第07話 【スローライフ編】~【グルメ編】


【スローライフ編】



「とうとう新聞が刷られなくなってましたよ」


 でっかい館のオフィス。

 人狼のホリーが帰ってきたのを、吸血鬼のマリヴィエーラは横目に見た。


「『聖剣のフィント』が地下労働帝国を崩壊させたときはこれはひょっとするかと思ったんですけど、やっぱり人間の世界はなかなか長持ちしませんねえ」

「そうだな」

「――マリヴィエーラ様! いま他人事だと思って生返事しましたね~! 全っ然他人事なんかじゃありませんよ! スパイスとか美味しいお肉とか、人間の世界が滅んだらそういうのが一気に手に入りにくくなるんですから!」

「別に。いざとなったら私はお前の血を飲んでいればいいだけの話だしな」

「吸血鬼だからってそうやって! ……うう。やだなあ。生肉を齧る日々に戻るのは」

「せめて焼けよ。お前の裁量だろ」


 ホリーはバッグから貯蔵庫に食材を詰め込んでいく。


「あっ、でもそうだ。人間の世界が滅んだらまた地上の空気も良くなりますよね。そうしたら一緒に農業でもしましょうか。スパイスにも困らなくなりますし」

「嫌だよ。農業なんてものは私のスローライフに不要だ。忙しいし、疲れるし。ブドウの栽培であれにはほとほと嫌気が差した。やりたいならお前ひとりでやれ」

「ひとりじゃ寂しいじゃないですか」

「というかお前、曲がりなりにも人狼なんだから農業じゃなくて狩猟しろ、狩猟」

「曲がってませんけど」

「それにお前は食べることしか考えていないようだが、私だってそれなりに憂鬱なんだぞ。あいつらの文明が滅ぶとしばらく文化の進展も停滞するし……地下移動じゃなくなるのも良し悪しだな。人間どもはしばらくまた昼行性だろうし、買い物が億劫になる。お前、ちゃんと私が外出する前には空を曇らせておけよ」

「どうせ外出ないじゃないですか」

「言っちゃいけないことがあるって長い生の中で学ばなかったのか?」


 ぱたり、とマリヴィエーラは本を閉じる。

 ぴん、とホリーは耳を立てて、尻尾を振る。


「ところで、」

「は、はひっ!!!!!!」

「興奮するなよ別件だから……お前の後ろにいるそれは何だ?」


 ホリーは後ろを向く。


 チーターがいる。


「うわあっ!!!!!!!!!!!!!!」

「連れて来たんじゃなかったのか。というか、私の後ろに隠れるな。それじゃ番犬にもならんぞ」

「うぅ……ガルルルル……」

「…………」

「あ、あいつ私の威嚇を無視してますよ! 無視!!」

「取るに足らないからな」


 マリヴィエーラは歩み寄る。


「どこかで見たことが……思い出した。『チーター』だな」

「何ですか、それ」

「大昔の生き物だよ。猫のでかいのだったか? で、どうした。何も用なく私の館に入ってきたわけでは――本?」


 チーターが差し出すそれを、マリヴィエーラは受け取る。

 ぱらぱらと捲っていると、後ろからホリーが覗き込んできた。


「随分古い本ですね。貴重な魔法書か何かですか?」

「……いや。確かにこれも大昔のものだが、そんなに大層なものじゃない。確か、あのやたらに暗かった時代に作られた、馬鹿みたいな娯楽本……そうか」


 貴様、とマリヴィエーラは、


「ヘクトラゼオンの使いか?」

「…………約束は、果たした」


 ホリーは驚いて、


「ヘクトラゼオン? 起きてたんですか? というかマリヴィエーラ様、ヘクトラゼオンと本の貸し借りを?」

「だろうな。あいつは相変わらずいつ起きていつ寝てるんだかさっぱり――おいやめろ。尻尾の毛が鼻に入る」

「本の貸し借りを?」

「安心しろ。あいつはいつも寝てるからもうお前と過ごしている時間の方が遥かに長い。本を簡単に貸すのも、手元になくても困らないような本ばかりあいつが欲しがるからだ。趣味が合わん」

「……それだけ?」

「図書室の鍵を渡しているのはお前だけだ」


 ぬふー、と機嫌を良くしてホリーが鼻息を吐く。


「で。ヘクトラゼオンが直接来ずに貴様が代わりに来たということは、またあいつは封印されたわけか」


 チーターは頷く。

 マリヴィエーラは皮肉気に笑って、


「よくもまあ飽きもせず……。まあしかし、こうして代理で用をこなしてもらったからには、多少のもてなしくらいはしないとな。ホリー。こちらの方に食事と部屋の準備を」

「グルル……不要」

「ほう?」

「もてなしは……非効率。もう……行く」


 くるりとチーターは踵を返し、館のオフィスを出て行く。


 マリヴィエーラは肩を竦める。

 その顔をホリーはじっと見つめて、それからチーターを追い掛ける。



【スローライフ編 完】






【グルメ編】



 肉がジューーーーーッ!!!!

