第8話

2月に入る頃には、進路が決まった生徒は学校が自由登校になり、市役所の練習には行き続けていた修平君は、土日の練習だけは午後5時に終わることもあり、遠征などがない日は、土曜は支部の練習に出てくれ、日曜日の夜はアパートに来て、泊まってくれるようになった。

 そんなある日、月曜日が祝日の、僕の仕事も休みで、市役所でも大きなイベントがあり、空手部の練習がオフという、奇跡的に二人きりでゆっくりできる時間ができた、朝のことだった。

「え?小嶋君も市役所の空手部の推薦で内定決まったの?」

「ああ。大学から推薦も来てたみたいだけど、断ったみたいだな。だから学校から毎日一緒に練習に行ってた」

 そこまで聞いて、いくら鈍感な僕でも、何となく気付いてしまった。

「僕さ、小嶋君、修平君のことが好きなんだと思うんだけど。友達としてとかじゃなくて、恋愛の対象として見てるような気がする」

 僕が言うと、修平君がめずらしく驚いたように僕を見た。

「そんなワケないだろ。くだらねぇ」

「だって、わざわざこっちの支部にまで来て、練習に出てること確認しに来たり、試合に出るように、けしかけたり、絶対に修平君に気がないと、そこまでしないよ」

「葵のこと狙ってたからだろ?」

「違うよ。最初は修平君が本当に練習に来てるかどうか確認するのが目的だったはず。そこに、たまたま僕がいただけで。きっと、ずっと修平君のことが気になってたんだよ。美園ちゃんも、修平君に対する執着がすごい、って言ってたし」

 僕がそう言うと、修平君が頬杖をついて、黙り込んだ。その姿がまた、すごくサマになっていて、僕は目が離せなかった。何をしても、どんな姿も、本当にカッコよすぎて困る。つい最近、30分番組の全国放送のテレビで特集されるくらい、修平君は今、注目を浴びていた。今までの大会でずっと優勝してきていたのに、高校三年生になってから、突然試合に一度も出なくなり、復活した途端に全国大会で優勝したせいで、余計に世間の興味を引いたようだった。

 それに、相手がいくら小嶋君だったとしても、僕の心の中は穏やかでいられない。修平君は自分の興味のないことに関しては、全く気にもとめない性格だし、なおさら心配になる。

「今はこうやって一緒にいる時間を作れるけど、修平君が働き出したら、仕事も練習も遠征もあるし、世界中の大会にも出ることになるかもしれないし、小嶋君と過ごす時間の方が絶対に多くなるよね…」

 ああ…。また大人げないことを言ってる。僕の方が年上なのに、相変わらずの自分の器の小ささに、本当に嫌気がさす。

「また出た。小嶋が俺のこと好きかどうかも分かんねーのに、先走りやがって」

「でも…」

「今度会ったら聞いといてやるよ。俺のこと好きなのかどうか」

「え?」

「気になるんだろ?」

「でも、もし本当にそうだったとしたら?」

「こっぴどく振ってやる」

「そんな…。それはかわいそうだよ」

「どっちだよ!」

 キツイ口調。修平君がイラついているのが分かった。

「ごめん…」

「もし小嶋が俺のこと好きだったとしたら、お前はどうしたいんだよ」

「そんなの、分かんないよ…」

「何だ、それ」

 修平君が立ち上がる。

「どこ行くの?」

「帰る。そういうの、マジでダルい」

 そう言って、玄関へと向かって歩き出す。

「お前、本当に俺のこと好きなのか?」

「え?」

「俺のこと信じてなさすぎて、マジでムカつくんだよ」

 バタン!と玄関の扉が閉じた。

 どうしよう。修平君を怒らせてしまった。就職して本気で空手に力を入れ始めたら、一緒にいる時間なんてますます限られてくるし、今は二人の時間を一番大事にしなきゃいけない時期なのに。

 

 修平君はいつも芯が通っていて、何に対してもブレない強さを持っている。僕との関係に対してもそうだ。だけど、僕は全然ダメだ。修平君のことが好き過ぎるからこそ、些細なことでもすぐに不安になったり心配になったりする。

 二人の価値観に少しズレがあることも、分かりきってることだった。修平君は何があっても僕を信じてくれている。だからこそ、僕の気持ちが、ちょっとしたことで揺らいでしまうことなんて、全く理解できないんだろうと思う。

