第15話 本音と苛立ち


 数日が経った。


 ベアトリーチェは無事みんなに受け入れられ、家政婦として甲斐甲斐しく仕事に励んでくれている。ハロルドさんもあれから毎日のように顔を出してくれるし、子どもたちも大喜びだ。

 この頃はリリーも大分落ち着きを取り戻し、少しづつではあるが孤児院に馴染んできてくれたみたいだった。

 

 大変なのはむしろ俺の方で、俺がリリーにつきっきりなものだから、他の子たちが焼きもちを焼くようになったのだ。

 特に酷かったのはミルフィで、リリーが俺を取ってしまったと思い込んでいるらしく、俺のいない間に喧嘩を始めてしまい……最後にはなぜそうなったのか、二人して俺を糾弾してくるものだから、ほとほと困ってしまった。


 「モテモテですね、ゾルバくん」

 「やめてください」

 「ふふ、すみません。ですが、リリアさ……リリーの元気な姿を見られて、私は嬉しいです。慎ましやかですが、ここには平和がある。みんな優しく、温かく、……ここへ来て本当に良かった。これもひとつの幸せの在り方なのかもしれませんね」


 俺はベアトリーチェと二人、水汲みに出ていた。

 シャツにズボンといった簡素な装いだが、まとめられた髪からのぞく首筋や、エプロンの裾で濡れた手を拭う様などいちいち色気がある。

 孤児院の男子共が初めて見る大人のお姉さんに夢中になるのもわかる。……腰に何本も短剣を吊っているのを気にしなければ。


 「幸せねぇ……」

 「内にいるとわからないものでしょうが、外から見ればよくわかります。諍いが無い、不平等が無い、それがどれほど恵まれたことか。……ふふ、大人になればわかりますよ」

 「……そうかな」


 この人は話せる人なんだろうけど、やっぱり俺たちのことわかってないんだな、と感じた。

 孤児院という場所は、教会内にできた慈善施設であって託児所じゃない。

 みんなが明るく健やかでいられるのは先生やシスターたちの見えない努力と配慮のおかげであって、のほほんとしているように見えるのは、俺たちのことを知らないからだ。


 「どうかしましたか?」

 「べつに。……リリーがいたところってのはそんなに嫌なところだったわけ?」

 「嫌、というか……。あ、いえ、そのようなことは決して」

 「でも、駄目だと思ったからうちに来たんでしょ」

 「……そうですね、その通りです」

 「初めてうちに来た日はさあ、もう大変だったよ。触れ方を間違えたら、すぐにも壊れちゃうんじゃないかって。っていうか、もう既に壊れてんのかなーとも思った。だからうちに押し付けてきたんじゃないかって。思い通りにならない子どもは要らないって」

 「わ、私たちはそのようなつもりでは――!」

 「でも実際そうじゃん。孤児院のこと、ゴミ捨て場かなんかだと思ってんでしょ、貴族ってのは。リリーもさ、自分はいらないゴミだから捨てられたんだって、そう思ってるよ。俺も、そう思うな」


 別にあの子が特別じゃない。悲しみを抱えているのは、他の子たちも変わらない。

 いつもそばに寄りたがるのは、寂しさを埋めたいから。

 温もりを知ってしまったら、もう離れたくないから。


 「……違います。私たちは彼女を守りたい一心で、苦渋の決断の末に、このようなところまで落ち延びてきたのです。言いがかりはやめてください」


 ――あぁ? このようなところ? 落ち延びただって?


 「……じゃあ、言ってやればいいだろ。ここに来れて良かったねって。優しい先生と仲間に囲まれて幸せでしょうって。言ってやればいい。みんなに疎まれて追いやられても、ここで閉じこもってればいいって。きっと泣いて喜ぶだろうぜ。助けてくれてありがとうってさ」

 「……知ったようなことを言わないでください。あなたはあの家を知らないから、そんな簡単に言えるんです。我々がどれほどの想いでリリア様に苦を強いているか、あなたなんかにわかるはずがない!」

