第5話 災害獣の名は〈不の付く災〉 発音は"八宝菜"

 二人の姿が薄まっていくと同時に周りの景色が色付いて行く。結構な長い時間、青空と白い地面だけの空間だったから久しぶりに他の景色を見れるのがうれしい。


 そのうち景色が変化し終えた。どうやら草原のようだ。風が暖かい。地面にはパンジー程度の大きさの小さくも色とりどりの花が咲いていて、目を楽しませてくれる。


 花と草の香りが鼻腔をくすぐり、柔らかな日差しが気持ちいい。季節は春かな。旅立ちの日としては最高だね。グーッと体を伸ばし、次いで脱力する。ふうぅー。


 "転生"って言ってたからてっきり赤ん坊として生まれるのかと思っていた。自分の姿は分からないが、あまり変わって無いように思える。


 それより、下界? に着いたらそれからどうすればいいか聞いとけばよかったな。言葉は大丈夫らしいけど、社会常識や動植物の生態なんかも全然教わってないことに気づいた。


 うーんちょっとボケボケしてたな。少し困ったぞ。


「お、来たのぉ」


 そんなふうに考えていると後ろから聞いたことのある声がした。振り返ると……


「オミ!」


 見知った濃い顔の毛むくじゃら男が片手を上げていた。


「さっきぶりじゃのぉ」


「どういうことだよ。なんでここにいるんだよ。さっきの感動的な別れはなんだったんだよ」


「そがぁに感動的に別れたかぁ? あっさりしたもんじゃったと思うがのぉ」


「ぐ」


 おっしゃるとおりでございます。そこはあっさりしたい性分なんだよね。


「それに「またの」いうて言うたじゃろぉが。まあ、色々話もあるし、まずはウチに行くど」


「ウチ? オミ、こっちに家持ってるの?」


「ほうじゃ。仕事して生活しょうるど」


「オミって、てっきり神様のたぐいだと思ってたけど…… もしかして違うのか?」


「あん? 言うとらんかったか? ワシゃあ人間よ。《ドレサース》人じゃ。なんじゃ今さら」


「聞いてないよ」


 リツが女神って言ってたから、てっきりオミもそれに近い存在だと思ってわざわざ聞いてなかった。


「確認するけどリツは女神だよね」


「ほうじゃ、それは教えてもろーたんじゃないんか? もうええか? あとは歩きながら話をしょうやぁ」


 そう言うとオミは振り向いて、そちらの方向に歩き始めた。僕は小走りしてその横に並ぶ。


「オミの家ってここからどれくらい時間がかかるの?」


「こっからは歩いて一時間くらいかのぉ。あの森を抜けるど」


 と目の前の森を指差して言った。


「りょ〜かい。オミがいてくれて助かった。実はまた会えて本当に嬉しいんだ。ハッピーだよ」


「最初くらいは、助けちゃらぁや。後は好きに生きていきゃあええ。おみゃぁのやることはリツからきいとろうが、"《ドレサース》で暮らすこと"だけじゃ」


 僕がただ暮らすだけで世界を安定させられるなら、なるべく長生きしたほうがいいよね。最初に手伝ってもらえると生存確率が上がるし、オミが来たのはリツの手配かな。


「ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうよ」


 短い会話をしているうちに森の前に到着した。これまで読んできた異世界転生ものと呼ばれる物語だと、森でモンスターに遭遇したり、盗賊に襲われてる馬車を見つけたりするもんだけど……


