第10話 秋桜が揺れるのどかなとき


 サラとペリーネが、リリーを連れて秋桜の絨毯の中へ飛び込んでいく。

 リリーが花を踏んづけてしまわないよう、おっかなびっくり進んでいるのに比べて、二人のお転婆たちはさっそくぶちぶちと花を引っこ抜いていて笑える。


 「リリーちゃん、なにいろがいー?」

 「あたしね、あたしね、きいろがいいよ!」

 「りりーりゃんにきいてるの!」

 「えー、でも、きいろがいいのにー」

 「あ、う……きいろで、いいよ」

 「ほんと!? じゃ、これ、どーぞっ」

 「え、あ、いいの」

 「うん」

 「……ありが――」

 「ちょっとー! ずるい。リリーちゃん、ピンクは? ピンク!」

 「え……」

 「ピンクならね、こっち」

 「こっちのがおっきいよ!」


 ……女児のコミュニケーション能力、半端ねぇ……。

 

 あっという間に自分たちの輪のなかに入れてしまった。

 リリーはまだ上手く声を出せていないけれど、三人の間でしっかり会話は成立している。

 昨日の俺の苦労はいったい何だったのか。


 俺はちょっと肩を落として、木登りしているドリーとハッシュに落っこちるなよーと、声を掛けに行く。


 「なんだい、もう振られたのかい」

 「ちがわい」


 すぐ下の木陰で腰掛けていたばあちゃんが、にやにやとからかってくる。

 その膝の上では、ニッケルがすやすやと寝息を立てていた。

 俺もばあちゃんの隣に並んで座る。


 「ニッケルの奴、また寝ちゃってんのか」

 「ここに来た時からもう舟を漕いでいたよ。上の子に引っ張られてついて来たはいいけど、座り込んだらもうあっという間だったよ」

 「ま、いい天気だし。俺もたまには昼寝しよっかな?」

 「あんたは起きてなきゃ駄目さ。あの子を見ていてやらないといけないんだからね」

 「えー、ばあちゃんがいるじゃんか」

 「あんた、あんまりおふざけが過ぎると、頭ひっぱたくよ」


 じろり、と眉を吊り上げて睨まれる。

 ただでさえしわくちゃで怖い顔がさらに凶悪になって、思わず口が引き攣った。

 ニッケルが起きてなくてよかったな。この顔はお子様にはちょっと刺激が強すぎる。


 「……今は、そうした方が良いかもしんないけどさ。でも、俺がずっと手を引いてあげるってのも、良くないんじゃないかって」

 「あの子が来てからまだ昨日の今日じゃないか。変な気を回しすぎだよ。だいたいそういうことはねぇ、大人が考えるもんだ。あんたには百年早いよ」

 「……うっせ」

 「まったく、いつからこんなに小生意気になっちまったのかねぇ。やっぱり司祭様が亡くなったときに、悪い悪魔が憑いちまったんだね」

 「ひとを勝手に悪魔呼ばわりすんなよ」


 前世の記憶がそうさせているだけで、俺はいたって正常な人間だ。

 子どもらしくないことは認めるが。


 「あんたはあの子の何なのさ。保護者代わりにでもなったつもりなのかい?」

 「別にそういうわけじゃ……」

 「そうだろう。余計な気を回したりせず、ただ精一杯、あの子のためになんでもしてやればいいのさ。優しさも甘さも、惜しみなく。良い悪いはこっちで決めなくたっていい。要る、要らないはあの子が決めるよ」

 「……それで間違えてたら、どうすればいいんだよ」

 「何度でもやり直したらいいじゃないか。それも大事さ。人生にはね」

 「そういうもんかなぁ」

 「ともかく。いっちょまえに大人の顔色なんか気にしてないで、子どもらしくしてな。その方がバレンシアも喜ぶだろうさ」

 「……わかったよ」


 皺だらけの大きな手で、わしゃわしゃと撫でまわされる。

 ばあちゃんは先生やハロルドさんと違って、何故か俺を子ども扱いしようとしない。

 一言一言に血を通わせるように、丁寧に言葉を紡ぐ。

 そのうえで最後には決まって、子どもらしくしろ、と言ってくるのだ。

 まるで俺の秘密を見抜いているかのように。

 ……いや、まさか本当に俺の全てを知っているわけではないと思うけれど、不思議とそう感じさせる何かを、この人は持っていた。


 ふと目を遣ると、向こうでリリーが俺に手を振っていた。

 つられて、手を振り返す。

 すると、花が咲いたようににっこりとほほ笑んで、それを見たサラとペリーネが何事かを言って、三人でまた笑う。


 「心配いらないよ。あの子たちは馬鹿じゃないんだから」

 「うん」


 俺は無意識のうちに、彼女やあの子たちのことを、子どもだ子どもだと侮っていたのかもしれない。

 ばあちゃんが言いたかったのは、つまりそういうことなんだろう。

 まだまだ自分は浅ましく、愚かで未熟なのだと、途端に恥ずかしくなる。


 俺が何も言い返せずにいると、今度は何も言わずに背中をばしんとやられた。

 ちょ、このばばあ、本気で叩きやがった!

 ちょっと涙目のまま、思わず睨み返す。 

 すると、ばあちゃんはにまにまと口の端を吊り上げて、こちらをじっと睨み返してくる。

 しばらく睨み合って、結局俺が負けて視線を逸らした。


 やっぱ、すげえや、このばあちゃん。


 しわくちゃの顔で勝ち誇って笑うばあちゃんを横目で見て、いつか絶対勝つ、と心の中で誓った。

 さぁっと流れていく風に乗って、子どもたちの笑い声が届いてくる。

 風にゆらゆら揺れる秋桜の花が、無理無理、と首を振っているように見えて、なんとなく面白くなかった。

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