38.【双極流転】


「……私の魔法が【氷禍】ではない?」


 俺の言葉にシエラが顔を歪めてこちらを見た。


 そんな彼女の眼差しに俺は、ああ、と頷く。


「そうなんだろ。あんたの氷結術式はユリフィスの神威術式である【氷禍】には見えねえ」


 シエラの眼差しを見返しながらそう断言する俺。


 その上で俺はシエラをまっすぐと見やりながらそれを告げる。


「俺は一度【氷禍】を受けている。そこのユキナから喰らう形でな」


 ユキナが精神干渉の【呪い】を受けて、俺と戦わされた時のこと。その時に俺はユキナからユリフィスの神威術式である【氷禍】を受けている。


 あの瞬間に受けた圧倒的な術式は、俺を倒してのけた。


 それを思い出したうえで、だけど、と俺は呟く。


。それがなによりの答えだ」


 俺の言葉に、シエラは両眼を細める。


 何も言い返さない彼女のその態度こそが、何よりも答えだ。


「そも、ユリフィスの使う【氷禍】は別名〝熱量消失(、、)術式〟と呼ばれる」


 俺は、そう呟きを漏らした。


「熱量を完全に消失させるその魔法は、防御が不可能な攻性術式として有名だ。それは、俺であろうと変わりはない」


 ユリフィスの秘術【氷禍】はどんな手段を用いても防御することはできない。


 これは魔導師の魔力云々が理由ではなく、単純な理学の話だ。


 


 前世では熱エントロピーの法則とよばれたそれが、熱量消失を引き起こす【氷禍】によって魔導師に牙をむくのだ。


 よしんば魔法そのものを防御できても、熱量が存在しない空間では、その熱量を抱え持った生物は、世界の摂理によって熱の強制放射を引き起こさせられる。


 それによってよくて断熱圧縮による全身大火傷。


 ……最悪は、内側から爆発四散するというむごったらしい死だ。


 ゆえにユリフィスの神威術式は神地世界でも最強と評される攻性術式だった。


 だけど、


「先ほどの攻撃。俺が防御した結果、右半身がやられた。これは【氷禍】だとおかしな現象だろ?」


 鋭く目を細め、俺が指摘したその言葉が決定的だったようで、シエラは誤魔化すことを止めて、ええ、と言う頷きを返す。


「……そうね。確かにあれが【氷禍】ならば、あの時点で戦いは終了していたわ」


 それまでの態度が嘘のようにシエラがあっけからんとした表情を浮かて、それを認める。


 認めた上で、シエラが口にしたのは次のような言葉だ。


「私が使っている魔法の名は【氷絶】──ユリフィス家が帝国の主神『アルディギウス』より授かった【氷禍】を解析し、模倣再現した熱量術式……完全な熱量の消失も叶わない、神の権能の劣化互換に当たる術式よ」


 ……熱量改変と言うと、おそらくは一時的に熱量のふるまいを改変する術式だろう。


 通常の氷結術式は、氷結現象を起こすような事象改変を発生させたり、あるいは熱量の分布を一時的に歪めるのがせいぜい。


 その中で、熱量そのもののふるまい改変する術式は現代魔法の観点から見ても脅威的なほどに強力と言える。


 だが、神の術式たる【氷禍】には遠く及ばない。


 完全に熱量を消滅させる【氷禍】と、一時的に熱量を改変するだけの【氷絶】では、魔法の原理上後者の方が、圧倒的に防御が容易いからだ。


 それはシエラもわかっているのだろう。彼女は、やれやれ、と左右に首を振って、


「私は三百年以上の時を生きるけど、別に魔導師としては恵まれた存在ではないの。それこそ神の術式に適性をもたないところ、とか」


 言いながら、遠い目をするシエラ。その目は自らの過去を見やっているようにめいた。


「と言うよりも私は生まれた時からそうだったわ。三百年前のユリフィスはいまのユリフィスとは追及する術理も家の環境も大きく異なっていた。その中で氷結系術式を得意とする私と私の弟は生まれた時から差別され、役立たずと罵られる日々を送っていた──」