 肉汁がジュワーーーーーーッ!!!!!


 ハフッ、モグモグモグ!

 ガツッ、ガツガツガツ!


 美味しいグルメなのだった!


「食べないんですか? 美味しいのに」

「…………」


 ホリーの問いかけに、チーターはとうとうその肉に口を付け始める。


 でっかい館の食堂のオフィス。

 人気のない場所だから、酷く静かだった。


「あなた、お名前は?」

「…………」

「まあ、チーターさんでいいですね。チーターさんは、ヘクトラゼオンとの付き合いは長いんですか?」

「……八十年」

「ふうん、意外と短いんだ。おふたりはどこで出会って?」

「……海辺」

「旅はおふたりだけ?」

「……もうひとり」


 短く、チーターはその名を呟いた。


「『聖剣のフィント』? ……ああ、道理で詠唱魔法なんて私たちくらいしか使わない古臭いものを。ヘクトラゼオンの影響だったんですね。最近聞かなくなったと思ってましたけど――」

「寿命だ」

「でしょうね。ヘクトラゼオンみたいな特別製じゃない限り、それでも長生きした方でしょう。ところで、」


 じっ、とホリーはチーターを見つめて、


「あなたの色柄、どこかで見たことがあります。もしかするとだいぶ昔に――世界を平定したり、滅ぼしたりを繰り返していたのでは?」

「…………そうだ」

「へえ! あ、いえ。実は今のはちょっとしたカマかけで。本当は私、まだそのころ生まれてないんです。こう見えて意外と若いんですよ。でも、マリヴィエーラ様はうっすらご記憶されていたみたいで」


 ホリーはナイフとフォークで肉を切り分けながら、


「今は特に世界を滅ぼしたりはしていないようですが――年を取って丸くなった、ってやつですか。猫だけに」

「…………」

「これからは何を?」

「…………」

「どちらに向かわれるとか、そういうのがあれば多少の手配をしますけど」

「…………」


 沈黙。

 静かに食器の擦れる音だけが響き、


「……長生きをする生き物というのは、」


 ホリーが言った。


「三種類いる、とマリヴィエーラ様が言っていました。

 一つ目は、マリヴィエーラ様のように元からそういう風に生まれた方。

 二つ目は、余裕がある方――たとえば、ヘクトラゼオンがそうですよね。とにかく何につけても余裕があって適当だから、寿命が機能をしないんだそうです」


 そして、


「三つ目は、執念のある方」

「…………」

「執念がありすぎてありすぎて……削れていくはずの命を、それで補えてしまう方。あるいはそれが削れ切ってもなお、何も変わらないように肉体を駆動させるだけの魂の持ち主」


 フォークを口に運んで、


「見れば、余裕のある方ではなさそうです。ではあなたには、どんな執念があるのでしょう」

「……効率」


 短く、チーターは答えた。


「効率的に、物事を達成する」


 ふうん、とホリーは頷く。


「それだけですか?」

「…………」


 肉を噛み終えて、飲み下す。

 ホリーは笑って、


「効率を求めるなら、そもそもこんな世界はない方がいいでしょう。無駄で、くだらなくて、ちっぽけなことを延々繰り返しているのがこの宇宙なんですから」

「…………」

「『ものが在る』というのはそもそもが無駄なことですよ。無から有が生じ、いずれ再び無に帰してゆく――始まりと終わりが同じなら、重要なのは始まりでも終わりでもない。間の部分にある全ての目標も理由も遂行も、やがては無に帰す無駄なものであって、だからこそ、無駄であるものこそが真に大切なものなんだって。そう、信じたくはなりませんか?」

「…………」

「……失礼、口が過ぎましたね。久しぶりのお客人でしたから、つい昂ってしまいました。無礼をお許しください」

「いや、いい」

「感謝します。おかわりを?」


 チーターはかぶりを振る。

 代わりに、


「……お前は、」


 訊ねる。


「お前は、何番目だ」

「三番目ですよ」

「では、その執念は」


 ホリーは笑った。




「『私の好きなこの方が、寂しい思いをしませんように』」




 ホリーは席を立つ。


「さて、もう少しだけお待ちいただけますか。お弁当をお作りしますよ。といって、今の時代はもう終わりかけですから。大したものはお渡しできませんけれど」

「不要だ」

「お急ぎですか?」

「……いいや」

「ではどうか、そこでお待ちください」


 椅子に掛けたエプロンを手に取る。

 紐を結ぶ。


 ホリーは言う。


「あなたがお腹を空かせていたら、悲しむ方もいるでしょうから」



【グルメ編 完】

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