第7章 学園都市メルキス編 第1話(4)
「では、明日には聖堂学園を訪問するということで、学園長にはお伝えしておきますね」
「ああ、よろしく頼むぜ。じゃあな」
エマに挨拶と行動方針を伝えた一行は、ギルドを出るとその足で宿に向かった。時刻は昼日中を過ぎ、白く光る空に隠れる陽は少しずつ天頂から傾こうとしていた。
ゲルマントに案内された宿は、市内でも指折りの上等なホテルだった。町の習いに違わず乳白色の石で造られた建物は、この町らしい品位と清潔さを感じさせた。
「はわぁ……素敵なお宿ですねぇ。ここなら思いっきりごろにゃんできそうですぅ」
「なんていうか……わかってたことだけど、この町って建物までこんなふうなのね……」
異なる色のため息を漏らすエメリアとセリナを横に、ゲルマントが一行を牽引した。
「積もる話は後だ、まず入れ。荷物を置いたら全員俺の部屋まで集合だ。情報交換を始める」
拙速を貴ぶゲルマントの指示に、一行の面々はそれぞれの顔色で頷きを返した。
ホテルの部屋割りは、既に到着していたゲルマントの一室はそのまま、クラウディアとサリュー、セリナとエメリア、クランツとルベールという分け方になった。ゲルマントから事情を聞いたエマが前もって伝えてくれたおかげで、一行の部屋入りは滞りなく進んだ。
情報交換を始める直前、同じ部屋になった彼らはそれぞれに短い時間で話をしていた。
以下は、それらの三様である。
「ふう……」
部屋に入ったクランツは、ベッドに倒れ込むと、長旅の疲れを吐き出すように息を吐いた。これまでの旅業の中で蓄積されてきた疲れが急にどっと出たような感覚が体中を巡る。
クランツはそれを不思議に思った。今までの旅程の中でも、ここまでの疲れを感じたことはそうそうなかった。なぜここに来てここまで特別なほどの疲労感を覚えるのか。
(やっぱり、前の町で意外と疲れてたのかな……意識してなかっただけで)
だが、クラウディアもエメリアも守れたことに悔いはない。むしろ誇らしくさえあった。
などと考えている内に、疲れの巡った体と意識が睡魔に侵食されていく。
(あ、やばい……寝る……)
「まだ寝ちゃダメだよ、クランツ。団長が待ってるのに遅刻するつもりかい?」
眠りに落ちようとする直前のクランツに、彼を覚醒させる殺し文句が飛んできた。
その言葉に反応したクランツががばりと跳ね起きると、隣のベッドに腰かけていたルベールが苦笑しながらこちらを見ていた。
「さすが、今でも効果覿面なんだね。そういう所が君の意志の強さなんだろうな」
感心したようなルベールの言葉に、クランツは決まり悪げに言い返した。
「からかうなよ、ルベール」
「ごめんごめん。今寝られると皆困ると思ったからさ。団長に迷惑はかけたくないだろう?」
「起こし方が普通じゃないっての……」
完全に寝る気を失くしたクランツは頭を小さく振って意識を明瞭にすると、瀟洒に飾り付けられた小綺麗な部屋の内装をぐるりと見回した後、ルベールに向き直った。
「まあでも、そうだな……ありがとな、ルベール。起こしてくれて」
「どういたしまして。友と旅業のためさ。それに、それだけ君が知らない間に疲れを溜めてたってこともわかったしね」
そう言うと、ルベールは心の内を探るような目でクランツのことを見た。
「クラウディア団長と向かったレオーネ……向こうでは、どうだったんだい?」
その言葉に、クランツはレオーネでの旅業を思い返しながら、ルベールに話した。
「なんていうか……複雑な気分だったよ。向こうでもやっぱり十二使徒が現れて、おれ達だけじゃなく町の人まで襲ってさ。それで、団長が……責められそうになったりして」
「団長が、責められた? 町の人達にかい?」
ルベールの問い返しに、クランツは苦い表情で頷いた。
「十二使徒と彼女が知り合いだってことがわかった途端、声を上げた奴がいたんだ。お前も……クラウディアも、あいつらの仲間なんじゃないかって」
「なるほど……それで町の人達の矛先が団長に向きかけたってわけか」
「うん。シャーリィさん……向こうにいた六星の巫女と自警団の団長が諫めてくれたおかげで何とかなったけど……あのまま彼女が責められてたらと思うと、今でも怖くなる」
「怖くなる……かい?」
不思議そうに訊き返すルベールに、クランツは俯きながら独白のように言った。
「なんか、複雑なんだ。彼女が……クラウディアが十二使徒と繋がりがあるっていうのは事実だから、それを言われても仕方ない所っていうのがたぶんあって。けど、そんな理由で彼女が責められるのは嫌だし、彼女もそれは望んでないと思ったから……だから、どうすれば彼女をああいう望まれないことから守れるのか、わからなくて」
「それで、自信を無くしかけたわけか……何というか、少し君らしくないね」
「えっ?」
返された言葉に驚いて顔を上げたクランツに、ルベールは言った。
「君には確かに少し臆病な所がある。けれど、いざ彼女のためとなればその
「ルベール……」
クランツを励ますように、ルベールは言葉を続けた。