 ──だから、


「全部をぶっ壊すことにしたの」


 告げて、にんまりと笑うシエラ。


 その笑みを前に俺の背筋がブルリと震える。


 三百年生きた魔女の妄執──それが、表情ににじみ出ていたからだ。


 その上で、歌うようにそれらを口にしていくシエラ。


「自らの術理に貢献しないから、と私達を差別する当時のユリフィスを。そのために私はあの方──大帝陛下に臣従したわ」


 シエラの言葉に俺は両眼を見開いた。


「……大帝って、大帝陛下のことか?」


 それは、この国を建国した者の異名だ。


 帝国臣民ならば誰もが知っているその名を聞いて驚愕する俺に、シエラはクスリと笑いながら首肯する。


 その上で彼女は視線を遠くへ──はるか過去に過ぎ去ったの日々へ向け、


「あの方と共に幾多の戦場を翔け、戦い抜いた日々はいまも夢見る私の青春よ。弟は戦闘には向かない気質だったから、なおさらに私が前に出る必要があった。そうして戦い続けた果てに憎きユリフィスとそいつらが寄生していた旧皇国を倒し、私達は帝国を建国したの」


 シエラが語るのは、誰もが知る建国神話。


 アルカディア帝国と言う国家がかつて存在した神理性国家を打ち倒し、そこにとって代わる形で興されるまでの物語だ。


「勝者として帝国を作った私達は、一挙に傍流から、主流に躍り出た。さらには大帝陛下より、十二騎士候に選ばれ、ユリフィスはもっともっと大きくなる──そう思っていたわ」


