第9話 夫婦喧嘩

 暗闇の中で私を拘束したのは、アーディナルだった……。

 無言のまま初めて訪れた夫婦の寝室は、よく言えば至ってシンプル。言い方を間違えれば、使う気がないから最低限の物しか置いてない部屋だ。

 誰の思い入れも感じられない、いかにも王太子夫妻っぽい部屋。そんな空っぽの部屋に、今は不穏な空気が満ちていた……。その空気の発生源であるアーディナルの口から、重苦しく真っ黒い言葉が吐き出される。


「……魔女が楽しそうに夜間メイドをしていると知れたら、どうなるか分かっているよな?」

 もはや、脅し……。

「誰の手にも負えない苛烈という、悪辣魔女像が崩れますね……」

「魔女が目立つことを嫌う御しやすい奴と知れたら、各国が自国に引き込もうと暗躍して戦争になると言ったよな?」

「……はい」


 この力を手中に収めようと国を裏切り、生まれ育った国を捨てる人間を私は知っている。

 そして、裏切られたその国の末路も……。


「私が望む生活をアーディナルに知ってもらうには丁度いいと思ったけど、浅はかでした。ごめんなさい」

「……なっ! 随分と素直で気持ち悪いが、浅はかどころか考えがなさすぎる!」

「フーシュスト国にとって、自分がどれだけ危険な人物かは分かってる。だからこそ、この国から出て行きたいのだけど……」


 私がこの国にいれば、私を奪い取ろうとする国と戦争の火種になる。かといって国外に出ても、第二第三のフーシュスト国を作るだけだ。アーディナルとユーグレストとジークハルトという『救世主』三人がいるこの大国に留まることが、最善の選択なのは分かっているけど。


「シュリがこの国から出て行けば、世界の均衡が乱れる!」

「分かっているから、やりたくない悪辣魔女を演じているじゃない!」

「何度も言うが、だったら付け入る隙を見せるな!」

「それだけでは、アーディナルは私を知ろうとしないでしょう?」

「これも何度も言うが、相手を知らなくても心が見えれば問題ない!」


 それじゃ駄目だよ。

 心が見えていたって、間違える。見えることだけに頼っていたら、大きな過ちを犯した時に手遅れになる!

 裏切り者は、どこに潜んでいるか分からない。今の今まで隣でにこやかに笑っていた奴が牙をむくことだってある。


「心が見えているだけでは、裏切り者には気付けない!」

「見えない者に言っても仕方がないが、裏切りは色に表れるし、偽ることはできない。俺が間違えるはずがない!」

「アーディナルが相手のことを理解していなければ、間違えることだってあるかもしれない!」

「そんな間違いは、絶対にない!」


 絶対なんてない!

 どれだけ功績を積み上げてきたって、崩れる時には跡形もない。


「八年前に戦争で全てを失ったゼネフロイト国を知っているよね?」

「はぁ? 何だいきなり……」


 八年前に滅んだ国の話を急にされれば、誰だって戸惑うはずだ。ましてや呆気なく戦争に負けた国の話なんて、アーディナルからすれば聞く意味ないだろう。


「カトライト国に侵略され領土だけでなく国の誇りも失ったかの国には、裏切り者がいた。宰相補佐として国王の信頼も厚かったその男は、さも当然に忠誠を口にしながら敵国に情報を売っていた」

「権力に擦り寄ってくる奴なんて、そんなのばかりだ。それに気付けなかった国王の力が足りなかっただけだ」

「確かにその通りだと思う。だけどね、当時のゼネフロイトは、長年にわたって絶対に隠さなくてはいけない秘密を抱えていた。その秘密を優先するあまり、他のことが疎かになってしまったの……」


 アーディナルは眉をひそめて「まるで見てきたような言い方だな」と言うけれど、心の色を読むだけの彼に、私の気持ちが分かるわけがない。私の知る地獄に、触れられるはずがない。


「優れた特殊能力があったって、それに囚われていたら見落とす。自分の持つ特別な力が、足かせになることだってある」


 ソファーから立ち上がった私は、アーディナルと向き合う。背の高いアーディナルとは頭半分くらい差があるけど、私は精一杯に視線を合わせた。


「未来の国王の周りにいるのは、心を見るだけで知る価値のない人ばかりなのかもしれない。でも、中には信頼できる仲間がいるはずだし、見たくもない闇を見せられても悪意を知っておく敵だって存在する」

「……」

「嫌な思いをしても相手を知らなければ、アーディナルは能力を使いこなしているとは言えないよ。人を切り捨てるだけではなく、受け入れるためにもその力を使うべきだよ!」

「うるさい! それとメイドになることに何の関係がある!」


 確かに話が飛躍しすぎた。今の話と、夜間メイドを始めたことに関連性はない。

 まずは、この状況を回避することを優先するべきだった……。


「制服っていいよね。みんなと同じ格好をしていると、周囲に紛れられるじゃない。他人の視線を気にしなくていいって、すごく安心する」

「馬鹿言うな! 髪や目の色を変えたくらいで、シュリが周囲に紛れられるはずがない! めちゃくちゃ浮いていたし、一緒にいたメイドは相手が自分の主だと気付いていたぞ」

「はいぃぃぃ?」


 マリーアが、私の正体に気付いていたの? そんな素振りなかったけど、気を使っていたってこと? 嘘でしょう? 完全にメイドに擬態していたと思っていたのに……、独りよがりだったってこと?

