27.気づかれてはならない想い


「マグヌスさんと同じ……」


 俺の右手を見て、ユキナがそんな言葉を漏らす。


 それを聞いて俺は、大きく目を見開いた。


 一方のユキナはそんな俺の様子に気づいた風もなく、ただただ俺の右手──より正確にはそこに刻まれた火傷痕へと、熱心な視線を注ぎ続けていて、


「この火傷痕。間違いありません。かつて見たマグヌスさんと同じ──」


 と、ユキナが決定的なことを口にしようとしたので、俺は慌ててその言葉を遮る。


「いや~、気のせいだろ」


 あはは、とあえてすっとぼけた笑いを浮かべながら俺はユキナの言葉を否定した。


「俺がマグヌス・レインフォードと同じってそんなわけないじゃん。たかだか火傷痕だぞ?」


 俺の言葉に、ユキナも過去の記憶によるものだからいまいち確信を持てていないようで、苦り切った表情を浮かべる。


「……それも、そうですが。しかし火傷痕を遺すのは珍しいです。現代の医療技術ならば、このぐらいの火傷痕はきれいさっぱり治療することが可能ですから」


 痛いところをつかれた。


 ユキナの言う通り、この神地世界では前世に比べて医療技術がすさまじく発達している。


 そのため、火傷痕ぐらいならばわざわざ意識して残そうとしなければ、残らないものだ。


「だとしたら偶然だろ。そもそもマグヌスとやらには本当に火傷痕なんてあったのか?」


 俺が記憶している限り、ユキナと当時のマグヌス──俺が邂逅していた時間はほんのわずかだったはず。


 その短時間で詳細な記憶を覚えておくことは難しいだろ。ましてや事件があったのは二年も前だ。ユキナだってそんな昔のことを詳細には憶えていない──そう俺は予測した。


「……それは、そうですが……」


 言葉を詰まらせるユキナ。俺の言葉を否定しきれないらしい彼女に、俺は内心で安堵しながらも「だろう」と彼女を見た。


「火傷痕ぐらいで、マグヌスと俺が同じわけないじゃないか。よしんばマグヌスにも俺と同じ火傷痕があったとしても、それで俺とマグヌスが同一人物なわけないだろ」


 俺はマグヌスじゃない。そう言い含めるように告げる俺の言葉を聞いてユキナもだんだんとそう思いだしたのか「そうですね」と口して、


「すみません。少し取り乱してしまいました」


「いいよ。別に大したことじゃない」


 そうだ。


 ユキナに俺がマグヌスだってバレることに比べれば。





     ☆





 ……俺は、マグヌスである正体を隠している。


 理由の大部分はやはり【呪い】のこと。


 あれのせいでロクに魔法が使えないうえに、今の俺はさらに心的外傷から〝人を魔法で攻撃できない〟という弱点も抱えていた。


 そんな魔導師としてはあまりにも致命的すぎる弱点を抱えている俺が実は優れた猟兵だ、なんて口が裂けても言えない。


 それとは別に、俺がユキナに自分をマグヌスだと言えない理由はもう一つ。


──帝室の陰謀にユキナを巻き込みたくない。


 帝室と帝国政府が俺とユキナを使って新たな十二騎士候を生み出そうとしている。


 皇帝派のユリフィス、黄金派のアーキュリオス……この二つの血を引くユキナ。


 そこに中立派の筆頭格であるメディチ家の血を引く俺を混ぜ合わせればどうなるか。


 一つ言えることは、そこに生まれる子供は確実に優れた魔導師となる、ということ。


 しかしそれと同時に帝国の魔導師社会にとんでもない爆弾を生み出すことともなる。


 そもそも三つの派閥は、あまり仲がよろしくないのだ。


 それぞれの派閥の特性をざっくりと語れば次の通りになる。





 皇帝派……魔導師も帝国臣民の一人と考え、国益を優先し、国のために命を賭けるべきと考える派閥。


 黄金派……魔導師は一個の個人と考え、魔導師の利益を優先し、国と対立してでもそれを守ることのみ考えるべきとする派閥。


