第8話 #8


 「いやぁ、さすがおれの見込んだ弟子だね」


両足のマッサージを終え、マットの上でウキウキした様子で飛び跳ねている師匠は、どう見ても僕よりも年上に見えなかった。今回の施術は特に効果があったようで、いつもより声色も明るくなっていた。


 「恐縮だよ。これからも技術向上に励むよ。喜んでもらえてよかったよ。じゃあ次はヘッドスパだから。ここからは雫さんに交代するからね」

 「うん。いつもありがとう、斗和。じゃあ今からは雫ちゃんにお世話してもらおうっと」

 「よろしくお願いします。カケルさん。今の言い回しには少しオジサンの影が見えたりしましたが」

 「ほんと? だってオジサンだもん。雫ちゃんぐらいの娘がいるんだからしょうがないじゃん」

 「まだ高校生でしょ。私より7つも下なんだから全然年齢違いますよ!」

 「そう? 僕にとっては2人とも娘みたいに思えるけどなぁ」


雫さんは子どもに見られることを嫌う。理由は僕もあんまりよく分からないけれど、あからさまに機嫌が悪くなる。まぁそういうところがまだまだ子どもなわけだけど。けれど、師匠は何を考えているのか、わざと雫さんをからかって今みたいに彼女を子ども扱いすることが多い。


 「ほら! 早く行きますよ! ヘッドスパの時間が減っちゃいます!」

 「はーい。よろしくお願いします。雫ちゃん」

 「よろしくお願いします! ってさっき言いましたよ?」

 「何回言ってもいいじゃん」


僕と話している時よりもぶりっ子みたいになって話している師匠は、へらへらと笑ったまま雫さんの後をついていった。その後、シャンプー台に寝て施術を受けている時も、たまに雫さんの大きな声がキッチンまで聞こえてきた。まぁそれよりもお互いの笑っている声が聞こえてくる割合の方が圧倒的に多かったから多分いつも通りじゃれ合っているだけだ。ヘッドスパの施術時間が終わりに近づく頃、良いタイミングでコーヒーが完成した。ほぼブラックだけど、少しだけ、ほんの少しだけ砂糖を混ぜるのが師匠に出すコーヒーのこだわりだ。雫さんは完全にブラック派。僕は多めに砂糖を混ぜて3人分淹れた。


 ・足の疲労…… 9割は取れた。ふくらはぎとアキレス腱、土踏まずに疲れが特に溜まっていた。今後も施術時は注視していく。

 ・メンタル…… 普段よりも声が低かったが、施術を続けていくうちにいつもの師匠らしいヘラヘラとしたテンションで声色も戻っていた。

 ・表情…… 悩み事がある。それを話そうとするまでは自分たちからは聞かない。


雫さんに施術を任せているタイミングで、今回の師匠への施術のレポートとコーヒーを完成させた僕は2人が戻ってくるまで音楽アプリで今ハマっているバンドのバラード曲を流した。店内のスピーカーとスマホを同期したのを忘れていて、急にしっとりしたピアノの優しい音色が店内に響いた。


 「あれ? 音楽変わったー?」

 「先生! スマホのBluetooth消してください」


シャンプー台の方から2人の声だけが同じタイミングで聞こえてきた。大きな声で笑い合っていた2人なのに、しっかり反応してくる辺り、2人も仲が良いなぁと微笑ましく思えた。


 「ごめんごめん。手が当っちゃった。でも、良い曲だから2人も聴いてー」

 「何かこの曲、どこかで聴いたことある気がするなー」


水の流れる音に乗って師匠の声も流れてきた。僕の声も届きやすくなるように僕もシャンプー台の方へ近づいていくと、師匠が気持ちよさそうな声を漏らしているのが聞こえてきた。


