第三十一話

 清原王きよはらのおおきみが倒れたとの知らせを聞き、嘉乃よしのは御寝所へと急いだ。

清原王きよはらのおおきみ!」

「……嘉子かこ

 嘉乃は清原王きよはらのおおきみの手を握り締めた。

「心配ない、大丈夫だ」

 清原王きよはらのおおきみは言うが、とても大丈夫そうには見えなかった。

「ここのところ、祈りの儀式が続きましたから。文字の力をお使いになり過ぎたんです」

 真榛まはりが言うと、清原王きよはらのおおきみは「それでも私には、この世界を守る責務があるのだ」と言った。


 清原王きよはらのおおきみは即位して以来ずっと、荒れ果てた土地を豊かにするために、精力を注いでいた。まるで、この何代かの天皇の後始末を自分が一手に引き受けるかのように。


清原王きよはらのおおきみ、ご無理はなさらないでください」

 嘉乃は清原王きよはらのおおきみの手を握りながら、言った。

「いや、……大丈夫だと思っていたんだよ。私も自分の能力がいかほどか分かっている。これくらいで倒れるはずはないのだ」

「――確かに。それはその通りです。清原王きよはらのおおきみのお力の強さを考えると、倒れるほどではないはずなのです。私もそのように予定を組みましたから」

「じゃあ、どうして?」

「私も父上と同じ病なのだろうか? 父上も即位してから、急に病がちになったのだ」

 清原王きよはらのおおきみの言葉に、真榛まはりは眉をひそめた。


清原王きよはらのおおきみに、病の徴候はございませんでした」

「でも、じゃあ、なぜ?」

「――調べてみましょう。清原王きよはらのおおきみ嘉子かこさま。食事は毒見が済んだものをお召し上がりください」

「毒⁉」

「念のためです」

 嘉乃は夢の声を思い出していた。



 運命の子たる予言の王はいまだ小さく、命は萌芽したばかり。

 しゅと毒が彼を襲う。

 運命の子は、しゅと毒に苦しめられるであろう。


 

 もしかして、清原王きよはらのおおきみも同じしゅと毒に苦しめられているのではないだろうか?

 嘉乃は迫りくる黒い予感に身震いをした。



 *



 嘉乃は夢の中にいることを自覚していた、

 そこは真っ暗で光のない場所だった。

 声が降って来る。



 運命の子たる予言の王はいまだ小さく、命は萌芽したばかり。

 しゅと毒が彼を襲う。

 運命の子は、しゅと毒に苦しめられるであろう。

 汝、運命の子を、命を賭して守り給え。


 

 嘉乃は声にならぬ声を出した。喉に石が詰まったかのようで、なかなか声は出なかったが、ふり絞って言った。



「もちろん、命を賭けてお守りします、もうすぐ生まれて来るわたしの子を。だけど、わたしは月原さま――清原王きよはらのおおきみもお守りしたいのです! もしかして、しゅと毒は清原王きよはらのおおきみにも降りかかっているのではないでしょうか」



 天皇家は何代か力のないおおきみが続き、弱くなった。

 世界のことわりを知らぬものがおおきみに逆心を抱いたのだ。

 本来、この国には無かったものが持ち込まれ、おおきみに与えられたのだ。



清原王きよはらのおおきみは毒に苦しんでいらっしゃるのですか? たすけてください!」



 運命の子を産み給いし、運命の母よ。

 命のことわりはなかなか変えられぬ。

 変えようとすれば、汝の命を削ることになる。



「かまいません。清原王きよはらのおおきみをおたすけください。もちろん、わたしと清原王きよはらのおおきみの子も」



 汝の命を全て捧げよ。

 さすれば、願いは聞き届けられるであろう。



 真っ暗な情景がふと掻き消え、白い髪と金色の瞳の男性が見えた。

 嘉乃そっくりのその男性は、真っ青な顔をして倒れた。

 嘉乃が悲鳴を上げそうになっていると、濡烏の髪の女性が来て、祈言を唱えた。

 次の場面では、その女性が和紙を鳥のような形にしたものを飛ばしていた。和紙の鳥が光りを放ちながら舞う姿はとても美しかった。

 そして、その光が白い髪と金色の瞳の男性を癒していくのが分かった。しゅ解除げじょ解毒げどくが行われたのだ。


 ああ、だいじょうぶだ、と嘉乃は思った。

 わたしはきっと、この子を産むことしか出来ない。大きくなるまで育てることは出来ないのだろう。だけど、この子は多くの人に守られて、ちゃんと成長していくのだ。

 それが、はっきりと分かった。

 大丈夫。

 それまでは、わたしの全部で守ってみせる。

 ――愛しいあの人も。

 わたしの命に代えても。


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