第一話――惑う、ファンタジー



 縮こまった体が歪な肉塊に変えられていく壮絶な痛みの過ぎ去った先で、ムヤミは暗闇に居た。

 死ぬまでは案外、猶予みたいなものがあるのかとも考えたが、もしかしたらこれが死んだ状態なのかとも考え、この暗闇が永遠に続くのかと、異様な恐怖に身を震わせた。


 少しの後、あることに思い至り恐怖が塗り替えられて尚続く、長い暗闇だった。


 もしかしてこれは、流行りの『アレ』では無いかと仄かに心を躍らせた。しかしテンプレ通りの神様仏様が現れる気配や、頭に語り掛けて来る声も無い。

 チート能力やアイテムは? まさかのハードモード系?

 言い知れぬ不安が再び胸の内から湧き上がる。


 どうしてこんなことになったのだろう。

 逃げ続けたから? 戦えば勝てた? いやいや、負けて余計に虐げられるだけだ。それならやはり逃げることは正しい行いだった。

 何がいけなかったのだろう。

 やはり、彼らだろうか。

 ふつふつと思い浮かぶ“彼ら”の顔。

 ……そう、友達。

 思えばその呼び方も、よおムヤミ、俺たち友達だもんな? 金貸せよ、なんて肩を組むAを本当に友達だと思ってしまったことが始まりだった。名前で呼ばせてもらえたことは無いし、お金だって一度も返って来た覚えは無い。


 次の人生があるのなら、もう少し人を選ばないとだめだなあ。

 そもそも、臆病な僕が他人を怖がっていたせいで、Aに出会う前から友達もいなかった訳だけど……。


 ……。


 ……。


 短な人生の悔恨を終えて尚続く、本当に長い暗闇――。


「――おい、あんた大丈夫か?」


 暗闇に突如鳴った男性の声。それと同時に、聞こえ始めたのは雑踏だ。小さな頃に旅行した都会を思い出すその喧噪に、ムヤミはようやく“目”を開けた。


「ひゃえ!」


「うわあ! なんだい急によ!」


 まぶたという名の暗闇が晴れた先。そこにはまたしても暗闇が二つ。それに驚き声を上げて後ろにはねると見えた正体。それは大柄な男性の顔だ。中年といった印象。彼は目や口をあんぐりと開いて驚いていた。尻餅を付いたムヤミもそんな表情をしている。

 彼はムヤミに手を差し出して言う。


「具合でも悪いのかあんちゃん。さっきっから俺の店前で目ぇ瞑ったまんま立ちっぱなしだったぜ? それこそ十分くらいか?」


 それは暗闇に居続けた時間と感覚としては同じ程度だ。つまり暗闇と感じていたのは、単純にまぶたを閉めていることに気付けなかっただけだということ。


「……ホントに大丈夫か? ほれ」


 彼はムヤミに向けて、ずいと手を差し出した。


「あ、あえ、えっとその……だいじょぶです……」


 ムヤミは彼の手を取らず、そそくさと立ち上がる。手を体の前で忙しなくこすり合わせる仕草に男性は目をやるが、珍妙なものでも見たような顔で視線を外して歩きながら言った。


「問題ねえならそこ退いてくれ。店の正面で寝られちゃ商売の邪魔だ」


 そう言いながら、彼は向かった先の椅子にどかりと座り込んで手でしっしっ、と追い払う仕草をする。

 だがしかし、ムヤミにはそんなものを気にしている暇は無かった。まぶたを開いてより瞳に飛び込むその景色に、息を飲む他無かったのだから。


 どんぴしゃりな中世風の建物群。

 そこかしこ往来するは人と亜人。

 煌びやかな衣服を着る貴族然とした者達や、それらを警護しているらしい騎士然とした鎧姿。


 なんということだ。

 現実は小説よりも奇なりとは言われるが、並び立つこともあるなんて。


 ムヤミ、心ここにあらず。


 なんせそこに広がる光景は、


 その世界は、


 一目見て震えるほど、


 まさにまさしく、


 ――異世界ファンタジーなのだから。



 * * *



 二度目の硬直に、さっきの店主はたいそうお怒りであった。


「馬鹿にしてやがんのかああああ!」


 という叫びが通りで鳴り響き、周囲の人の目が一斉にムヤミと店主に向けられた。怒鳴られたことよりも、多数の視線に刺されることがムヤミには耐えがたく、即座にその場を逃げ出してきた次第である。

 しばらくはとぼとぼ歩いていたムヤミだったが、次第に顔は上がり、その瞳はキラキラと輝きを取り戻していった。


 改めて強く実感する。自分は今、異世界にやって来たのだと。


 喧噪の大きくなる方を目指し、街中を歩いていた。

 そこは紛れも無く、前の世界で夢に見ていた異世界だ。ムヤミ自身、中世がどういうものかはよく知らないがなんとなく中世風な建築様式の数多。長い杖を背負ったローブ姿の集団や、皮鎧を着込んで腰に剣を下げた、まるで漫画やアニメキャラのような様相の通行人がそこかしこを当たり前のように往来している。あれらが仮装大会でないのなら、この世界は魔法や剣を用いて戦う者達――『冒険者』がいるということになる。

