第43話 ライ麦畑でぶった斬る その3

  先程からざわざわと騒がしい方角からはっきりと〈不の付く災〉が出たという声が聞こえてきた。


「〈不麦〉だ! 〈不麦〉が出たぞー」


「今年も出たか。まあ、〈不麦〉は出るよね」


 オリカがつぶやく。これだけの広さの畑だ。〈不化〉の確率は低くても、何ヶ所かには〈不麦〉が出てくる。


 農家のおばちゃんたちが僕らにも注意を促した。


「あたし等はまだいいけど、お嬢ちゃんたちは気を付けなよ……って。オレンジ髪のあんた!」


 その声で僕はニイの方を見た。彼女は麦を刈る役割をこなすため、麦に最も近い位置にいた。そして今は騒ぎをうかがうため、麦に背を向けている。


 と、後ろの麦の穂がザワッと動くのが見えた。


 〈不化〉してる! ヤバい! 


 とっさにニイに向かって手を伸ばし、彼女の手をつかんで僕の方に引き寄せる。勢いよく引っ張ったために二人の体が交差して入れ替わった。二人の帽子が飛ぶ。


 勢いの付いたニイの体をオリカが抱き止めた。だが、僕の方は麦に向かって仰向けに倒れそうになる。〈不麦〉に突っ込まないようにニイの手を両手でつかんで何とか踏ん張った。


 さわさわっと〈不麦〉の穂が頭頂部のつむじのあたりに感じられた。


「触られてる! 触られてるぅ!」


 泣きそうな声で訴えると農家の人々がオリカを捕まえて、みんなで「よいしょっと」と言いながら引っ張ってくれた。まるで大きなカブになった気分だ。早く、早く。


「うわっとと、イテッ!」


 引っ張られた勢いでたたらを踏み、地面にうつぶせで倒れてしまった。幸い【フレームワーク】を身に着けていたので、怪我はなさそうだ。


 ほっと安心したところで、オリカ、ニイ、おばちゃんたちが一斉に声を上げた。


「「「「「あ」」」」」


 うわ、まさか!


 恐る恐る頭頂部にゆっくりと手を持っていき、感触を確かめてみる。すると、そこにあるはずのサラッとした毛の感触はなく、ペタッとした頭皮の触り心地のみがあった。


 ない……ないぞ……「髪」がない! 刈られた! チクショー。聞いてたから注意してたのに! くそ、マジか!


 麦が〈不化〉すると、これまで”刈られる側”だった麦たちが”刈る側”に回り、穂に近づいた人間の髪の毛を刈り始めるらしかった。ちなみに毛を刈られる以外の実害はない。


 自分の身をもってそれを体験するとは。


 確かめるというよりは、刈られた事実がなかったことにならないかという心持ちで、頭をなで回す。


 当たり前だが、一度刈られた髪の毛は戻らない。生えてくるんだろうな、これ。マジか……この体は若いから大丈夫だよね……


 沈んだ気持ちで、寂しく頭を撫で回していると、大きく明るいオリカの笑い声が響いた。


「ぶっ、あはははははは。頭頂部、頭頂部だけ毛が無い。ダミケル!うわあ、絵とそっくり」


 おばちゃんたちも笑っているがひと際大きな声で笑っている。笑い飛ばしてくれた方が、悲壮感がなくて助かるっちゃ助かるけど。


「あ、体大丈夫? 怪我ない? 毛が無いだけに。あははははは」


 オリカがしょうもないダジャレを自分で言って、自分でウケてる。そんな笑い続ける彼女に対して恨めしい気持ちをのせた目線を送る。


「いやっ、だめっ、お願いっ。こっち見ないでっ。あははははは」


「笑いすぎ! オリカ!」


「あはははは、あーごめんごめん。ビフォーアフターのギャップに笑っちゃった。それにダミケルにそっくりなんだもん。……うーん」


 しげしげと僕を眺めるオリカ。


「まあ、もとはヒデンでんの顔だし、きちんと整えたら別に問題なさそうかな。それにいい予行演習になったよ。そんな風にテッペンから来るとは限らないんだろうけど」


「予行演習? なんの?」


「将来、ヒデンでんの髪の毛が薄くなってきた頃の話だよ」


「それって未来も僕と一緒にいてくれるってこと?」


 オリカがはっとした顔をして動きを止めた。そして、んんっと咳ばらいをして、言い返してきた。


「SDGsは長くやっていきたいチームだからね」


 そう答えるオリカを見て、お世話好きそうな笑顔を振りまきながら、おばちゃんがオリカに言う。


「んん? 顔が真っ赤だよ?」


「気温も高いですからね。ちょっとのぼせ気味になっちゃいましたかね。皆さんも熱中症には注意しましょう」


 手で顔を仰ぎながらオリカが言う。手を使わなくても風を操作して顔に当てることができるのに。動揺しすぎじゃないか? 自分が風を操れること忘れてそう。可愛い。


「へえ、とぼけるねえ」「まあ、この周りだけ気温が高いのは確かだね。誰かさんたちのおかげで」「仕事が終わったらゆっくりお茶しましょうね。聞きたいことが多いわ」


 僕はおばちゃんたちのツッコミを聞きながら、飛んで行った帽子を拾ってかぶり直した。


 嬉しいこと言ってもらえたし、髪の毛をなくしてもトータルではプラスな出来事かな。気を取り直して続きに取り掛かりますか。


 ここで補足しておくと、〈不麦〉の〈不化〉は、刈り取ってしまうことで解ける。もちろん〈不麦〉の近くに行っても刈られる心配のない人もいて、そういう人は積極的にこの仕事を受けている。中には散髪代が浮くと豪語する人もいるらしい。


 あと「ダミケル」というのは前世でいう「ザビエル」と同じように頭頂部に毛のない肖像画で有名な人らしい。ちなみに何をした人なのか尋ねたが、SDGsのみんなは「詳しいことは知らない」とのことだった。いやまあ、どうでもいいことなんだけどね。



《》 《》 《》 《》 《》



 その後もたまーに出る〈不麦〉に注意しながら、麦刈り作業を続けていく。肉体労働はしんどく、楽しいことばかりではないけれども、昼ご飯のお弁当もおいしかったし、気持ちよく仕事ができている。


「ふー。順調だよ。お嬢さんたちのおかげだねえ」


 それを聞いて僕も調子よく楽観的な言葉を口にした。


「この調子なら〈不麦〉以外の〈不の付く災〉には出会わないですむかなあ」

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