなら、『これから一週間は監禁コースだよ♡』ってなるところなのに……!?」


「…………。」


…………それはやべぇよ希海ちゃん。


希海ちゃんなる人の『ちょっと重い』どころではない発言がポロリされたが、まぁ、とりあえずそれは俺には関係のないことだ。


この世には、いきなり肩を組まれると頭がおかしくなる人間が存在するという事実を頭のメモに書き加えながら、俺は口を開いた。


「……ところでさぁ、君って『正午の紅茶』が好きなの?」


「……?なんでですか?」


「ほら、だって今君が手に持ってるのって『正午の紅茶』でしょ?わざわざ買うくらいだし、好きなのかなぁって。」


「あー…………。」


そう尋ねると、彼は一瞬視線を彷徨わせたが、一瞬の後、少し照れくさそうに笑いながら俺の問いに答える。


「……僕には彼女がいるんですけど、その子はこの飲み物がすっごく好きみたいで、それで気になって買ってみたってだけなんです。」


「ほーう?どんな味か気になったと?」


「そ、そうです。彼女は僕のことをとってもよく知ってるけど、僕はあんまり彼女の好き嫌いとか知らないなぁって思って。」


「ふーん?もっと彼女のことを知りたくなったということかな?」


「ま、まぁ、たかが飲み物如きで何を言っているんだ。って笑われるかもしれないですけど、そういうことですね。」


「いやいや、そんなことないさ。愛しいパートナーのことをもっと知りたいと思うことは何もおかしいことじゃない。初々しいねぇーこのやろう、羨ましいぞ。」


「あはは……。」



…………愛する人のことをもっと知りたい、か。



思えば俺は、彼女にグイグイ詰めてるだけで、真の意味で彼女のことを知ろうとはしていないのかもしれない。


恋人になってくれさえすれば、後はどうでもいい的な?

流石にそこまでは思っていないけど、でもきっとそういう雰囲気が出てしまっているのだろう。


「それじゃあ―――」


俺は自販機の前に立ち、お金を投入してボタンを押す。

もちろん、俺が選んだのは『あの飲み物』だ。


自販機からそれを取り出し、やがて俺は、目の前で小さく首を傾げている彼に向けて笑いかけた。


「―――俺も頑張ろうかな。」


ちょっと変な子だったけど、それでも何か、彼から大きなヒントを貰った気がする。

そのことに感謝を伝えようと、俺は改めて彼に向き直り、礼の言葉を告げようとした。


……が、何故か驚いた表情のまま、俺を凝視するようにその子は固まっていた。


「…………?」


俺は、開きかけの口をそのままに、その様子に首を傾げる。


何か、信じられないものでも見ているかのような、受け入れられない現実に直面し、脳が考えることを放棄したような、そんな顔。


それでいて、何か緊張感を感じさせる表情だ。


そう感じたその時、固まっていた彼の表情が、段々と青ざめていくのが分かった。

見る見るうちに険しくなる表情と、混乱するように瞳が揺れている。


……様子が変だぞ。


そのことに気付いたと同時だった。

彼の視線が、時たま俺の手に持つ飲み物に注がれていること、そしてそれの意味することを察したのは。


「まさか、僕の彼女を奪おうと!?」


「あっ、違うよ!?」


どうやら、盛大な勘違いをされてしまっていたらしい。






















































「―――で結局、私のところに来たんだ。」


「えへへ、薗染さんの匂いを辿ったら簡単だよ。」


「……さりげなく気持ち悪いのやめてくれない?」


あの後、彼の誤解を解いた後に、これも何かの縁ということで連絡先だけ交換してから彼と別れた。


いやはや面白い人と知り合えた、今日は良い日である。


今日も今日とて彼女はこの食堂で昼飯を食べるのだから、このチャンスを見逃すわけにはいくまい。

食堂の中を探し回り、沢山の人混みからやっと彼女を見つけ出して、彼女の正面の席に腰掛けた。


そして、彼女を『知る』ということを念頭に置いて、コミュニケーションを図るのだ。


「そういや、これ見て!」


「…………なに?」


「パンパカパーン!『正午の紅茶』~。」


彼女に見せつけるように、そのペットボトルを彼女の眼前に掲げる。


「…………??」


俺のこの行動の意図を測りかねてか、彼女の眉は怪訝に曲がっている。

だから俺は、そのことの説明も兼ねて、今自分の思っていることを素直に彼女に言うことにした。


「……俺さ、ぶっちゃけ薗染さんとエッチなことしたいんだよねー。」


「ブーッ!?」


突如、目の前に現れたのはミルクティー色の弾幕。

当然、避けられるような術もなく、俺はそれを顔面に浴びる。


「あー!?ごめん!いや、ごめんじゃない!最っ低!」


「…………俺は最高の気分だ。」


「何言ってんの!?もう変態!!早く拭いて!ちょっと!口の周り舐めないで!!」


「……まさか、こんなにも早く間接キスにありつけるとは。」


「ちょっと黙って!ついでに死んで!!」


「ついでがついでじゃねぇ……」


やがて、彼女の持っていた雑巾で顔面の表面の皮膚を念入りに削り取られた後、顔を洗面台まで洗いに行かされ、ついでに雑巾に染みたミルクティーもゴシゴシと洗わさせられる。


…………この扱い、僕は床の汚れか何かですか。


ぶつぶつと心中で不平を垂れながらも、ようやく食堂に戻ってきた頃には、彼女も落ち着きを取り戻しており、顔面ミルクティー発射の件については謝ってくれた。


……まぁ、これに関しては別に気にしてないけどね。


「……んで話は戻るけど、俺は薗染さんのことを、実はあまり知らないということに気付いたのだよ。」


「…………は、はぁ。」


「親密な関係を築くには、まずは互いを知らなきゃでしょ?だからこれ!」


そう言って、再び『正午の紅茶』を手に掲げる。


「…………好きなの?」


「……ん?飲むのは初めてだよ?」


「…………どういうこと?」


「だ・か・ら・小さなことから薗染さんのことを知っていこうっていう試みだよ!」


「あー、そういうこと。」


彼女は、やっと俺の行動の意味を理解したのか、納得したかのように声を上げる。


「……でも、私は白雲くんと仲良くなりたいと思ってないんだけど?」


しかし、やっぱりそこだけは譲らないのか、呆れたような表情を浮かべる彼女は、未だ攻め落とすことは叶わぬ城だ。


―――けれど。


「……もちろん、俺を拒絶してくれても構わない。でも、いつか絶対に俺の隣に居てよかったって思わせてみせるから。」


出来る限り強気に。


不敵な笑みを、彼女に見せた。


「…………そっ。」


短くそれだけ呟いて、ぷいっと顔を背けてしまった彼女。


俺に隠したその場所に、ほんの少しでも朱の色が存在していれば嬉しいかな。





















































「あんっっっま!?」


ちなみに言うと『正午の紅茶』は俺には甘すぎた。





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