 だけど、


。神の加護に対する決定的な適性不足。それによって、私は主神様より授かった【氷禍】の術式を扱うことができなかったの」


 そんな自分の半生を語って、そこでシエラは苦笑めいた笑みをその顔に浮かべた。


「……だからかしらね。かつての私を連想させるジュリアンを放っておけなかったの。私と同じでその時代の主流にどうしてもなれないあの子、をね」


 と、自分がジュリアンをかわいがる理由を口にしながらも目を伏せる仕草をするシエラ。


 はたして、目を伏せる彼女は一体何を想っているのだろうか。


 一つ言えるのは、それが三百年を生きる魔女の根幹をなしているだろうということだけ。


「結局は適性を持っていた弟が神威術式を継いだわ。それ以降、弟が家門の当主となり、私はその後見となった。結局、私はそこでも主流になれなかったのよ」


 その後も、生き続けた彼女は、きっとその弟が死んだあとも、弟の子を、子の子を、さらにずっとずっと続くいまのユリフィスを見続けてきたのだろう。


 三百年の時を生きた彼女を支えてきたのは、きっとかつての主家を打ち倒し、大帝の元で新たに興されたユリフィスを守るという、ただそれだけだ。


 シエラ・ユリフィスはそのためだけにいまを生きている。


 そうして一通りのことを語ったシエラは「それでも」と口にして俺を見詰めた。


「だからと言って、あなたが勝てるほど私は甘くないわよ」


 瞬間、シエラの身の内で膨大な魔力が燃え上がる。


 三百年の歳月を生きた戦闘魔導師の全力。


 それを発しながら、俺を見やるシエラ。


「私の全力を見せてあげる。三百年前、大帝陛下の元で戦った魔女の力を」


 シエラが告げると同時に、周囲を冷気が覆った。


 ただ発せられた魔力だけで事象改変が引き起こり、急激に周辺の気温が下がったのだ。


 圧倒的な事象干渉力がなせるその力を前に、俺は息を飲む。


 そんな俺を目の前にして、シエラが片手を上げたその指先から発せられる魔力は必殺のそれ──ひとたび放たれれば俺とて無事ではすまないだろう。


「……正気か? 俺の後ろにはユキナもいるぞ」


「そうね。だから、できれば降参してほしいのだけど──私もかつて主君と仰いだ大帝陛下の子孫と仲のいい人を殺すのは忍びないわ」


 もし降参しないならば殺す──たとえ背後のユキナがどうなろうとしても。


 そんな意志すら垣間見せながら俺へ最後通牒を突き付けてくるシエラを前に、俺は息を飲み、その上で一度視線だけで背後のユキナを見やった。


 ユキナは、この状況を前にしても、しかし俺へ視線を向けていた。


 こちらを見やる青い眼差し。力強いその視線が、無言のまま俺への信頼を露わとしている。


「───」


 ああ、本当に、あの視線には弱い。


 自分が思った以上に彼女の眼差しへ支えられていることへ俺は苦笑しながらも刀を構える。


 負傷しているゆえに左手だけで保持するその刃の切っ先。


 それを向けられてシエラの両目が細められた。


「……正気なのかしら? まだ私に挑むとでも?」


「あいにくと男には引くに引けない戦いがあるんだよ」


 告げながら中段に刃を構える俺。


 対するシエラは「そう」とだけ口にして、


「なら、死んで」


 魔法が放たれた。


 使う術式は【氷絶】


 熱量改変術式であるそれは、シエラの圧倒的な魔力を注ぎ込まれたことで、すさまじい威力を伴って俺がいる周辺の空間を凍てつかせていく。


──防ぐことは……無理だな。


 魔導師としての直感がそう告げる。


 圧倒的な魔力を纏ったそれは、生半可な防性術式では防御不可能だ。


 よしんば防ぐことができても、背後のユキナまで守ることはできない。


 つまり、絶体絶命。


 それに対して、俺は──


「だったら、斬るしかねえよな!」


 叫ぶと同時に、俺は両眼に魔力を灯した。


 そうして発動するのは【魔眼】だ。


 ただし、一つの【魔眼】では足りない。


 膨大な魔力を伴ったそれに生半可な【魔眼】は意味をなさい。


 ならば、どうすればいいのか?


 答えは単純。


 一つでダメならば、二つ合わせればいい──‼


「──開眼」


 魂魄内の魔導基幹に術式を思い描く。


 沸き上がった魔力が魔導基幹内の魔導師回路を強烈な奔流となって駆け抜ける。


 意識としては一瞬。


 刹那と呼べるほど短い時間で術式が構築されていく。


 そうして起こった事象改変は俺の両眼に宿った。


 右の眼に宿すは【導の魔眼】──因果律に干渉し、望む結果へと導く力。


 左の眼に宿すは【相転移の魔眼】──物質の熱量干渉し、その状態を変異させる力。


 この二つの【魔眼】が俺の左右の眼にて駆動し、共鳴する。


 ──それはあり得ない現象だった。


 本来ならば、別々の力として独立して存在しうるはずの【魔眼】が俺の両眼で共鳴し、混ざり合い、さらには一つになろうとしている。


 これは、メディチ家の奥義。


 ユリフィス家と同じ十二騎士候の一角であるメディチ家の中でもごく一握りの魔導師のみが会得することができる秘術。その名を──





「──【双極流転】〝流々転成るるてんせい〟」





 


【導】によって因果を可視化。そして【相転移】によって可視化した因果を物質化した上で、魔力を込めた刃の一撃を振るう。


 結果起こるのは因果律そのものの両断だ。俺とその背後にいるユキナを氷漬けにしようとした【氷絶】──


 そうして振るわれた刃は魔法を断ち切り、さらにその奥にいる術者すらも一刀両断した。


「……がふっ……」


 逆袈裟の一閃で胴体に大きな切り傷を負ったシエラ。


 そんな彼女を俺は、刃を振るった姿勢で見やった。


 三百年の時を生きた魔女が、地面に倒れ伏す。





 俺の勝利だった。

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