4-2-a なんなんですか?

「前を歩くなんて、うしろからなにかされると思わないんですか?」

「じゃあ横歩け」

「なかよく? 絶対にめんこうむります」

「なら前だ」

「カンチョーされてしまうかも。わいですね」

「小学生か」


 暮れなずむ住宅地を抜け、車も走る広い道に出た。ガードパイプはついているが、無理やり街路樹を植えているような狭い歩道をふたり、列になって歩く。丸くかたちのいいオレンジボブから時おり小さな耳たぶとそこに垂れる星形のチャームが覗くのを、雀夜はあれ引きちぎったら痛いだろうなと考えながらずっと目と足で追いつづけていた。


「そろそろ帰ってもいいですか?」

「すげぇ無駄足だな。じゃなんでここまで来た?」

「返り討ちにされると思ってもみないマヌケが無人の路地裏へ連れこみに来たとばかり」

「なんで返り討ちにはできる前提なんだよ。もう目の前だからぐずんな」


 黒ぶち眼鏡の横顔がにらみつけてきたので、雀夜は手ごろな路地裏を探して頭を振る。しかしオレンジボブは、特に曲がり角のない場所で足をとめた。


「ほれ、ここだ」


 すぐそばのショーウインドウを親指で指す。ガラス越しにディスプレイされていたのは、飛行船やのイラストが描かれた正方形の厚紙のようなもの。雀夜が頭をあげると、軒先のきさきの黒いひさし布オーニングには白抜きで『RECORDレコード SHOPショップ』とあった。


「聞いていませんね」

「言ったら来たのかよ」

「お茶に誘われるよりは」

「絶望的じゃねーか」


 鼻で笑って、オレンジボブの少女はうながしもせずひとり店に入っていく。雀夜も軽く息をついてあとに続いた。


 ひとりでやっている美容室のように小さな店だ。上向きに口のあいた棚が所せましと並び、三十センチ角くらいの厚紙のジャケットがみっしりと詰まっている。壁にも、どころか天井にも、隙間なくレコードジャケットとポスターと、それからギター。入り口付近に少しだけCDの棚もあった。


「オス」

「オィッス、アカオくん」


 レジなのか、壁面の一角に雑誌やらからのジャケットやらが山積みにされた台があり、そこへオレンジボブが声をかけるとずんぐりした挨拶が返ってくる。カウンターの中でしゃがんでいたらしい人物が顔を出すと、さすがの雀夜もぎょっとした。


 ゴーグルのついた革製の大きなくちばし。ペストマスクというやつだろうか。シュッとしたフォルムのその下にはカーディガンとジーンズを横いっぱいに引っ張りつくしたヒグマのような体が続く。それが音楽雑誌の山からのっそり出てきて、くちばしの先を雀夜に向けて止まった。


「おんや? アカオくん、新しいカノジョ? 続かないのによくやるねぇ」

「うっせ。ウワサ鵜吞うのみにすんな」

「メンテと張り替えは終わってるよ、両方。持ってくの?」

「まだいい。よけといたやつは?」

「奥、奥」

「サンク」


 勝手知ったる様子で、『アカオ』はパーティションのある店の奥へ進んでいく。その背中と「MAGAtoHYマガツヒの新盤入ったよーぉ?」「バンニ抜けてから興味なし」「辛辣しんらつゥー」と追加の会話を交わしてから、ペストマスクはふたたび雀夜を見た。


「いらっしゃいましぃ。背ェたっかいね」

「あなたほどでは」

「ね、メタル興味なぁい? ペアチケット、ひと組あるんだけど」

「めたる?」

「売んな店長ッ! オマエも早く来い!」


 怒鳴り声に割りこまれ、長身ふたりで肩をすくめ合う。「ま、興味出たら言って?」とくぐもった声の店長に手を振られ、雀夜は会釈えしゃくをして奥へ入った。


 木目のパーティションの向こうは、低いテーブルの両側にファブリックのソファーを並べた簡単な接客スペースのようになっていた。壁ぎわには台があり、コンポやアンプなどの音響機材がひととおり並んでいる。アカオはすでにソファに腰かけ、テーブルに平積みにされたレコードを一枚ずつ持ちあげていた。


「ったく、なにがペアチケットだ。二枚組にしただけだろうがよっ」

「なんなんですか?」

「んぁ?」


 ソファのそばでつっ立っている雀夜を、アカオが見あげる。その目は三白眼気味に大きくひらくうえ、フチがつりあがっていて常に警戒モードな野良ネコのようだ。雀夜もツリ目では人のことを言えないが、どことなく眠たげな切れ長は真昼のフクロウのように冷えこんで見えるだろう。


 しばし熱気と冷気とをぶつけ合ったあと、アカオのほうが意味ありげにニヤリと笑った。さすがにチケットの話ではないと察したらしく、男性四人の顔が並ぶジャケットの角を刺すように向ける。


「オマエ、音楽かねえだろ?」

「聴きませんが?」

「オレに勝てる要素ゼロじゃねえか。魔法のテクしか教えねぇしな、あの魔獣まじゅうどもも」

「魔獣?」

「コワい顔してんなよ。いいから座れ」


 語気を強めたのもいなされ、雀夜は口を引きむすんだままアカオと向かい合わせに腰をおろした。アカオはなにやら上機嫌で「よし、まずはコイツだ」と、ちょうど手にしていたジャケットからレコードを抜き出し、プレーヤーにセットする。さっさと再生を始めながらヘッドホンを手に取ると、音量を調整して雀夜にさし出した。


「なんなんです?」

「だから聴けって。タダだから」

「タダなら」

「いいのかよ」


 にやけていたアカオが途端に苦りきった顔をする。忙しい人ですねと他人事のように思いながら、雀夜は本当にヘッドホンを受け取って耳にかけた。


 力強いエレキギターのサウンドと伸びやかで迫力のある歌声。パワフルだが聞きやすい洋楽のロックだ。激しいばかりでなく随所ずいしょやわメロウな感じもする。自分で音楽を聴かないとはいえ、エリアランカーの琉鹿子のライブをずっと見学してきた雀夜には、歌も演奏も知っている音楽よりはるかにレベルが高いことくらいは理解できた。


「どうだ?」

「どう、と言われても……」


 すでにサビだったらしい。すぐに曲の終わりが来たところでたずねられ、雀夜は口ごもった。


 曲のよさは理解はできる。が、それだけだ。特に言葉が浮かばない。


「まあ……いい曲、なんじゃないですか?」

「これがいい曲? そいつは落第って意味だ。んじゃ、次」


 アカオはなにか困った様子で笑い飛ばし、すでに手にしていた別のレコードをターンテーブルに乗せえた。

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