 中立派……どちらの派閥の考え方にも迎合せず、自主独立を保ち、自らの魔道を突き進む独立勢力。





 と、まあこんな感じで、その中でも特に皇帝派と黄金派は首長が正反対であるがためにすこぶる仲が悪い。


 ただでさえ皇帝派と黄金派の両派の血を引くユキナが、さらに中立派の血を色濃く継ぐ子供を産んだらどうなるか。


 考えるだけで頭が痛くなるのは確実だ。


「……だから、俺はユキナに自分がマグヌスだって言えない」


 彼女と彼女の間に生まれる子供が争いに巻き込まれるなどごめんだ。


 ましてや今の俺にはそんなユキナを守れるだけの力がない。


 このままでは帝室にしろ、あのシエラにしろ、食い物にされる未来しか見えない以上、正直いまの俺はなんとかしてユキナとの婚約を破棄することすら視野に入れていた。


 入れている、のだが……。


「さて、この状況、どうしたものか……」


「……? どうかされましたか、ハルくん」


 俺の呟きを聞いて、頭上から視線を向けてくるユキナ。


 いま、俺はユキナに膝枕されていた。


 場所は学校の片隅。


 中庭の端にあるそこで膝枕される俺をユキナは、いっそ無垢と言える表情で見やってくるので俺はなんとも言えない表情を彼女に向ける。


「あの~、ユキナさん、これは?」


「??? 膝枕ですよ」


 いや、膝枕ですよ、じゃなくて……。


「それはわかるけど、えっと、その。ここは学校だぜ? めっちゃ人の眼を集めてんだけど」


「そうですね」


 俺の言葉に、肯定するような言葉を返しながら、しかしユキナは膝枕を止めようとしない。


 俺は困り切って、ユキナを見上げるも、彼女はやっぱり素知らぬ顔をしていた。


「別に私達は婚約者だから構わないでしょう?」


「いや、構うから、マジかまうから!」


 ユキナの言葉に軽く戦慄しながら、そう言い返しつつ、俺はどうしてこうなったのか、と嘆息を漏らしながら思う。


 最初はこんなに強引な少女じゃなかった。


 どちらかと言えば、控えめなぐらいだったのにいつからこうなったのか。


「あのさ、ユキナ。別に俺のことをそんな甘やかさなくていいから」


「いえ、私がこうしたいからこうしているだけで……でも、ハルくんが嫌だというのなら、やめますよ……?」


 そう口にしながらも、眉尻はさがり、さらにどこかしょんぼりした表情をしているユキナ。


──そんな表情をされたら、俺だって断れねえだろうが!


 自分が甘いとは思っているのだが、目の前の少女にそう言う表情をされて断れないのが俺のいけないところだ。


「はあ、あと少しだけだぞ。今日の放課後は、ユキナの習い事があるんだから」


「はい、わかっています」


 にっこりと笑い、彼女はそう告げる。


 これで一応は名家の子女であるユキナにはいくつかの習い事があった。


 さすがのユリフィス家も冷遇しているからと言って、外に出した娘になにも教育させない、ということはできなかったのだろう。


 俺と婚約した後も、週に一度、ユキナは習い事の教室へ通っている。


 今日はその習い事の日だった。


 だから、少しだけ、と言う俺にユキナは好き勝手こちらの上下で黒と金に分かれた髪を撫でてくるので、俺はなんとも言えない表情をする。


 やれやれ、と俺は内心で思いながらユキナを見やった。


 そうしながら見やるユキナの表情はそこはかとなくきれいで、だから、俺は彼女のそんな表情をいつまでも守れたら、とそう思う。


 ユキナに膝枕をされながら、そうして日も暮れて行った──





 ──それから数時間後。


 習い事の教室から、ユキナが行方をくらませた、という連絡を俺は受け取ることとなる。












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