 私がメイドをしていたと知れているなんて、まずいじゃない!

 誰の手にも負えない苛烈な悪辣魔女は、どう間違えても嬉々として夜間メイドなんてしない……。


 全身から一気に血が抜けたように身体が冷え切り、力が入らない。浅はかさの代償が、大きすぎる……。

 恐る恐るアーディナルを見上げるけれど、呆れ果てた冷たい瞳で見下ろされるのは心臓に悪い……。


「あのメイドは、ちょっとおかし……いや、悪意は感じられなかったが、このままにはしておけない。善人だって弱味をつかれれば悪事に加担するからな」

「……マリーアを、どうするつもり?」

「王城は他国との接点があって危険だからな、辺境で監視付きで働かせるしかない」

「……ちょっと、待って……。辺境で監視付きって、強制労働所ってこと?」


 アーディナルは何も言わないけど、そういうことだ。

 私の軽率な行動のせいで、マリーアは過酷な環境で過酷な労働を強いられるの? そんなの、絶対に駄目だ!


「待って! 強制労働所は駄目よ! だったら私の専属侍女を彼女だけにして!」

「その案に、強制労働所に送り込む以上の安全性があるか?」


 アーディナルからは凍り付きそうな視線を送られているけど、私に怯んでいる暇はない。何としてでも、納得させなくては!


「私と二人だけで行動を共にするのだから、接触者を調べる手間が省けるでしょう? それに、アーディナルだって強制労働所より、定期的に安全確認できるわ!」

「それは一理あるが、彼女が一緒にいることで、シュリがまた変な気を起こすと困る」

「マリーアが側にいることは、私にとって抑止力になる!」

「自分のせいで犯罪者まがいの扱いをされかけた相手が側にいれば、シュリも自分の行動を考えるようにはなるか……」


 そう言ったアーディナルは右側の口角だけ上げて、とっても不敵に笑ってみせた。

 考えるまでもなく、最初っから単独の専属侍女として私の側に置くつもりだったに違いない……。私から依頼させることで罪悪感をあおり、余計に反省を促すのが狙いだ。

 やられた。悔しい!


「ユーグレストに唆されたのだろうが、俺に人を知る努力をさせようなんておこがましい」

「そうは言うけど、国王になるためには絶対に必要なことだよ! アーディナルは、もっと仲間を増やした方がいい」

「大きなお世話だ。世界を戦争に叩き落としかねない行動をした馬鹿に言われたくない!」

「……ぐっ……」


 その通り過ぎて、何も言えない……。

 ユーグレストに言われたとはいえ、どうしてアーディナルに自分を知ってもらおうなんて思ったのだろう……。

 危険極まりない行動な上に、防御不能の反撃を喰らうのが目に見えているじゃない! アーディナルが私を理解してくれて、信頼関係を築いて「めでたし、めでたし」なんて未来は絶対にあり得ない……。


「シュリの真面目過ぎるところを、ユーグレストに利用されたのが分からないか?」

「……私、また、利用されたの?」

「シュリはやると決めたら何でも真剣に取り組むし、約束も守るからな。ユーグレストからすれば、扱いやすい」

「……扱いって、道具……?」

「頭の回転が速いわりに、思い込みが激しい。周りに迷惑をかけたくなくて何でも一人で抱え込むから今回みたいなことになる。覚えておけ!」


 私はユーグレストに、いいように利用されたの? しかも、アーディナルはそれをお見通しで、私の行動は危険を冒しただけで意味がなかったということ……?

 結局、アーディナルが他人を知る努力をすることはないのね……。

 ……あ、れ? 待って……。


「他人を知る気がないわりに、アーディナルは今の私の性格を結構把握しているね?」


 深い意味もなければ嫌味でも何でもなく、ただ思ったことが口からするりと出ただけだった。

だから、耳まで真っ赤にしたアーディナルを見て、一番驚いたのは私だ。

 こっちが照れるほど真っ赤になったアーディナルは、私と目が合うと右手で口元を覆った。

 ポカンとしたまま私が見上げていると「うるさい!」と言って、内扉から自室へ消えてしまった。ガチャガチャと鍵を閉める音まで聞こえてきた……。




◇◇◇◇◇


読んでいただき、ありがとうございました。

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