第7話 まわる

 生首と少女は眠りについた。唯一起きているのは吸血鬼のみ。

 吸血鬼は特に日除け対策をすることもなく、陽光の下、洋館の敷地内を普通に歩いていた。今すぐ灰になることも、肌が焼け焦げていく様子もない。

 生首も外で運ばれている時は、布で覆われたり帽子を被せられたりはしなかった。彼らにとって陽光は、弱点にならないようだ。

 駆け足気味に、けれど少しためらっているような足取りで、吸血鬼が向かった先は温室。


 ──裏切り者が来たぞ。

 ──恥知らずが。

 ──我々を救え。

 ──血をよこせ。


 中に足を踏み入れると、数多の怨嗟と希求の声が吸血鬼の耳に届く。あまりうるさくは感じない。どれもこれも弱々しく、くぐもった声だからか、聞き流すことができた。

 温室は広い。少女曰く学校のプールくらいあるそうだ。入って右手側には、いくつもの植木鉢が並べて置かれた棚が奥まで続き、左手側には、いくつもの首のない胴体が無造作に置かれている。

 ここに初めて足を踏み入れた時から、状況はほぼ変わっていない。変化と言えば、胴体のない生首も以前は地面に散乱していたことと、温室の中央に踞っていた女がいなくなったことか。


 ──まわる、まわる、のうみそまわる。


 主の欠損を知り、頭に血が上った吸血鬼は洋館中を探し回り、この温室で下手人を見つけ出した。

 壊れた女だった。

 髪は荒れ服もぼろぼろ、血に汚れた顔を笑みの形に歪め、手斧を振り回しながら襲い掛かってきた。吸血鬼は避けながら、垂直に伸ばした手で刺突するが、女の瞳は赤く染まり、魔法で防がれる。

 女は体格が小さく、小回りが利き、防御の傍ら加速の魔法も掛けていたのか、あっという間に吸血鬼の身体に小さな傷が増えていく。

 特に、足。

 怒りでろくに頭が回らない吸血鬼は、徐々に動きが鈍くなっていく自分の身体に更に激怒し、闇雲に攻撃を続け──ついには膝を屈した。


『貴方達に胴体はいらないそれが正解なのに何で誰も分かってくれないのどうして一樹!』


 女の赤く染まった瞳が輝きを増し、手斧を振り上げ、何ごとか呟きだす。吸血鬼は動けない。

 ありったけの殺意を視線に込めて咆哮を上げれば──女が膝から崩れ落ちた。

 吸血鬼の咆哮にそんな効果はない。


 ──殺せ。

 ──この女を殺せ!

 ──元の身体に戻りたい!


 女の足元に落ちていた生首達が、次々に女の足に噛みつきだす。


 ──殺せば全部、元通り。


 吸血鬼はその言葉を信じ、痛む身体に鞭打って、女の腹に拳を打ち込んでぶち抜いた。

 女が吐き出した血潮を頭から被り、吸血鬼の傷は塞がっていく。力が戻ってきた吸血鬼は拳を引き抜くと立ち上がり、そのまま女の首筋にかぶりついて、全身の血を貪り飲んだ。

 主を返せ、その一心で。

 吸って、吸って、吸い尽くす。

 そして首を噛み千切って投げ飛ばすと、首をなくした女の胴体は地に落ちて──それ以上は何も起こらず、生首達はそのまま。


 ──何故だ!

 ──何故戻らない!

 ──身体を返せ!


 女の身体を蹴り飛ばし、吸血鬼は呆然と生首達を見下ろす。一つの例外もなく、生首は生首のまま。きっと主もそのままだ。

 自分は何の為にこんなことを……と立ち尽くしていると、足に鈍い痛みが走った。視線を向けなくても分かる、声が教えてくれた。


 ──食えばいい。

 ──食えば戻る。

 ──肉だ、肉をよこせ。


『……っ』


 吸血鬼は瞼を閉じ、深呼吸をすると、足を片方ずつ振り回す。


『私の血肉は! シャムロック様のものです!』


 ──シャムロック。

 ──シャムロックだって。

 ──持っていかれたシャムロック。

 ──女の旦那に顔が似てたって。

 ──髪で顔が隠れていただけ。

 ──好き放題してたよね。


『あああああぁあああああ!』


 長い黒髪を振り回し、自由になった足で、生首達を踏み潰していく吸血鬼。

 赤い花が咲いていく。悲鳴が上がる。吸血鬼はその内、吐瀉物を撒き散らし、やがて温室から出ていった。


 ──まわる、まわる、のうみそまわる。


 数日後、吸血鬼は温室に戻ってきた。

 悲鳴を上げる生首達を無視して、主の胴体を探す。胴体があれば、魔法使いの少女がどうにかしてくれると思ったのだ。


 ──胴体を返せ。

 ──胴体にくっつけて。

 ──近付ければくっつくかも。


 聞き流すつもりが、最後の言葉が妙に引っ掛かった。動きを止めて生首達を見回す。


 ──近付けろ。

 ──そうだそうしろ。

 ──物は試しにやってみろ。


『……ため、し』


 少女は、未熟な魔法使い。

 胴体を見つけ出したとして、必ず元に戻せるかは分からない。……それに吸血鬼としては、あまり少女に負担を掛けたくなかった。

 少女は、主を生首にした女の娘。

 だが同時に、女の被害者でもあった。

 主と共に発見した時の惨状を、吸血鬼は忘れられなかった。あれでは、親の罪を被せることもできやしない。近付けただけでくっつくなら、少女にはもう協力を頼まなくて済む。

 吸血鬼はすぐさま、適当な胴体と生首を手に取り、力を込めてくっつけた。鼓膜を破らんばかりの叫びが上がるが、すぐに止んだ。

 ──灰になった、胴体も生首も。


『えっ』


 二度、三度別の個体でやっても同じこと。再び悲鳴が上がり、吐き気が込み上げてきた吸血鬼は、その場を後にした。


 ──まわる、まわる、のうみそまわる。


 正直、吸血鬼は温室を燃やしたかった。

 数えきれない同胞の生首が、そこに囚われ血や胴体を求めているのが、正直気持ち悪くて仕方ない。それでも実行に移せないのは、あの中に主の胴体があるかもしれないから。

 生首達は動かない者もいたが、自力で動く者もおり、勝手に主の胴体にくっつかれては堪らないと、温室内に放置されていた鉢の中に全ての生首を収めた。

 血は与えない。自身の血肉は主のもので、少女の血は少女のものだから。特に罪悪感もなく、干からびるのを待つばかり。

 その内、吸血鬼は気付く。

 干からびて灰になった生首の胴体は、生首と同じく灰になって消えることを。

 主たる生首は少女の血を吸っているから心配はない。徐々に数を減らしていく胴体に、少しの希望を託す。

 どうか、ここにあれと。


 ──裏切り者め。

 ──恥知らずめ。

 ──主の胴体はここにない。


 惑わす声が時にある。そうした時は、生首の鉢に耳を傾ける。


 ──主の胴体は裏手の山の中に埋められた。

 ──いいや思い出の海の浜辺に埋められた。

 ──バラバラにされて山に埋められたんだ。

 ──あの女の故郷に埋められた。


 ある程度聞くと嘆息し、温室から出ていく。

 そしてその足で、すぐに行ける場所をまわるのだ。


 主を元に戻す為に、何度でも。

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