第38話 バイオリン

 そこには既知の場所が広がっていた。当然だ、前に来たところなのだから。

 だけど、同じ場所とは思えないほど、俺は変化していた。

 前は好きな人の家だった。しかし、今は彼女の家。その差は歴然だ。思わず俺は緊張してその場に立ち尽くしてしまった。少し進むのが怖い。何か変わってしまう気がして……。


「別にそんな緊張しなくても。ほら座って座って」


 そう奈由香に促され、俺は無心で椅子に座る。


「そんな緊張されるとこっちもやりにくいよ。そんなのだと、友達のままの方がよかったってなっちゃうし」


 その言葉ではっとなった。別にどんな関係になったって奈由香の家は奈由香の家だ。友達の家、彼女の家、そんなものを気にしていた俺は馬鹿だ。そんなんで奈由香の家を楽しめなくなったらもともこもない。


「確かに。俺もう忘れます」


 その、謎の緊張を。


「その意気よ! じゃあ、入れてくるわね」

「はい」


 そして奈由香がお茶をつくりに行った。


「そう言えば、雄太」


 台所から、奈由香が話しかけてくる。


「雄太も軽くバイオリン弾いてみない?」

「バイオリンをですか?」

「ええ。家にバイオリン実は三つあるし。まあ一つは小さい方のバイオリンだけど」

「小さい方?」

「うん。子ども用って言ったらあれだけど、少しだけ小さいサイズってこと。バイオリンは顎で挟む必要があるから、中学生とかに大人用バイオリンを顎で挟ませるのは大変だし」

「そうなんですね」


 知らないことばっかりだ。だが、そんな話を笑顔でしている奈由香を見ていると、こちらまで楽しくなってくる。


「そうよ。まあそれはやってみてからの楽しみだね。というか、私にとっては雄太を音楽にはまらせたいだけなんだけど」

「沼らせようという事ですか」

「ええ」


 これからバイオリンを弾くのかあ……奈由香がサポートはしてくれるとは思うが、バイオリンは難しいって聞くし、俺にうまく弾けるのか心配だ。


 そして奈由香が持ってきたお茶を飲む。


「いやあ、今日もおいしいですね」

「そう、毎度褒めてくれるよね。ありがと」

「事実ですから」


 そう言うと彼女は微笑んだ。



 そして、お茶を飲んだ後、奈由香が有言実行という訳でバイオリンを持ってきた。それを見ると、さらに心配になってきた。


「これ本当に弾けるんですかね?」


 そう、ビビりながら奈由香に訊いた。


「大丈夫。……とは言いにくいけど、音を鳴らすだけだったら吹奏楽よりは難しくないはずだから」

「分かりました」


 と、バイオリンの弓をもらう。


「弓は猫の手で持ってね、こうゆう風に」


 そして奈由香に合わせて弓を持つ。


「さあ、弾いてみて」

「はい」


 そして不器用ながら音を出そうと、右から二番目のところを弾いた。


 音はなった。とはいえ、ぎーぎーと汚い音だが。


「うぅ」


 こんな音しかしない俺が情けない。


「大丈夫最初だから。それにね、こうして弾けばいいよ」


 と、奈由香が俺の手をもって、まっすぐ弾く。


「まあ、最初は難しいと思うけど、頑張って真ん中で弾けばいいから」


 と、奈由香が手を放して一人で引くように促す。それを受けて、俺は一人で引いていくが、なかなか音が出ない。というか、汚い音がたまに出るだけだ。

 これでは音が出ているとは言わないだろう。あのオーケストラに比べたら天と地、いやもっと差がある。

 ああ、俺はだめだな。


「大丈夫」

「え?」


 そんなことを考えていたら、不安そうな顔をしていたのだろうか、奈由香に声をかけられた。


「最初はみんなこんなものよ。だんだん上手くなればいいし」

「そうですね。俺、いつか奈由香と一緒に轢きたいです」

「私も!!!」


 そう、奈由香は笑顔を見せた。


「じゃあ、とりあえず、色々弾いてみる?」

「そうですね」

「まず、現は、ソ、レ、ラ、ミの音が出る四本の絃があって、その押さえる場所によって、音が上がっていくの。ここだとシ、ここだとド、ここだとレといった感じで」

「なるほど」


 そして俺は指で押さえながら弾いていく。すると、それっぽい音が鳴った。しかし、なんとなく音が若干違う

 気がする。そうして俺が首をかしげていると、


「雄太、ちょっとだけ下だね。もうちょっと上にしてみたら?」

「分かりました」


 その奈由香の言うことに従い、少しだけ上を抑える。


「そう、その感じ! さっきのだとドシャープだったからね。それでようやくレだね! そしてその感じで隣の弦に移って同じことをやってみて」

「こう?」


 そう今度もまた同じ位置で指を抑えながら、隣の絃で弾いてみる。すると、ちゃんと音が出た。


「それは、ラだね。ちゃんと音出てるよ!」

「そうですか。ちゃんと出てますか」


 そして、最終的に奈由香にサポートしてもらいながらだが、『きらきら星』を弾けるくらいまで行けた。


「はあ、今日は指導ありがとうございます。奈由香。おかげでだいぶうまくなった気がする」

「そう……良かったー!! これでバイオリン仲間が増えるね」

「まあ、続けるかは分からないけど」


 難しいし。


「えー続けてよ。私と一緒に弾けるくらいにさ」

「まあ、続けますよ。でも、続ける自身が少しだけないだけで」

「じゃあ、私が毎日レッスンしてあげる」

「お、それはありがたいですね!」


 奈由香のレッスンなら、ぜひ毎回受けたい。


 そしてしばらく会話をした後、俺たちはご飯を食べることにした。現時刻は5時半。そろそろご飯を食べる時間だ。


「そうだ、雄太。一緒にご飯作らない?」

「ご飯を?」

「そう、せっかく付き合ったんだし、恋人みたいなことしようよ」

「それ恋人みたいなことなんですか?」

「いいじゃん。揚げ足取らないでよ。それに……実際はどうかとか関係ないもの」


 まあ、それもすべて楽しければいいしなと思い、「確かにそうだな」と返す。


「じゃあ、作ろう!」


 そう言って、奈由香は台所に走って行った。それに俺もついて行く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る