「? なんか緊張しとるんか?」


 そんなことを考えて少し身構えていたのが態度に出ていたらしい。


「いやあ。こっちの世界の治安や自然の脅威とかを全く知らないからさ」


「? おお、強盗とかのことか? この辺はそんな人里から離れとらんし、襲われる心配はいらんど」


「信じるよ? その言葉」



《》 《》 《》 《》 《》



 実際、特になんのトラブルもなく、森を抜け、街道に出た。気持ち良い天気の中、街道を歩く。小高い場所に差し掛かると、少し先に村のような集落が見えた。


「あれが、ワシが住んどるヒカグチの村じゃ」


 山間の村という感じそのままの村だ。村の両側には木々の茂った山があり、村の中ほどには川が流れている。


 畑や田んぼの間に木製の家が建っている。新緑に彩られた景色が鮮やかで、一幅の絵画のようだ。


「いい景色だね。キレイなところだなあ」


「ほうか? ワシからすりゃあ毎日見とる退屈な景色じゃがのぉ。気に入ってくれたんならえかったわ」


 オミが照れたように笑った。


 村の方に下りていく。そして、村の入口付近にある一軒の家の前まで案内された。


「ここがワシの家じゃ。まあ、しばらくはおみゃぁの拠点にもなるかの」


 二階建てのその家はちょうど修行時にリツやオミと三人暮らしした家と同じくらいの大きさだった。リビングらしきところに案内されて、椅子を勧められたため、腰かける。


「オミ、一人暮らしなの?」


「いや、二人暮らしじゃ、カミさんはちょっと出とるんじゃろう。じきに戻ると思うど」


 そうこう言っているうちに玄関の方から音がした。オミの奥さんが帰ってきたようだ。


「あら、着いたのね。いらっしゃい」


「リツ!」


 あり得るかなとは思っていたけど、夫婦だったのか。


「二人は夫婦だったの?」


「言うとらんかったか?」


「そのフレーズ何回目? そしてこれを言うのも何回目? 聞いてないよっ」


「うつし身ですので、あまり力はありませんけどね」


「じゃあ、そろったことじゃし、茶ぁないと飲みがてら《ドレサース》について話をしょうかのぉ」


 そうして、文化レベル、食生活などのこちらで生活する上で知りたい情報を色々と尋ねて教えてもらった。地理や国家関係についてはあえて聞かなかった。いずれはこの《ドレサース》を旅し、その道行きを通して知りたいと思っているからだ。


 一応、旅の途中でいきなり戦争に巻き込まれるような紛争地域が存在しないことは確認した。


「世界は平和ってことだね。いいなあ」


「いさかいがゼロというわけではありませんが、概ね平和ですね」


「まあ、人同士が争っとるヒマが無いいうこともあるけどの」


「どういうこと?」


「人に害をなす存在、〈さい〉のせいです」


「〈さい〉?」


 発音が「八宝菜」と同じだ。


「どんな漢字を当てるの?」


 するとリツが”さい"という字を教えてくれた。


「なんだか物騒な字だね。それで、その〈さい〉ってどういう災害なの?」


「〈不化ふか〉という状態異常を起こした動物や植物が狂暴化して人を襲うようになります。"魔物化する"とか"モンスター化する"といえば分かりやすいですかね」


「あー、そいういうパターン」


 読んできた物語を思い出して、つい軽い感じで応答してしまった。


「そがぁに軽い感じで言うが、住んどるもんとしちゃぁ大変なんど。それにおみゃぁもこれからはここで住むんじゃろう。油断しとったらいけんで」


「ごめん! いや、そりゃそうだよね。しょうもないこと言って本当に申し訳ない。気を引き締めるよ」


 反省。駄目だね。ここは地球とは違うんだ。意識を切り替えていかないと"長生き"できないぞ。


「そうですね。《ドレサース》には、ドラゴンやグリフォンのような地球では空想上のモンスターも存在しています。それらが〈不化ふか〉して〈さい〉になったりしたときは、とても大変みたいです」


「"みたい"? 伝聞みたいに言うけど、リツは神様でしょ? わからないの?」


「あなたが修行していた場所、神界って言うんですけど、そこで神としての力を使えば世界を見通すこともできますが、今は人妻なのでめったなことでは、行かないようにしてるんですよ。そういった情報は噂話で聞いてるだけですね」


「いやでも、苦労しているって聞いたら、何かしてあげたいとかならないの?」


「現実世界に干渉する力は小さいんですよ。神界にいたとしても、せいぜい神託として言葉を授けるくらいですかね。力があれば《枠力》高い人を連れてくるなんてこともしなくて済んでます」


 心底すまなそうに思っている顔でリツがそう言った。


「なるほどねえ。まあ、神様が下界に干渉してもいいことばかりじゃないだろうし、"そこにいる"くらいがちょうどいいのかも知れないな」


「そうですね。心苦しい所もありますが神とはいえ限界はあるので、基本は不干渉でいさせてもらっています」


 神様と知り合いだからってずるはできなさそうだな。了解。


「それとなるべく長くこちらで暮らしてほしいので、あなたの体は若返らせてます。あまり幼いとそれはそれで暮らしが大変でしょうし、少年と青年の間くらいですね」


「あ、そうなの? 鏡見てないから分からなかった。よっほっはっ。おお、ほんとに動きが軽い。ありがとう!」


「せーからこっちじゃぁ、ワシらの甥っ子いうことにするど。身元がはっきりせんのは困ろう」


「ヒカグチ村のオミとリツ夫婦の甥っ子ね。了解。そういえば名前はどうしよう、せっかく生まれ変わったんだから、前世に引きずられないように名前を変えておきたいんだけど…… オミ、名前付けてもらえる?」


「ワシがか?」


「頼むよ。もう父親みたいなもんだし」


「設定はおじじゃ言うたろう。自分でなんとかならんのんか」


 ブツブツ言いながらもちょっと嬉しそうだ。


「ほうじゃのぉ…… 秘蔵の甥っ子…… "ヒデン" でいこうか」


「"甥っ子"の部分はどこ行ったのかわからないけど…… 楽園の"エデン"と同じイントネーションで "ヒデン" か。こっちで楽しく暮らせたらいいな。ヒデン=オーツ。うん、響きもいいし、気に入ったよ。ありがとう!」


「えっしゃ。だいたい最初にしとく話は終わったかのぉ。明日からは、ひとまずワシの仕事を手伝えぇや」


「わかったよ。オミの仕事ってなに?」


「木こりじゃ」


 力仕事か、頑張るぞっ。


 そうしてでかけた先で、僕は初めて〈不の付く災〉とそれを束ねる上位存在に会い、死にかけるのだった。

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