 それに思い至ったムヤミは、柄にも無く下手くそな笑みを浮かべた。それを見た通行人がいくらか目を背けたことにムヤミは気付かないどころか、さらにその凶悪さを増して笑う。


 なぜなら、それと同じくらい、ムヤミの異世界欲を満たしてくれる存在があるからだ。


 ――それは亜人。


 ムヤミの脳裏を過るのは、かつてインターネットで知り合った異世界ファンタジーものの神と呼ばれた友人の言葉たち。


 細く鋭い眼光。自慢げに垂らす尾は逞しさとしなやかさを併せ持ち、全身を覆う頑強な鱗で様々な攻撃を弾く。緑や赤に黄、はては黒や茶、青。カラーバリエーションに富んだ種族――リザードマン。


 精悍な髭をふっさりと蓄え、その背丈からは想像も付かない力強さと頑固さを持つファンタジーきっての職人気質。故郷は大体山の中――ドワーフ。


 眉目秀麗、才色兼備。どんな世界で語られようともその相貌は傾国レベル。鋭利に伸びた長耳と透き通る白い肌、森に住まう色素薄めのスナイパー。長命美人弓引き種族――エルフ。


 触り心地は昇天必至。これを置いて異世界ファンタジーは語れない。いや、語らせない。野生の五感に勝る者は無く、野生の本能で大体の危機を察知する。序盤の定番お助け猫耳犬耳ヒロイン種族――ビースト。


 街中を少し歩いただけでもこれだけ人間以外の種族が見られた。それの中でも冒険者のように武具や防具を身に着けた者もいれば、この街で生活している様相の者もおり、これが多種族社会という奴か、なんてぺらぺらな納得をした。

 しかし神と謡われた友人の言葉と完全に符合する訳でもなく、多少の差異はあった。

 リザードマンは薄暗い色ばっかりで鱗の厚みがありそうなのはあまりいないし、髭を多く蓄えるって程のドワーフもいないし、弓なんかよりも刀や棍棒を背負ったエルフのが多いし、ビーストは普通に生活している人の方が多いように思える。

 作品によって解釈の違いはあるので、本当の異世界でも新たに知っていく必要があるだろう。


 それらに気付く中で、異世界転生したという実感がとくと強まる。そして、気付いたのだ。


「……そういえば、僕って今、何なんだろう」


 と、掠れた声が漏れた。

 店主との会話では色々と衝撃が大きくて気付かなかったが、喉が痛い。この痛みは、休日に行った一人カラオケで十時間程喉を使い潰した時に似ている。

 それに、現状が転生か召喚か分かっていない。世界にとって自分が異物なのか住人なのか、人なのか亜人なのかはっきりさせなければ立ち居振る舞いにも困ってしまう。

 そう考えると、途端にそわそわして落ち着かない。自分で自分を抱きしめるみたく腕を組み、ただでさえ猫背なのにさらに曲がった姿勢になってしまう。それに加えてきょろきょろと回りを見る仕草。例え異世界だとしても不審であるとムヤミ自身理解していた。

 半ば駆け足になりつつ周囲を見回し、見つけた。そこは大通りに面する商店。大きなガラス張りの飾り棚。大通りに面しているそれに駆け寄り、反射し映る自らの姿を、穴が開くほど凝視した。


 そこにあるのは黒髪の青年だった。根元から持ち上げるようにして横に流された前髪や、その流れに沿って綺麗に整えられた横髪。そしてそれらが引き立てるのは、芸術と呼べるほどに端正な顔面であった。ただ残念な点があるとするなら、ムヤミ生来の自信なさげな顔付きが世界を超えて反映されていることだ。控えめな黒い瞳からも、魂に染みついた及び腰が見て取れる惨状である。


 服装はこの世界へ来て以来見る街の人達と差異は無い。ザ・中世の青年と言う感じ。

 そしてこの体。歳は元と変わらない程度。前の体と比べるとかなり鍛えこまれた肉体に思える。拳を握るだけでも前まで無かった筋肉が動くのを如実に感じられる。握った手の違和感を確かめてみると、たくさんのマメがある。剣か何かの鍛錬をしていたのだろうか。

 しかしガラスに映る自分を客観的に見ても、確かに体格はいいが筋骨隆々という程ではない。それだけ力が内包されているのだろうか。元々のムヤミとは人としての性能が違うという事実が窺える。


 そんな分析の結果、ムヤミは答えに辿り着く。


 以前とは明らかに違う肉体。


 これは異世界“転生”だ。


 それも生まれてしばらく経ってから記憶が蘇るタイプ。


 しかし一番面倒な事実それは――。


「……この世界で生きた記憶が――無い」


 自身の出自が一切分からないのである。



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