06.雪に鎖された想い





 ──アリエル様。僭越ながら、お食事を用意させていただきました。よろしければ、お召し上がりになりませんか?





 最初それを聞いた時、なんの冗談か、と俺は思った。


 しかし、いざ居間へと言ってみると──


「──本当に、料理が用意されてやがる……」


 新居の居間に置かれた料理の数々。


 正直驚きだった。なにがってユキナ嬢が料理をできる、ということが、だ。


 一般的に帝国における上流階級の人間は、自ら料理なんてしない。


 基本は料理人に料理を作らせるのが当たり前で、それは準貴族の家系である俺の家も同じ。


 ましてや他人のために料理を振舞うなんて言う発想すら起こらないだろうと想像できるからこそ、ユキナ嬢が自分のためだけでなく、俺のために料理を用意したことが意外だった……


「……ユキナ嬢は料理ができるのか?」


「……? ええ、はい」


 俺の問いかけに首を傾げながら答えるユキナ嬢。その上で彼女は眉根を寄せて、こちらを伺い見るような視線を向けてきた。


「お気に召されなかったでしょうか? もしや勝手に料理を作ってお怒りに──」


「ああ、いや。そういうわけじゃない。そういうわけじゃないから、安心してくれ」


 表情を硬くしたユキナ嬢にたいして、俺は慌てて両手を振ってその言葉を否定しておく。


「えっと、それじゃあいただくよ」


 言いながら俺は椅子に座った。まじまじと料理を見やりながら俺は両手を合わせる。


「いただきます」


 とりあえず、目の前にあったトマトスープアズールソアへと匙を伸ばす。


「──おいしい」


 驚きのあまり、思わず俺は唸ってしまう。


 すっごく、おいしかった。トマトスープアズールソアは自宅でも料理人が作ったそれを何度も食べたことがあるが、本職のそれが作ったのにも比べてもユキナ嬢が作ったこちらの方がそれらよりもおいしいとか俺は感じた。


「これは、ユキナ嬢が作ったのか?」


「え、ええ……えっと、お気に召しましたでしょうか……?」


 不安そうにこちらを伺う眼差しに俺は大きく頷くことで応えてやる。


「ああ、すっごくおいしかった。なんというか、俺好みの味だ」


 心底から感心するように言う俺に、ほっ、と息をついて見せるユキナ嬢。


「それは、よかった」


「───」


 ふわり、とユキナ嬢が微笑む。


 そんな彼女に俺はくぎ付けとなる。


「……? アリエル様?」


「ん。ああ、いや、すまない。なんでもない……」


 まさかあまりにも笑顔がきれいだから、見惚れてました、とはいえずそう誤魔化す。


 その上で彼女へと改めて視線を向ければ、彼女もまた対面の席について自分の作った料理を食べている。その姿を見ているとなんとも不思議な気分になった。


 ──ユキナ嬢はいったい、俺のことをどう思っているんだ……?


 転生者だと言っても態度が変わらなかったこともそうだが、こうやった料理を作ってくれたり、なんともユキナ嬢が俺のことをどう考えているのかわからないな、とそう思う。


 とはいえ、仮にも相手は婚約者。おいしい料理も作ってくれたことだし、少しは相手のことを知っていくのもいいかもしれない、とそう俺は思った。


「……ユキナ嬢。一ついいかな」


「……ええ、アリエル様」


 まだ互いにぎこちない感じは残っていたが、答えてくれる程度には話を聞いてくれるようなので、俺は思い切ってこんな問いかけをしてみた。


「俺と君は婚約者だ。国から決められた以上、これは変わらない。その上で、婚約するにあたりいくつか確認したい」


 真剣な眼差しで俺がそう問いかけるとユキナ嬢は「はい、どうぞ」と頷いて答えてくれたので、それじゃあさっそく、と俺はそのことについて切り出す。


「さっそくで悪いんだが、もし好きな人がいるんだったら、先に言っておいてくれ。浮気されるにしても、把握した上でされた方が、こちらとしても助かるからな」


「え……」


 いきなりの俺の発言に、ユキナ嬢がギョッと目を見開いた。


 それを好きな人がいると気づかれたことからのきまずさからだ、と解釈した俺は、やっぱりなと思いながらユキナ嬢へ言う。


浮気や重婚が認められているってのは……ユキナ嬢だって知ってるだろ? ただ、俺達の場合はちょっと特殊な婚約関係だから、浮気するにしても事前に口裏合わせをしておく必要がある。というわけで、その点についての取り決めをしておきたい」


 帝国の婚姻制度は一夫一妻制を絶対原則とした前世に比べて、かなり自由だ。


 夫婦間で合意があるなら浮気はもちろん、重婚──一人が複数人と結婚することすら帝国は民法上でそれを認めている。


 だから、もしユキナ嬢に好きな人がいて、その人と愛し合いたいというのなら、俺に拒む理由はない。ただ事前の口裏合わせは必要だから、そう提案する俺に、はたしてユキナ嬢は、


「い、いえ。そんな浮気なんてめっそうもない……!」


 焦った表情で、否定の言葉を口にするユキナ嬢に俺は意外感を覚えて彼女を見やる。


「ん? それじゃあ好きな人はいないのか? いや、いないならいないで別に構わないし、そうじゃなくても将来できるかもしれないだろ。そういう時にこう言った取り決めはしておかないと互いにいろいろ困るじゃないか」


 俺としてはしごく真っ当なことを告げたつもりだったのだが、しかしユキナ嬢から返ってきたのは困惑したような眼差しだった。


「……そ、その。それはアリエル様も、浮気するから、ですか……?」


「は? 俺が、はは。あり得ないよ。俺は転生者だぞ?」


 転生者は他人から激烈に嫌われる。表面上の付き合いならともかく、一章を添い遂げる相手に転生者だと隠して生きていくことなんてできないだろう。


 正直、こんなことにならなければ、俺は生涯結婚しないで生きていくつもりだった。


 それだと家に迷惑がかかるから、家門から抜けて自立することすらも視野に入れて動いていたぐらいだから、正直自分が婚約する、なんて気は俺の中にさらさらない。


 唇を歪め、そう告げる俺にユキナ嬢はまじまじとした視線を向け、


「なら、私も同じです。私も……誰かと愛し合う気はありません」


「───」


 冷え切った声音だった。


 無感情なのは出会ってからの彼女の常だが、そこだけは逆に冷え切っているからこそ、その中に押し込めた少女の感情が感じ取れて俺は目を見開く。


「……つまり、好きな人はいない、と?」


「……正直に言えば、好きな方は……います」


 ポツリ、とユキナ嬢がそんな呟きを漏らした。


「……なるほど……」


 他人と愛し合うことはない、といつつ好きな人はいる、と言う一見矛盾した発言。


 だが、それを指摘できなかったのは、きっと、その時彼女が浮かべた笑み──すべてに諦めきったもの特有のそれを見てしまったからだろう。


「……でも、その方に、私が想いを伝えることはできません」


 なぜなら、


「その方と私は──あまりに、身分が違いすぎますから」


 だから、私は他人を愛さないんです、と告げるユキナ。


 それに俺はなんとも言えない表情を浮かべるしかなかった。

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