爺ちゃんとお不動さまと
御堂の扉を開けるとお線香の香りがふわっと漂ってきた。懐かしい香、爺ちゃんの香だ。まるで「お帰り」と、爺ちゃんが出迎えてくれているようで暖かい気持ちになる。
目の前に広がる御堂は、床に置かれた灯りがゆらゆら揺れ、幻想的な雰囲気をかもし出していた。
「弥勒義兄、ありがとう」
俺は思わず声がでた。
ここは木造だから基本火気厳禁だ。でも俺が眠れないことを知っているから、いつも冬になるとここに火鉢を準備をしてくれる。本当にありがたい。
俺は弥勒義兄の優しさに感動しながら、中央に祀られた御本尊の
途中、御本尊の周りには輪郭のボヤけた想いの塊が何体か座り込み、夜の訪問者(すなわち俺だけど)をボーッと見つめている。
怖いとかじゃない。ただ、何も出来ない俺は彼らに責められているような感覚になる。頼む見ないでくれ。そう思いながら、俺は目線を合わすことなく進む。
彼らもまた、行先もわからず途方に暮れているのだろう。そう思うことにして俺は前に進む。
ここにいる彼らは明日の朝、弥勒義兄の祈り待っている。死んだことを何となく理解できている者達が集っているのだ。
「ただいま」
俺はふぅっと息を吐いた。ここに来るとほっとするから不思議だ。
目の前の不動明王はその全てが力強く、右手に剣を左手に網を持ち、背は火炎で包まれている。右手に持った
ここだけは、この周りだけは死者の霊は寄り付かない。それは不動明王が死者を正しい道に導く大日如来の化身だからなのかもしれない。
そんな不動明王はいつもと変わらず鋭い眼光で、俺を見つめていた。
「俺は、正しいことをしたんだろうか?」
返事をくれない不動明王像に俺は語りかける。
タクシーの中で会った学くんの事が気になって頭から離れないでいた。学くんの想いは伝えられたと思うけど、あの映像、暗闇、そして冷たく暗い目をした青年。学くんは殺されたんだという可能性。
色々なことが頭を過っていた。
「わかんないよ。どうすることが正解だったんだろう?」
俺は膝を抱え、考える。答えなんか出ないのに。一生懸命考えてみる。
でも今は斗真と円香ちゃんのことを一番に考えろ! 俺は自分に言い聞かせる。結局は誰も救えていない自分を許せない気持ちにさえなっていた。
しかも彼らと交わり、同期をとるという行為は、俺の体力と精神力をかなり削っていく。
「爺ちゃん。爺ちゃんはさ、なんで俺に会いに来てくれないんだろう。成仏したって事なんだろうけどさ」
思わず弱気な思いがぽろり、口をつく。
『
『姉ちゃんが…ひっくっ…、姉ちゃんが…』
『そんな顔をしているとお不動さまに笑われるぞ』
子どもの頃、姉貴と喧嘩して泣いている俺を爺ちゃんがいつもここで慰めてくれていた。
『怖いよ…』
『あははは、怖いか』
『うん…姉ちゃんみたいだ』
『そうかそうか。でもな
『やさしい?』
『そう、亡くなった方を49日の旅路の中で、迷いをはらう役割を担っていらっしゃる』
『へぇ~、だからお寺にいるの?』
『そうだね、本来は密教の御本尊としてお祀りされているんだよ。お寺によってお祀りする仏さまは違うんだ。でも、亡くなられた方が迷わないように、このお寺にもお不動さまをお祀りさせていただいているんだよ』
『密教?』
あの時の俺は意味がわからなかった。怖い顔をしていたら、死んだ人も怖くて近寄れないんじゃないかとそう思っていたんだ。
「爺ちゃんは、迷わず逝けたってことか…」
俺は迷っている死者がいるなら、悲しみや迷いから解放してやりたい、とずーっと思っていた。でもこれって仏、神のみが成せる業なのだろうか?
じゃぁ俺の力は何のためにあるんだ?
『この力は神からの贈り物だからな。怖がらず大切にするんだぞ』
「爺ちゃん、会いたいよ」
その時だった。首の周りに、冷たい空気が流れた。
『ふ~ん。ボクちゃんも落ち込むんだね』
耳元で、聞いたことのある声が響いた。
「えっ?」
『へぇ~、不動明王ってこんな感じの人なんだぁ〜』
「えっ? えっ?」
不動明王の像を下から覗き込む声の主。
「ちょっと、何で?」
俺はそう言うだけで精一杯だった。だって目の前に、公園で見かけたあの娘が後ろに手を組み、臆することなく普通に不動明王の像を観察しているのだ。
びっくりすると言うよりむしろ何故? という疑問の方が頭を支配していた。
『何で? って、やだなぁ~。楽しそうだからに決まってるでしょ?』
彼女は初めて見かけた時と同じ服装で、俺好みのドストライクのミクちゃん似の顔でそう答えた。
「い、いつからここに?」
『えっ? ずっとだよ。公園で会った時からずーっとだけど?』
「えっ? き、気付かなかった…って、風呂の時もいたのかよ!?」
彼女は俺の目の前に座り込み、顔をぐいっと近付けてにっこり微笑んだ。
や、ヤバい。可愛すぎる。
『ふふ。もちろんだよ』
「えぇぇぇぇぇっ!」
俺は慌てて彼女から離れた。そんなことをしたからといって、何かが変わる訳じゃない。
わかってました。憑いた人間の側にずーっといるって事は知ってましたよ。
ってことは、全部見られていたんだ。全部隅々まで。
『真っ赤になっちゃって、可愛い~♪』
「ちょ、ちょっと」
彼女は俺を値踏みするように上から下まで、360度回り込む。
「あ、あの…」
『いいよ!』
「えっ? な、何が?」
彼女はニッコっと微笑んで、俺を見つめる。
『なってあげる。君の彼女に!』
「……っ!」
彼女はそう言うとウインクして見せた。俺、全く状況が呑み込めないんですけど。
ショートパンツからスラッとした長い足も、ツインテールの長い髪も、何よりミクちゃん似の可愛い笑顔も、全て俺のものになるってことだろうか?
いや待て俺! 彼女は死んでる。しかも陽キャの幽霊で、成仏することより俺といることを望んでる!? あり得ない。
俺の心の声が御堂に響き渡った。
「な、何でそうなるの?」
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