第24話 浮上と決意
「そういうこと、だったんだね」
記憶の世界から戻った私は触れていた魔骨を見下ろし、小さな声で呟いた。
今の光景が真実だ。竜宮閣明臣という人間が遂げた、無念の死。この場所で命を散らした青年が遺した記憶だ。
全てを知った今ならば、この魔骨が私の下にやってきた意味が、理由が理解できる。この魔骨は私に知ってほしかった、伝えたかったのだ。透花様が愛した青年が遂げた死の真相を。この悲劇の真実を。
そして、回避してほしかったのだ。これから最愛の婚約者である彼女を──明臣様が最も愛した透花様に降りかかる不幸を。
魔骨が鳥の姿を模ったのは、明臣様の意志を宿した結果だ。真実を伝え、届けるために……遠くにいる透花様の下へと行けるように、最適な姿になったのだ。
「先生、今のは……」
私と同じように魔骨を見つめていた史輝は、顔を顰めて言った。
「竜宮閣明臣の最期は……かなり、凄惨なものでしたね。中々、心に来るものがありました」
「そうだね。私もちょっと……しんどいかな」
立ち上がり、私は頭上に広がる桜の花を見上げた。
私の胸に満ちている感情は、悲劇の最期を迎えた明臣様と、一人残された透花様への同情と悲しみだ。特に、最愛の人を亡くした透花様の事を考えると、いたたまれない気持ちになる。大切な人を亡くした心の痛みは、想像に絶する。
そして、それ以上に胸の内で大きく燃えるのは、下劣な行いに手を染めた大志への怒りだ。
自分の目的、野望や欲望のために、幸福な他者を殺して全てを奪うだなんて、卑劣以外の何者でもない。しかも、姑息な手を使って誘き出し、背後から斬りつけるなんて猶更だ。
加えて、利用するためだけに透花様を手に入れようとしている。彼女を待っていた幸せな生活を奪い、壊し、嘘で塗り固めた顔で欺き……考えるだけで腸が煮えくり返る。私は直接関係があるわけではなかったけれど、それでも、こんな現実は受け入れることができなかった。透花様の結婚を、認めることはできなかった。
頭上の桜から史輝へと、私は目を移した。
「戻って、透花様に全てを伝えよう。ここで知った真実を、全て」
それが自分たちのするべきことだから。と、私は意気込んで告げたが……反対に、史輝は難しい表情をした。
てっきり、いつものように首を縦に振ると思っていた私は『史輝?』と名を呼んで反応を待つ。
数秒後。史輝は、慎重さが窺える声音で言った。
「僕は反対です」
え、と私が驚き言葉を無くす中、史輝は続けた。
「真実を伝えたいという気持ちは、痛いほど理解できます。ですが、辛い事実を知った透花様の心情を考えると、得策ではないように思える」
「それは──」
「透花様の心情以上に、そもそもこれは貴族間の問題です。これ以上、庶民である僕たちが深く関わる件ではありません」
言われ、私は沈黙した。
勿論、わかっていないわけではない。自分は平凡な一般市民であり、権力者の問題に関わるべきではないことも。余計なトラブルに巻き込まれないためには、ここで得た事実は胸の奥に仕舞い、見て見ぬふりをするのが一番だ。そうすれば、危険に晒されるようなこともない、安全な生活が確約される。
甘い誘惑のような現実が判断を迷わせる。安全を取るか、真実を取るか。それは到底、即断即決できるようなものではなかった。
「このままでは嫌だ、という気持ちは理解できます」
葛藤する私に、史輝が優しく語りかけた。
「けれど、相手は権力者だ。不必要に首を突っ込むと、その首を斬られることになる。何よりも優先するべきは、先生。自分自身の命と安全です」
「……」
「幸いなことに、透花様はこの事実を知りません。ならばいっそ、このまま知らないほうが、彼女にとって幸せなのかもしれない。真実を知ることは必ずしも、幸福を齎すわけではないのですから」
私は片手の拳を固めた。
わかっている。史輝の言うとおりにしたほうが、自分たちの利が大きいことくらい。損得勘定ができないほど頭がないわけではない。利害だけを考えるならば、誰であろうと真実を打ち明けず、深く関わらないことを選択するだろう。貴族間の争いに巻き込まれることもなく、難しい依頼はこれで達成され、溜まった疲れを取ることができる。自分たちにとっては、良いことづくめだ。それはわかっている……けど。
──誰か。
