第26話 手掛かりを探せ 1


 本の中の悪魔との契約を終えて。

 俺はカッカした頭を冷やすために、水差しからそのまま、がぶがぶと水を飲んだ。

 ガラガラになっていた喉を流れ、ひんやりとした水が胃に落ちていく。


 そういえば、さっき呑み込んだ宝石はどうなったのか。

 今、俺の足から伸びる影は悪魔のそれと交わっており、時折炎のように輪郭が揺らめいている。さすがに背中から翼は生えていないが、力が発揮されればそれもあり得そうだ。


 そんなことを考えられるくらい冷静になったところで、がふっ、と盛大に息を吐く。


 とにかく事態は逼迫している。

 リリーの身の安全はもちろん、孤児院のこと、先生のこと、そしてベアトリーチェのこと。

 すべてをなんとかするためには、騎士団に任せていては駄目だ。

 どうにかして俺の手でリリーを救い出さなくてはならない。


 そうしなければ、リリーは助かっても、他のみんなは罪を問われることになる。

 俺が解決したからと言って罰が軽くなる保証はどこにも無いが、少なくとも恩赦を得るためには俺が救い出したという条件が不可欠だ。


 望みは限りなく薄いかもしれないが……唯一の交渉材料を得るためには、何としても俺が、騎士団よりも速くリリーの元に辿り着かなくてはならない。

 

 いや、そうじゃないだろ。

 俺が、リリーを助けたいんだ。だから助けるんだ。

 待ってろ、リリー。いま行くからな。


 「それで、悪魔。どうやってリリーを見つける?」

 (まあ、任せよ。今のお前に出来ることなどたかが知れている。今回は儂が一切を引き受けよう。親愛なる我が友よ、お前は儂に全てを委ねれば良い)

 「具体的にはどうすりゃいいんだよ?」

 (少女の特徴を思い浮かべ、念じよ。それで伝わる)

 「わかった」


 頭の中に、リリーを思い浮かべる。


 薄くて折れそうな細い体。

 花が咲いたように笑う、可愛らしい顔。

 シャツを掴んで離さなかった小さい掌。

 後ろをくっついてちょこちょこ歩く姿。

 見ているこっちが心を引き裂かれてしまいそうな、あの涙。


 (もうよい、十分だ。そんな情けない面では救えるものも救えんぞ)


 言われて、急いでごしごしと目元を拭う。

 思ったよりも相当、自分は参っていたらしい。

 しつこいくらいにバシバシと両手で頬を叩く。

 しっかりしろ、俺! 今、一番つらいのはリリーだろ!


 「悪い。もう大丈夫だ」

 (恥じることは無い。その涙は決意の表れ。くはは! 案ずるな我が友よ、お前の姫は必ず見つけよう)

 「……ああ、頼む」


 どうしてこの悪魔がこんなに真摯に協力してくれるのか。

 本当は疑ってかかるべきなんだろうが、今はどうでもいい。

 大切なのはリリーを救うこと。

 そして、みんなを守ることだ。

 その契約が果たされるなら何だって構わない。

 俺の魂なんて全部くれてやる。


 悪魔がリリーの手掛かりを探ってくれているうちに、俺は自分の身支度を整え、誰にも見つからないように部屋を出る。

 夜の闇に紛れるようにそっと裏門から街へ。

 ひとまず人気の無い路地裏で作戦会議だ。


 「それで、どうすればいい?」

 (魔力の扱いはまあまあとみた。よし、魔力を練って儂に渡せ。ありったけだぞ)

 「了解だ!」


 言うが早いか、精神を研ぎ澄ませ、魔力を体内で循環させる。

 俺の内の悪魔が歓喜の声を上げる。


 (くはは、よいぞよいぞ。その調子だ)


 俺は惜しむことなく魔力を練り、悪魔に与え続ける。

 五分もしないうちに、悪魔は十分な魔力を手に入れたようだった。


 (南に向かえ。強い力が集まっている)

 「わかった」

 (儂の力を別けてやろう、屋根伝いに跳び移り最短距離を征け!)


 悪魔の叫びとともに、俺の脚が輝く魔力に包まれ、バチバチとスパークのような閃光が奔る。

 直感のままに、思い切り足に力を籠める。


 「うおぉっ!?」


 踏み込みと同時に屋根の板がばきりと砕け、その勢いのまま俺の体が遥か上空にまで跳び上がった。

 じたばたとみっともなくもがいて、自由落下し始めたあたりでようやく姿勢を立て直す。


 「ちょ、ちょっと、でたらめすぎ!?」

 (阿呆。これぐらいのことで喚いていてどうする。親愛なる我が友よ、お前の姫を救うのにこの程度で躓いてなんとする)

 「くっそ……! 言ってくれるぜ悪魔野郎……!」

 (儂は野郎ではない)

 「え、マジ? ……って、こんなときにどうでもいいっての!」

 (あぁん!? どうでもいいとはなんじゃ! どうでもいいとは!?)


 何とか着地を決め、南へ向けて一直線に進む。

 これだけの荒業をこなしているにもかかわらず、不思議と俺の体は何ともない。

 どころか、力が溢れて仕方ない。今なら本当に何でもできる気がする。


 (言うたであろう、今回は全て儂がやってやる。――これから永い付き合いになるのだ、挨拶代わりと思っておけばよい)

 「そりゃ、ありがたいこって」

 (なあに、儂も鬼ではない。お前のようなひ弱な幼子だけを闘わせようなどとはせんよ)

 「悪魔と鬼って何が違うんだ」

 (くはは、言うではないか! そうそう、全てを委ねよとは言うたが、魔力だけは切らすなよ。儂の力も魔力あってのもの)

 「わかってるよ」


 俺たちは騎士団の駐屯所にほど近い、周囲で一番高い建物の屋上にいた。

 悪魔が脚力の強化を解き、再び魔力を要求する。


 (目を閉じ、聴覚を研ぎ澄ませ。あの建物の内部に意識を傾けよ)


 言われた通りに精神を集中させ、魔力を両耳へ操作する。

 すると、パチパチと小さなノイズが断続した後、中にいるらしい人間の会話が少しずつ耳に届いた。

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