第二節 生誕の儀

第三十四話

 この子が生まれた日もこんな、澄み切った青空だった、と生誕の儀に臨みながら、嘉乃よしのは思った。


 大祭殿の舞台の上で、嘉乃は清白王きよあきおうを抱いていた。

 音楽が奏でられ、六家りっかを始めとする貴族たちが集まっている。

 橘三人たちばなのみひとが嘉乃に意味ありげな視線を送るのが見えた。そして、藤道足ふじのみちたりの鋭い視線も。

 嘉乃は、背筋を伸ばした。

 清原王きよはらのおおきみは嘉乃に優しく笑いかけると、舞台の中央へ行き、祝詞のりとの準備をした。


 白い地に金粉が散りばめられた和紙に筆を滑らせ、詠唱する。


 


 高照らす日月ひつきした


 天雲あまぐもの遠くなびきて


 祥瑞せうずいうるはしき子よ


 生まれ出づ光満ち満ち


 す国をまほろばにせむ


 白き髪 金のまなこ


 きよらかにめぐしうつく


 真幸まさきくて 嬉しや嬉し



 真幸まさきくて 嬉しや嬉し




 清原王きよはらのおおきみの声は遠くまで朗々と響き、その声は歓びと愛情に満ちていた。

 清白王きよあきおうが生まれたときと同じように、天から、ユキヤナギの小さく白い花と、白く淡く輝く光が、きらきらと光を放ちながら無数に降って来た。雪のようにふわりと優しく。

 大祭殿を中心に、その祝祭の煌めきが満ち満ち、そしてその煌めきは広がりを見せ、大祭殿から紫微宮しびのみや鳴鳥野京かんなきのきょうへと広がり、恐らくこの国全体を覆い尽くしたであろうと思われた。


 病や傷を癒し、大地を潤す。

 人々に幸いをもたらし、川や湖や海の水を清らかにする。


 清原王きよはらのおおきみ清白王きよあきおう誕生の歓びは祝詞のりととして天に届き、天から祝福が降り注いだのだ。そして、清白王きよあきおうの誕生を世界がよろこんでいるかのように光がいつまでも揺らいでいた。

 嘉乃は眩しい気持ちで清原王きよはらのおおきみを見た。同時に、清原王きよはらのおおきみの詠唱を聞きながら、白昼夢を見ていた。



 清白王きよあきおうの大きくなっていく姿がいくつもいくつも、嘉乃の目の前に映し出された。少しずつ大きくなっていく姿を見て、嘉乃はある予感が強くなるのをはっきりと感じた。


 この姿を、生きて目にすることは叶わない。


 清白王きよあきおうは白昼夢の中でどんどん大きくなっていく。

 その中で、乳母と思われる女性の愛情を、嘉乃は見た。そして、その息子たちと心の底からの信頼関係を構築している光景も。真榛まはりも見た。真榛まはり東宮学士とうぐうがくしとなって、清白王きよあきおうを導いていた。清白王きよあきおうが、そうして安心出来る環境で育っていっているのを見て、嘉乃の目からは涙がこぼれた。


 病がちな清原王きよはらのおおきみも見えた。

 清原王きよはらのおおきみ聖子せいこめあわしの儀を行うのも見えた。

 苦しそうな清原王きよはらのおおきみの顔を見て、嘉乃は、大丈夫と声をかけたくなった。

 どんなあなたでも、わたしは愛している。

 あなたがどんな選択をしても、愛している。



 ふいに嘉乃の頭に声が響いた。



 運命の子の母よ。

 運命の子と運命の子の父の困難を汝が引き受けることで、運命の子は生を全う出来るであろう。そして、運命の子の父は運命の子を、長く導くことが出来るであろう。

 運命の子の母よ。

 汝は、たとえ肉体は滅んでも、象徴花しょうちょうかを共有する運命の子の父と魂が繋がっているため、魂は生き続ける。



 それでいい、と嘉乃は思った。

 この手にこの子を抱くことは長くはないのだろう。この子と清原王きよはらのおおきみを襲う困難――呪と毒を――をわたしが引き受けるのだろう。わたしの命の分だけ。

 それでいい。

 この子が生きていられるのなら。そして、愛しいあの人が生きていられるのなら。



 嘉乃は天を見上げ、舞い落ちるユキヤナギの花をそっと手のひらに乗せた。

 手のひらのユキヤナギは歓ぶように舞い、そして花を増やし、嘉乃と清白王きよあきおうを取り巻いた。清原王きよはらのおおきみが振り返り、嘉乃に笑いかけた。嘉乃は笑い返した。清原王きよはらのおおきみは嘉乃と清白王きよあきおうのところまで来て二人を一緒に抱き締めると、「儀式は成功した。祈りは天に届けられた。きっとこれで、何もかもうまくいく」と言った。嘉乃はほとんど泣き出しそうになりながら、「ええ、きっと」と答えた。


 花と光の祝祭が、降りやむことなく天からもたらされた。




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