第13話 皿の上


 この場のボスはこの男に違いない。

 藤崎は左の上座にいる男のテーブル目掛けて駆け上がった。テーブルの上にある酒瓶が目に入る。それを掴んで叩き割った。

 ガシャーンと派手な音がしてビンが割れる。液体が飛び散って、芳醇なアルコールの香りがそこらに満ちた。


 藤崎が出口に向かって逃げ出すと思っていた人々は、虚を衝かれた格好になった。

 それは、いじめっ子に囲まれた時に、藤崎がよく使っていた手だった。いじめっ子のボスに体当たりして逃げるのだ。二度に一度は成功していた。


 今も、ボスの上に乗り上がって、割れた瓶を突きつけ、周囲をキッと睨む。

 ここが閉じ込められた空間ではなかったら、あるいは相手の人数が少なければ、その作戦は功を奏していたかもしれない。


「坊や、そんな物で勝てると思っているのかな」

 乗り上がられた男の方が、下から藤崎を見上げて余裕で言う。唇がにやりと笑っている。


「うるさい!!」

 藤崎は喚いた。勝てるなんて思っちゃいない。自分がバカだった。

 居たくもない職場に未練を残して、仲良くしたくもない上司に誘われて、のこのことこんな所まで付いて来た自分が、馬鹿で滑稽で惨めだった。


 こんな、こんな所でエイリアンの供物にされる為に――。


 だが小心な藤崎には、割れた瓶を振り上げても、ボスの男の上に振り下ろす事が出来ない。痛いと思ってしまうのだ。こいつらは人間じゃないのに。自分はここに居るエイリアンたちに、寄って集って食われてしまうかもしれないのに。


「くそっ!!」

 側に居たボスの部下の二人が、藤崎を捕まえようと飛び掛った。藤崎はボスから飛び降りて、持っていた瓶で闇雲に払った。


 割れた瓶の先が部下の手に当たったらしい。バッと血が迸ってズルッと皮が捲れた。その下にあるものは赤くはない。緑色だ。

 ギョッとして男を見上げる。アクシデントで部屋の照明が明るくなっている。男の目は虹彩が丸くない。縦に細くて、まるで猫の瞳のようだ。

 と、後ろからボスの側に居たもう一人の部下が、藤崎の腕を捕まえて捻り上げた。


「うわあぁぁーーー!!」

 持っていた瓶がごろんと床に落ちる。

「あまり痛めつけるな、味が悪くなる」

 ボスが悠々と立ち上がって、手で服を払いながら言った。


 部下が藤崎の腕を捻ったまま、前の位置で見ていた店のマスターの長町と安斎係長の所まで引き立てる。


「お、お前ら、エイリアンなのかっ!?」

 ボスを振り返って喚いた。

「今日のメインディッシュは生きがいい」

 ボスが笑う。

「安斎係長。あんたもか!?」

 係長は不気味な笑顔を寄越した。

「大丈夫。君の身代わりは、ちゃんと用意してあるからね」

 藤崎の身体が震える。


「君の記憶は、ちゃんとそいつが受け継ぐからね」

 この男は安斎係長ではない。毎日毎日藤崎にぐちぐちと愚痴を零した、あの男ではないのだ。


 エイリアンはこの街でひっそりと、人間と入れ替わっていたんだ。振り向いた藤崎の瞳に店に居た人々が映る。

 こんなにたくさん……。


「さあ、これを飲むんだ」

 マスターの長町が、グラスに入った赤紫色の飲み物を、藤崎の口に宛がった。飲むまいとして口を閉じても、鼻をつままれて口を開けた拍子に流し込まれる。

 ぷりぷりとした感触が口の中で溶けて、喉の奥へと流れてゆく。甘くて、すっぱくて、シーヴの船で飲んだ、あの飲み物とよく似ている。


 藤崎の身体がゆっくりと熱を持つ。頭の中まで熱が浸透して来るようだ。

「よし、服を脱がすんだ」

 マスターが言う。

「止めろぉぉぉーーー……!!」

 部下のひとりに腕を捻り上げられたまま叫んだけれど、声が変な風に間延びしてしまう。身を捩って逃げようと藻掻く。


 だが、男たちは藤崎の抵抗を楽しむように、上着を逃がし、シャツを脱がし、ズボンと下着を脱がした。男三人によって、あっという間に藤崎は全裸にされてしまった。


 そのままフロアの中央に引きずり出される。

 フロアの中央にはテーブルが迫り出ていて、その上に白くて大きな楕円形の皿が置かれていた。ちょうど、人間一人が横たわれるくらいの大きさだ。


 まさか…、生きたまま喰らう気か。

 藤崎の身体が震えた。

「い、嫌だぁーーー…!!」


 歩くまいと抗ったが、ボスの部下二人にずるずると引き摺られて行く。

 皿には、香草か緑の葉っぱが敷いてある。皿の四隅には、杭のような少し飛び出た突起があって、輪っかのような物が付いていた。


 藤崎はその皿の上に仰向けに乗せられ、輪っかに両手首、足首を入れられ、大の字に縛られた。

 藤崎の白い身体が照明に浮かび上がる。シーヴに付けられた跡は、あの飲み物の所為かすでに無くなっていた。


「ほう」

 と感嘆する声。あちこちで唾を飲み込む音。

「硬い感じに見えたんだが、ここ最近で急に熟れてきて、美味そうになった」

 安斎係長が言う。こいつはいつ入れ替わったのだろう。


 ボスと思われる四十くらいの貫禄のある男が、大皿の前に進み出た。相撲取りみたいに太ったマスターが、陶器の入れ物を恭しくボスに差し出す。

「ソースでございます。ラーゲル様」

 ラーゲルと呼ばれた男は入れ物を掴んで、中の液体を藤崎の身体に回し掛けた。赤いとろりとした液体が藤崎の身体を斜めに走る。冷たい感触に藤崎は身を捩った。


「それは…、何だ……」

「ソースだよ」

 マスターが答えてくれる。店の客たちが皿の周りに集まっている。客たちの瞳が爛々と輝いているような気がする。恐ろしい光景だった。

 恐怖で身体がガタガタと震える。それなのに、頭の芯だけが熱い。


 マスターがソースの容器を受け取り、今度は大ぶりのナイフを差し出した。

「さあ、ラーゲル様」

 ラーゲルがそれを受け取って藤崎に向かう。

「どこから頂こうか」

 やけによく切れそうなナイフを手に持って、男がにやりと笑う。


(本当に食われるのか…!?)

 ナイフを見て、藤崎の頭がサーっと冷えた。


「嫌だっ!! 誰か!! 助けて!!」

 手足をバタつかせて、必死になって喚いた。

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