4-11-a 気が済みましたか?
差し出されたしるこ缶を覚えている。
「よかったらどうだ?」
大きな手と、黒い
男の手だ。もうそんなものを取るしかないのかもしれないと、諦めかけていた。
どこへ行っても、路上には補導の目がある。どれだけ腕を磨いても、保護者の同意なしでは出演を断られる。
替えのコンタクトはもうないし、眼鏡もなくした。伸びすぎた髪を切る余裕もない。手持ちは底を突きかけ、体はずっと弱っていた。
「……いらねえ」
「そうか」
断ると、素直に缶は引っこんだ。ねばらない相手にいら立ちを覚える自分が嫌になる。
覚悟を決めて家を出たのに、なんてザマだ。うんざりして、ふたたび膝のあいだに顔をうずめようとした。
「きみ、ギターをやるのか?」
男は立ち去らなかった。しるこ缶をコートのポケットにしまい、別の指で肩のすぐそばを指してくる。
見りゃわかんだろ――声に出すのもおっくうで、代わりに上目でにらんでいた。
無視してもよかったのに、顔が見たかったような気もする。
すてきなものを見つけたとはしゃぐ子供のように、男の声がはずんでいたからだろうか。
その濁りがちでおだやかな声と、たかが目が合っただけのことを喜ぶまなざしを覚えている。それから、整ったあごひげも。
「なあ、きみ。もしよかったら、魔法少女にならないか?」
★ ☆ ★ ☆ ★
マジカル★ライブに拍手と
そのうちの何体かの頭部が、音を立てて破裂した。
「な、なんだ……?」
溶岩のアンプと真紅のピアノが溶けるように消えたステージで、赤緒は自前のギターだけを手に、ぽかんと口をあけて天使たちを見あげていた。
百匹ぐらいいるうちの十数体といった風情だ。破裂した頭部はネコのようだったシルエットが放射状に広がって星形になっている。爆発と同時にひときわ大きな泡を大量に出したようだが、その泡はすべて黒っぽかったし、その個体自体も黒光りする半透明に変わっていた。
「ユウキさん……?」
赤緒と並立するステージで、雀夜も警戒した面持ちで上を見ながら手の中のギターにたずねていた。メタリックパープルのギターからは「う、うん」と緊張した青年の声がする。
「ごめん。ボクも、ちょっとわからなくって――」
「ヤベェぞ、おいユウキ! 《ダテン》だ!」
すぐうしろで声がした。白い小竜のようなマスコットが、興奮した様子で雀夜のそばまで飛んでくる。
「ヨサク先輩? ダテン、って……」
「知らねえのか!? いや、無理ねえか……」
短い手を口に当てて、ヨサクは少し落ちついてみせた。が、
「平たく言やぁ、天使のテンションが限界突破したってことだ。その個体はしばらくのあいだ、特定の魔法少女の魔力にだけ反応して、ぶっ壊れたみたいにキラメキを出しまくる。よそでライブしてても飛んでくるって話だ。俺も実物見るのは初めてだが……」
「それって……」ギターの姿のまま、ユウキはつぶやいた。「まるで、ファンみたい、ですね?」
「ファン……?」
反応したのは赤緒だ。
改めて天使たちを見あげる。基本的には暗いフィールド内だが、白と金が通常の天使たちが群れる中で、黒光りする異形の個体はよく目立つ。しかも、黒い魔力の泡をコポコポと延々もらしつづけてもいる。虹色の泡自体はまだ大量にうず巻いているが、ほかの天使たちは新たに泡を追加することをすでにやめ始めていた。
「黒い泡だけで2ライブぶんくらいあるな……」とヨサク。「いまの一瞬で出たのか?」
白いマスコットは天上のキラメキ・クリスタルの周辺を見ていた。つられて赤緒も見あげると、泡でできた銀河のような
「まぁ……まだ曲はあるしな」
急にさっぱりとした声色になって赤緒はつぶやいた。「勝負もついてねえ、し?」と、どこか聞こえよがしに。
「しかたありませんね」