私の脳裏に、初めて透花様の館で聞いた魔骨の声が再生される。その小さな声は心の底から助けを求めているようで、胸が締め付けられるものだった。
「駄目だよ、史輝」
気が付けば、私は口にしていた。
「これ以上、深く関わらないほうがいいことはわかってる。そのほうが安全だし、私たちにとって利が大きいことも。貴族の問題は庶民には想像できないほどに複雑で、ややこしいものだからね。ここで手を引くのが、良い判断何だと思う……けど」
真っ直ぐに史輝の目を見つめ、私は力のこもった声音で告げた。
「その選択をすることは、私にはできない。真実を隠したまま結婚させられてしまう透花様や、欺かれて殺人者を家族に迎え入れてしまう五百旗頭伯爵家。そして、魔骨に意志を託してまで真実を伝えに来た竜宮閣明臣……甘美な選択をして、彼ら全員が救われるの? 誰か一人でも、救われる人がいる? ……誰もいないよ」
偽りの幸福は、幸福とは呼べない。ここで私が逃げてしまうと、残された全員が不幸になってしまう。赤の他人だから、と割り切ることができればいいのだけれど、残念ながら音葉はそんな非情にはなれない。ここで逃げれば、呪いのように一生後悔することになるだろう。
やらずに後悔するよりも、やって後悔したほうがいい。
何処かの誰かが遺した言葉を胸中で復唱し、私は決意の言葉を連ねた。
「これは、私がやらなくちゃいけないことなんだよ。力には責任が伴うものだから。魔骨の声を、助けを聴くことのできる私が果たさなくちゃいけない使命」
「例え、自分に火の粉が降りかかるとしても?」
「その時は、史輝が護ってくれるでしょ? それに、これはまだ依頼の範疇だよ。一度引き受けた依頼を途中で放り出すなんて、そんなの──魔骨探偵の名が廃るよ」
何を言われようとも、この決意は揺るがない。自分の責任を放棄するようなみっともない真似は、絶対にしたくないから。
私の言葉や態度が伝わったのか、史輝は暫くの間私の瞳をジッと見つめ……やがて、はぁ、と溜め息を一つ零した。
「我儘」
「なぁ──!?」
まさかそんな言葉を投げかけられるとは思っておらず、私は珍妙な声を上げてしまう。しかし、それを一切気にする素振りも見せずに、史輝は両手を組み、呆れ交じりに言った。
「もっと後先考えてから決断してください。こんな面倒ごとに首を突っ込むなんて、明らかに危険でしょう? しかも、僕の忠告まで無視して……」
「それは、その、ごめんとしか言えないかな……」
意図的に無視したわけではないとはいえ、結果的にはガン無視だ。善意の忠告を無視されて、史輝の胸中は穏やかではないことは想像するに余る。けど、私としては言い分があってのこと。自分の責務から逃れることに対して、どうしても許せないものがあったのだ。
ただ、申し訳ないという気持ちはある。巻き込んでしまってごめん、と。
私が謝罪の気持ちを込めて頭を下げようとする。と、そこで史輝はフッと表情を緩めた。
「まぁ、でも……こんな先生に惚れてしまった僕には逆らう権利などありませんから。お望み通り、お供させていただきますよ。何処までも、ね」
「……もしかして、最初からわかってた?」
史輝のやけに軽やかで乗り気な雰囲気に、私は疑心暗鬼になる。まるで、私なら最初から透花様たちを見捨てる選択などしないと、わかっていたような。それを知っていて敢えて、意地の悪い選択肢を提示したのではないか、と。
しかし、当の史輝は『どうでしょうね』とはぐらかすだけで、明確な答えを出さない。
これは、問い詰めても逃げられるな。これまでの経験から諦めたほうが良さそうだと私は肩を落とす。と、史輝が問うた。
「それで、どうやってこの事実を透花様に伝えるおつもりで? 明日にでも館に行き、全てをお話ししますか?」
「いや、違うよ」
史輝が挙げた伝え方を、私は即座に否定した。
「そんな普通のやり方じゃ駄目だよ。悪者を成敗する時はもっと、舞い上がっているところから地の果てに墜落させてあげないと」
「随分と悪い顔をされていますけど……具体的にはどのように?」
詳細を求める史輝に、私はニヤッと、不敵な微笑みを浮かべた。
「それを話す前にまず──協力者を募らないとね」
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