 「師匠、ヘッドスパ久しぶりじゃない? 雫さんも前より腕が上がってるでしょ」

 「あぁ、すごく気持ちいいよ。力加減も弱すぎず強すぎなくて。喋ってなかったらこのまま寝落ちしてしまいそうになってるよ」

 「あ、ごめんなさい。カケルさん。寝たかったですか?」

 「ううん。そんなことないよ。雫ちゃんとも久しぶりに色んな話ができたしね。後でやってもらうカウンセリングで話すこと、もう喋っちゃったかもしれないね」


師匠はうーっと唸りながら雫さんに頭を任せてほぐされている。そろそろ雫さんが担当しているヘッドスパも終わりを知らせるストップウォッチが鳴り響く頃だ。僕がそう気づいたのとほぼ同じタイミングで施術の終わりを知らせるタイマーが部屋中にけたたましく鳴り響いた。


 「はい、カケルさん。今日もお疲れ様でした」

 「ありがとうね、雫ちゃん。いやぁ、もうすでに分かるよ。ヘッドスパが効果あったって。頭、めっちゃ軽いもん」

 「ふふ、少しでも癒やせてたのなら私も嬉しいです」

 「少しどころか。いつもありがとうね」

 「お疲れ様。はい、師匠。雫さんも」

 「あぁ、ごめん。ありがとうね」

 「ありがとうございます」


2人にコーヒーを渡すと、まるで生き返ったかのように目を輝かせてそれを取っていった。よっぽど喉が渇いていたのか、師匠は手に取ったコーヒーをほぼ一口で飲んでみせた。コーヒーってそうやって飲むもんだっけ。幸せそうに笑っている師匠を見ると、僕もつられて笑顔になる。あぁ、僕も喉渇いたな。2人と同じようにカップに手を伸ばし、僕が自分で淹れたコーヒーに手を伸ばし、その流れでコーヒーを体の中に入れた。


 「何これ。めっちゃ上手い……!」

 「いやいや。それ作ったの斗和でしょ? 自分で感動してるのは珍しすぎるって」

 「はは。ちょっと自分で自画自賛しちゃった。まぁでも、僕より師匠の方が珍しいから。コーヒーって一口で飲みきる物じゃないからね。まぁ師匠はいつもそうやって飲んでるけどさ」

 「いやだって、美味いんだから一気に飲んじゃうでしょ。それに斗和。コーヒー、前より美味くなってるの流石だよ。豆変えたりはしてなさそうだけど?」

 「うん。仕入れてる素材は変えてないよ。ただ、カウンセリング後に飲んでもらう飲み物はクライアントごとに微調整してるって感じかな。もちろん、師匠は師匠の好きな味って心がけてるし。もちろん、雫さんのコーヒーもね」

 「ま、まじか。それはすごいよ。斗和」

 「先生、私のコーヒーはブラックだと思うんですけど」

 「うん。知ってるよ。けどね、ブラックはブラックでも、より美味しく飲める配分量があるんだ。それで少しだけ調整してる」

 「ぜ、全然知らなかったです……」


雫さんは驚いているというよりも、少し引いているような表情で僕を見つめながらゆっくりとそのコーヒーを啜っている。僕の勝手なこだわりだけれど、それを喜んで飲んでくれる人がこうしていてくれるおかげで僕は飲み物ひとつでも作りがいがあるし、とても嬉しく思える。僕も自分が好きな少し甘めのコーヒーをゆっくりと啜りながら2人を見つめる。うん、やっぱり自分で言うのも何だけれど、すっごく美味しい。


 「雫さんにはこういうこと、言ってないからね。でも、雫さんも積極的にクライアントのことを考えて行動しているから、こうやって飲み物を作る時も自然と美味しいものを提供できると思うよ」

 「ま、まぁ確かにクライアントは大切にしていますけど……」

 「うん。斗和の言う通りだよ。雫ちゃんも優しいから、絶対に美味しいものを作れるはずだよ。人のことを考えられる人に2人が働いてる。ここは本当に良い店になってきてるね。僕も嬉しいよ」


しししと笑う師匠の顔を見ていると、僕も心の中がほんのりと暖かくなる。そして師匠がこうして喜んでくれていると、僕はやっぱりこの仕事を選んで良かったなと改めて思える。


 「ありがとう。師匠にそう言ってもらえて、僕も嬉しいよ」

 「私も嬉しいです。ありがとうございます」

 「へへ、どういたしまして」

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