タクシーにもいるんだ
『ねぇ…』
耳元で囁くような声が聞こえた。俺は一瞬ビクッとして顔をあげる。
見るな、無視しろ。今は斗真と円香ちゃんを優先するんだ! しっかりしろ俺!
スマホを握る手に、じとっと汗が沸いてくる。
タクシーという狭い空間の中、斗真は静かに外を眺め、運転手のおじさんは前方を見つめ運転に集中している。誰も俺の変化に気付かない。
『ねぇ、こっち。僕を見て』
懇願するような声がする。
そして俺の首筋をふわっと冷たい風が通りすぎた。
俺の体は強ばり、思うように動かない。
別に怖いわけじゃないんだ。
こんな風に生きている人間に気付いて欲しい理由は、幽霊によってさまざまだ。
変な言い方だけど、それぞれが全く違う想いを持っている。俺がその想いを正しく理解できたとしても、どうにも出来ないことがほとんどで、そりゃぁメンタルがやられる。なら、最初から聞かないでいてあげた方がよっぽどいい。俺は過去の経験から、そう学んできたはずだ。
『あのね。お願いがあるの』
ほら…。来た…。
俺は気付かないふりをして、バックミラーのマスコットをじっと見つめる。と…その時。
「……っ!」
目の前のバックミラーに、男の子の顔が写っているのが見えてしまった。
し、しかも男の子は鏡越しに俺を見てるじゃないか。だから…俺は鏡の中の男の子と目が合ってしまう。
もうごまかせない。俺はふぅっと息を吐いた。
『そんな顔しないでよ』
「き、君は…?」
俺はものすごく小さな声で囁くように話しかけた。
よく人は金縛りに合うって言うけど、俺の場合は全てが研ぎ澄まされるような感覚に支配される。俺の周りの生きている人たちが白黒の世界に入り、俺だけが特別な場所に切り離されたような感覚、そうそんな感じになるのだ。
『僕? 僕は小嶋 学。よかった…やっと話が出来るね』
男の子はホッとしたようにそう囁いた。
寂しそうな声が気になって、俺は鏡越しに学と名乗った男の子を注意深く観察する。
この子もまた、体のラインがふんわりと光を帯びて、透き通る体は俺と重なって見える。そしてさらさらの髪、少し特徴のある眉毛とくっきりとした二重の目が印象的だった。きっと生前は活発な男の子だったに違いない。年の頃は小学校1~2年生くらいかな。
男の子はふわっと消えたかと思うと、今度はタクシーの助手席に座った。ここからじゃ男の子がどんな表情をしているかわからない。
身を乗り出すわけにもいかないよな。
そんなことを考えていると、助手席から小さい手が伸びてきた。やめて…普通にそれは怖いって。
その手は手招きをしているように見える。もう仕方ない。こうなったら話を聞く姿勢を見せようじゃないか。現地に着けばどのみちサヨナラだ。
俺は腹をくくる。
「運転手さん、そのクマのマスコット…可愛いですね」
「あ、これかい?」
バックミラー越しに運転手さんと目が合う。笑いシワが刻まれた、ステキな目元をしていた。
「これは犬だよ」
「犬?」
どう見てもタヌキだよな、と失礼なことを斗真が言うから、運転手さんもあはははと声をあげて笑った。
「手作りですか?」
「あぁ、ちょっと不細工でしょ? でもね娘が作ってくれたものなんでね、捨てられないんですよ」
運転手さんは少し淋しそうにそう言った。斗真はもう興味がないのか、外を眺めている。
「あの、良かったら見せてくれませんか?」
「い、いいけど?」
不思議そうな顔をしながらも、信号で止まったタイミングで運転手さんは快くマスコットを渡してくれた。
昔から、人形やぬいぐるみには想いが宿ると言われている。こんな小さなものにだって、宿るのだ。
掌のマスコットはくたっとくたびれていた。それでも長い間大切にされていた痕跡が残っている。
これだな。これが何だと言いたいんだろう? わからない…。
しばらく眺めていると、助手席にいた男の子が椅子の下から顔をのぞかせた。
「ひっ」
「どうした?
急に股の間から顔が! さっきの男の子だ。
おい、急に顔が現れたら、誰だって驚くだろ? 俺を脅かして面白いのか? 危うくマスコットを落とすところだったぞ。
『これ…ママが作ってくれたんだ』
「お客さん、大丈夫ですか?」
「す、すみません。首がとれたかと」
「何も変わらないぞ? 大丈夫じゃないか?」
「あぁ~、それはもう古いですから。気にしないでください」
「すみません…」
『ごめん…』
ごめんですんだら、警察はいらないって聞いたことがあるだろ? 俺は男の子を見ながらそんなことを考えていた。
すると男の子はジーっとマスコットを眺め、独り言のように呟き始めた。
『ずっと悲しんでるんだ』
「だ、誰が…?」
『もう悲しまないで。僕はちゃんとコロンといるから』
「このマスコット、コロンっていうの?」
男の子は小さくうなずいた。
『もう行かないと。だから…ね』
そう言うと男の子はスーっと消えてしまった。今度は本当に消えてしまったようだった。おい、ちょっと待て! 俺に何かを望んでいたんじゃなかったのかよ!?
俺は今の出来事を頭の中で復唱してみるも、さっぱりわからない。「悲しむな」と伝えて欲しいのだろうか? でも誰に?
「お客さん~具合でも悪いのかい?」
「あ…」
その声でぎゅんと現実に戻る。バックミラー越しに運転手さんが俺を心配そうにのぞいていた。
「すみません。大丈夫です」
具合悪ければ窓をあけていいから、と言いまた前を見る。優しそうな、良いお父さんって感じのおじさんだった。
俺は何気に運転席脇のネームプレートに目が行く。
「小嶋…拓郎…、小嶋さん!?」
俺は運転手のネームプレートを二度見してしまった。あの子は運転手さんのお孫さんだったのか?
「あの…小嶋さんとおっしゃるのですね」
「えぇ、そうですよ。小嶋です」
怪訝な顔がミラー越しに「何か?」と訴えかけている。
「あ、いえ…すみません」
俺は運転手さんにマスコットを返すと、それは定位置に戻りくるくる回ってペコリとお辞儀をしたように見えた。
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