雀夜もため息交じりに、あくまでひとりごとのように吐きだす。腕の中のギターばかりが「えっ!?」と泡を食う声をあげた。
「あ、あのっ、でも! 今日のところは、引き分けっ、ということで……」
「ざけんのは色だけにしろカラーヒヨコ。たたき折んぞ?」
「悪い芽は
「えぇえー……」
ギターから途方に暮れる声が流れ出た瞬間、景色がぶれた。
スクリーンが溶けるように天使たちのいる世界が流れ落ち、夕暮れの空が戻ってくる。
目の焦点が定まって我に返る頃には、赤緒たちは高層マンションの屋外駐車場に立っていた。
「……は?」
変身が解けた短パンTシャツに黒いジャンパー姿で、赤緒はキョロキョロと周りを見渡した。目の前にピンクのパーカー姿の雀夜がいて、その横に背ばかり高くてナヨそうな金髪白スーツが並んでいる。さらに奥には、丸い色眼鏡をかけた白髪のうさんくさい男。背後には真っ赤なショートヘアの女が、
「……あっ、てめ!」赤緒の目は、薄い黒ジャケットを
「フィールド強制解除しやがったな!?」
「いやいや、俺ちゃんじゃねーし」
「じゃ誰だよ!」
「おれだ」
その声を聞いて、赤緒は
息を詰めたまま振り向けば、駐車されている車のあいだをぬって、見覚えのある顔が近づいてくる。
「トバリ……」
赤緒は思わず名前を読んで、すぐに我に返り、顔をそむけた。
「聴いていたぞ、赤緒」
近くで立ち止まって、実直な青年の姿をした
「いいライブだった。自分の曲か?」
「……まぁ、一応」
「そうか。いい曲だ」
「……だから、なんだよ。なにしに来た」
「感想を言いに来た。それだけだ」
「は?」
赤緒は目を丸くし、もう一度目の前の男を見た。しかし男のほうは、目が合うと晴れやかな顔でうなずいたきり、視線を別のほうへやった。
赤緒が追うと、視線の先にはあの白髪のうさんくさい色眼鏡がいた。そいつはなぜか赤緒のほうをちょいちょいと指さして、トバリに無言のしかめ面を向けていた。
「すまん、赤緒」やや気まずげな声を耳にする。「やっぱり、もうひとつある」赤緒はまた向き直す。
「実は、おまえに謝りたかった」
「あやま……なんで――」
「ギターに
「……!?」
たじろぐ赤緒の前で、トバリは腰を折った。膝と背を伸ばしたまま、前のめりに深く頭をさげる。
「すまなかった。おまえの悩みも、抱えていたものも、なにも気づいてやれなくて」
自分の顔より下に落ちてきた黒い頭を、赤緒は数瞬ぼんやりとながめていた。遠雷の音のように、あとから現実感が追いついてきて、途端に頭がぐわっと熱くなる。それが怒りなのか、
「……関係ねぇ」
ようやく吐きだした息は、火の粉のように熱くて。
ずっと湿らせてきた導火線を、見る間に焼き切った。
「そんなことッ、関係ねえんだよ! オレはオマエがッ、バカにされてるのに、オマエが言い返さないからッ!!」
魔法少女スカーレット★コワレ=
原因は、同コミューン所属の魔法少女数名に対する
勢いよく顔をあげたトバリは、目を見ひらいて自分の契約者を見た。
コミューンでの初期研修を終えて、初めての契約者だった。いつも難しい顔をしていて、しかしライブがうまくいくと、はにかむように笑っていた。いまは、激しく肩で息をしながら、見たこともない悲しそうな目をして、トバリのことをにらんでいる。
「そうか……そうか。すまん。いや――」
トバリは呆気にとられながら、手癖でまた頭をさげかけた。
しかし思いとどまり、もう一度まっすぐに、目の前の煮えるようなまなざしを見返した。
「ありがとう、赤緒。おれは言い返せないから」
「ッ……!?」
赤緒の眉が跳ねる。一度詰まった呼吸が、引きつった音を鳴らして再開し、赤緒はそれ以上支えきれなくなった目の中のものが、こぼれ落ちる前に下を向いた。
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