 「知らねーよそんなこと。結局はテメーの都合だろ。子供を捨てる大人の気持ちなんざ、一生わかりたくもないね」

 「あなた……わかっていて言っていますね? それが大人に対する態度ですか? シスターに甘やかされて、好き勝手しているからって、調子に乗るのもいい加減にしなさい」

 「なんだよ、図星だからって子ども相手にムキになるなよな」

 「口が減らないのはブリュー様を真似てですか? やはり隊長の言った通りかもしれません。品性に欠けた平民と混じっていては、このように育ちも悪くなるものなのですね」

 「……なんだって?」

 「リリア様の育ちが悪くなっては困ると言ったのです。あなたたちのように」

 「……」

 「リリア様が、どれだけ辛い思いをしてきたのか……。私たちがどれほど、心を痛めてきたのか……。教会の庇護を受けて、何の苦労も知らず、世間の不幸な事件から隔絶された環境で、のうのうと生きるあなたたちに、わかるはずなんて――」

 「ふざけんなよ」


 態度を豹変させた俺に、ベアトリーチェが驚愕し、押し黙る。

 それまで冷え切っていた腹が、一気に煮え滾った。

 怒りで目の奥がちかちかと痺れ、勝手に口が開いていく。


 「ニッケルの家はな、大工なんだ」

 「は……」

 「父親は女癖が悪くって、母親に逃げられてさ。ニッケルは一人息子だったけど、生まれつき関節が悪かった。喋るのにも難がある。だから孤児院に入れられた。っていうか、ほとんど押しつけられた。それ以来、父親とは一度も会ってない。まあ、同じ街だから? こないだ偶然見かけたけど、別の家族ができたみたいで幸せそうだったよ。今度は“普通の”娘ができたって。でももしかしたらあの子にも、身体じゅう見えないところに青痣がいっぱいあるかもな」

 「……」

 「サラの母親は犯罪奴隷で、貴族の家で乱暴に扱われていたのが、身籠ったとわかった途端に、手切れ金を持たされて追い出されたんだ。いろんな街を転々として、そのうちお金も尽きちゃって死のうとしたらしいけど、お腹の子だけは産みたいって思い直して、先生のところに来たんだ。サラが生まれた後、親がお手付きにされた犯罪奴隷だと迷惑がかかるって、ひとりで街から出ていったよ。でも、どうせ嘘だろ。単純に食わせられないから、結局捨てたのさ。もちろん、サラはそんなことは知らない。母親が奴隷ってことも、実はどこぞの貴族の血を引いているってことも」

 「……」

 「ハッシュは両親が死んでから、親戚の家でずっとネグレクト……育児放棄されてて、子どもを育てる気のない親戚たちから毎日意味もなく殴られたり蹴られたりして、その家の子どもたちからも陰湿ないじめを受けて、とうとう逃げ出したところを先生に拾われたんだ。連中が礼拝なんかで教会に来るたびに、ハッシュは過呼吸を起こしそうになる。あいつら、ハッシュがここにいるのを知ってて、それでもいけしゃあしゃあと顔を出してくるんだ。マジで脳みそ腐ってるよ」

 「……」

 「けど、まあ、大したことじゃないよな。リリーに比べれば。リリーがこれまで味わった不幸に比べれば、みんな、全然、大したことじゃない。そう思うだろ?」

 「わ……わたし、は……」

 「アンタの言う通りだよ。孤児院に来れてほんとによかったよな。おかげで俺たちは幸せだよ」

 

 ベアトリーチェは何も言えずに俯く。

 

 誰もここへ来たくて来たわけじゃなかった。

 親の顔を知らないやつもいれば、口減らしに捨てられたやつも、酷い虐待に逃れてきたやつもいる。

 それぞれに苦しんで、悲しみに喘いでいた。


 みんなが思っていたんだ。助けてくれって。


 そして、俺たちがどんなに泣いて縋っても手に入れられなかったものを、先生だけが与えてくれた。俺たちがいま笑えているのは、一人一人と心から向き合って、先生が必死に闘って勝ち取った信頼の証なのだ。

 先生が当たり前の愛をくれたから、俺たちは当たり前の人間になれたんだ。


 すっかり黙り込んでしまったベアトリーチェから視線を外し、俺も追及を止める。

 卑怯な言い方をしたのは判っている。しかし、どうしても認められなかった。

 ここは確かに恵まれていて、俺たちも今が幸せだと感じて過ごしている。

 だけどそれは、先生と俺たちだけが分かち合うべきものだ。

 他の誰かに、軽々しく語って欲しくない。


 俺たちがやっとの思いで手に入れた幸せを、置いてきた悲しみを、簡単に論じられるのは許せなかった。


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