「こういう路頭に迷った時は発想の転換だ。今、君に二つの思考法を授けよう」
そして、人差し指を一本立てて、指導のように話した。
「まずは一つ、問題の分析だ。クランツ、よく考えてごらん。君は何を恐れているんだい?」
「おれが、何を、恐れているのか……?」
「君が今の話の中で感じていた感情は、僕が推測するにおそらく何らかの恐怖感だ。そしてそれはおそらく、団長の身を脅かされることに起因、あるいは関連している……違うかな?」
ルベールの推理に、クランツの中に蟠っていた思いがたちまちに解け、言葉となる。
「たぶん、おれは……クラウディアが脅かされるのを、自分のことみたいに感じていたんだと思う。あの時おれは、彼女が謂れのないことで責められるのを耐えられなかった。だから、彼女をそんな目に遭わせたくなくて、おれは……」
「だろうね。さてクランツ。今の君の言葉はおそらく、君が向こうで団長を庇った時の思いと同じだったはずだ。では訊こう。今の言葉にさっきまで感じていた恐れはあったかい?」
「あ……」
その言葉に憑き物が落ちたような顔をしたクランツに、ルベールは諭すように言った。
「そう。君の悩みはいわゆる後顧の憂いだよ。行動を起こす時の君には何の迷いもなかった。普段は臆病だけれど、いざという時には勇敢。やっぱり君は僕の思った通りだね」
「ルベール……」
「二つ目の発想は、実行だ。クランツ。君は彼女を守るために、実際に何をしたんだい?」
確信めいたルベールの問いかけに、クランツはわずかに言い淀んだ後、答えた。
「その場の奴らを、一人残らず黙らせたよ。何も迷わずに、体が動いてた」
「だろうね。さすがはクランツ、僕が知っている通りの勇猛さだ」
ルベールの言葉に、クランツは心を覆っていた暗雲がわずかに晴れるのを感じた。
(そうだ……あの時、僕は迷わなかった。けどじゃあ、何で今になって……?)
「それは君が冷静になって、彼女の状況をちゃんと把握できているからだろうね」
クランツの内心を看破したルベールが、言葉を続ける。
「残念だけど、君が感じた複雑さが状況として存在するのもまた事実だ。クラウディア団長と十二使徒の間には、良きにせよ悪しきにせよ何らかの繋がりがある。加えて言えば、その背後で動いている魔戒計画を推進する勢力との関係もね。それが事実である以上、理解のない人には一定の偏見を持たれてしまっても仕方がないだろう」
ルベールの言葉に、クランツは再び苦渋と決意の表情になる。
「そんなのは、嫌だ……魔女と人間がいがみ合えば、クラウディアも傷付く。彼女が何より望まないものを、恐れていることを……僕は、止めたい」
クランツの決意を秘めた言葉に、ルベールは興気な笑みを見せた。
「その意気だよ、クランツ。突き詰めれば、僕達はそこに向かって進んでいると言っても過言じゃないからね」
「そう……なのか?」
恐る恐る訊くクランツに、ルベールは深い頷きを返した。
「ああ。《魔戒計画》……その最終的な全貌はまだ把握できていないけれど、これまでの話を総合するに、魔女と人間の長年にわたる軋轢に関わっているらしいことは推測がつく。今は自警団……人間の側に付いているクラウディア団長と、魔戒計画に加担している《
「《
「ああ、向こうで逢った使徒が自分達のことをそう呼んでいたんだ。話してなかったかな」
クランツに答えを返しつつ、ルベールは推理を深める。
「これまでの使徒達の動きを見る限り、彼らと団長が単なる敵対関係では語れないのは明らかだ。彼らと団長、言い換えれば人間と魔女の間にある確執が《魔戒計画》というものに関連しているとすれば、それを止めようとすることは当然その問題に関わることになる。裏返せば、魔戒計画について探りを入れることは、人間と魔女の間、使徒達と団長の間、ひいてはクラウディア団長を悲しませる状況を何とかする流れに繋げられるかもしれない」
ルベールの示した一つの道筋に、クランツはその大きさに思わず弱気になってしまう。
「そんなことが……できるのかな」
「そのために僕らは動いているんだ。今更弱音を吐いてちゃダメだよ、クランツ」
そう弱気を見せたクランツを、ルベールが親しみを込めた言葉で鼓舞した。
「今は今、できることをしよう。まあ、僕も向こうでセリナにそう叱られたんだけどね」
困ったように照れ笑うルベールに、クランツは固くなっていた心が解れるのを感じた。
「そうだったのか……何があったのか知らないけど、弱音を吐くなんてお前らしくないな」
「違いない。案外僕ら、似た者同士なのかもね」
そう言って愉快気に笑うと、ルベールは立ち上がって、クランツに手を差し伸べた。
「さて、そろそろ行こうか、クランツ。彼女を救うため、前に進むためにもね」
「ああ。もう、立ち止まってる場合じゃないよな」
クランツはそう自らを勇気づけるように言うと、ルベールの手を取って立ち上がった。
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