「どうしたらいいんだろう…」

 僕は玄関の扉を見つめたまま、小さな声で呟いた。


「何だよ。せっかくのオフに急に呼び出して、こんな激しい本気試合の練習させやがって」

 小嶋が、息を切らしながら倒れ、大の字になって道場の天井を仰ぐ。

「どうせヒマしてたんだろ?体、なまるぜ?」

 修平が、その横に座り、あぐらをかきながら淡々と言ってのける。

「は?毎日空手ばっかりしてんだぞ?たまには休ませろよ」

 返答のない修平に、小嶋が続ける。

「あー、なるほど。葵ちゃんと何かあったんだ?」

 修平は、空手着で汗を拭うと、黙って一点を見つめたまま、動こうとしなかった。

「分かりやすっ!何があったか知らないけど、俺を巻き込むな」

 言いながら、小嶋が体を起こす。それでも修平は口を開かなかった。

「お前さ、普段は冷静で何考えてるか分からないくらい表情も変わんねぇくせに、葵ちゃんのことになると、思いっきり感情が表に出るんだな。地区大会の時もだったけど」

 小嶋が悪態を付いた。

「そうか?」

 修平は、平静を装うように静かな声で言った。

「今日だって、俺のこと呼び出すとか、いつもならあり得ないだろ」

「聡史が捕まらなかったからな」

「だからって、俺をストレス解消に付き合わせるな」

 小嶋が言うと、修平は黙ったまま、再び空手着で汗を拭う。小嶋は小さなため息を吐くと、立ち上がり、置いてあるカバンからタオルを出し、修平に投げ付けた。

「空手着じゃ、汗なんか吸わねぇだろ」

 そして、小嶋は、もう一つのタオルで自分の汗を拭った。

「何枚持ってんだ?」

「いつも4、5枚は持ち歩いてる」 

「女子か」

「お前が、ガサツなだけだろーが」

 修平は小嶋が貸してくれたタオルで汗を拭きながら「お前ってさ、好きな奴とかいんの?」と、不意に尋ねた。

「は?何だよ急に。恋愛の相談なら、俺よりもお前の兄貴の方が経験豊富で詳しいだろ。しかも誠実だし」

 小嶋の突っ込みに、修平はまた黙り込む。

「汗引いたら、早く着替えろよ。体、冷えるし」

 言いながら、修平が立ち上がると、

「俺だって、好きな奴ぐらい、いるよ」

 小嶋が、バックから、着替えを取り出しながら言った。

「ふぅん。葵じゃなくて?」

「葵ちゃんのことは確かに気に入ってるけど…。でも、お前ら、付き合ってるんだろ?」

 小嶋の問いに、修平は返事をせずにいた。

「否定しないってことは、そういうことなんだろうけど。マジで葵ちゃんも大変だな。お前みたいな奴と…」

 そこまで言った小嶋が黙る。それから一切の言葉が出なくなり、バックを見つめたまま、俯いていた。そのまま肩を落として動こうとしない小嶋の顔を上げようとして、修平が小嶋の肩に手を置いた。

「お前、まさか本気で葵のこと…」

 言うか言わないかのうちに、小嶋が修平の胸ぐらを掴んだ。

「お前と葵ちゃんの話なんて、本当は聞きたくない!俺がどんな気持ちで、いつもお前のそばにいたと思って…」

 そう言う小嶋の頬に、涙がつたっていた。

「俺の方がずっとずっと昔からお前の近くにいたのに…。なのに、何で…」

 小嶋の目から、次から次へと涙が零れる。そして、胸ぐらから手を離すと、

「着替えたら、帰る」

 そう言って、俯いたまま着替えの入ったバックを持って、更衣室へと入って行った。

 小嶋が着替えを済ませて出てきたところに、すでに着替えを終えた修平が、壁にもたれかかって、両手を厚手のパーカーのポケットに入れた状態で立っていた。

「大丈夫か?」

 修平が小嶋へと尋ねた。

「何が?」

「いや。大丈夫ならいい」

「ああ。じゃあな」

 小嶋が道場の出口に向かって歩いて行く。

「小嶋」

 修平が、その背中に向かって声を掛けた。小嶋は足を止めたが、振り返らなかった。しばらくの沈黙。

「今まで通りで…」

 小嶋が、掠れた声で呟いた。

「え?」

「今まで通りで、頼む」

 そう言いながら振り向いた小嶋の表情が、今にも泣き出しそうに歪む。

「分かった」

 修平が言うと、小嶋はゆっくりと道場の扉を開け、外へと出て行った。修平がため息を吐く。小嶋もまた、後悔のため息を吐いていた。

「どうして我慢できなかったんだよ。ただ好きでいられただけで幸せだったのに…。俺って、本当にアホすぎるだろ…」

 そう呟きながら、小嶋はゆっくりと歩き出した。

 そこに「小嶋!」と、声が響いた。ダウンジャケットを羽織った修平が、小嶋に追い付いて、横に立った。

「何だよ」

「駅まで送る」

「は?何か気持ち悪いぞ、お前。いつもなら絶対にそんなことしないだろ。同情とかいらねぇからな」

 目を赤くした小嶋が、しかめっ面で修平を睨んだ。

「同情なんてしてねぇよ。失恋したお前の情けない顔を拝もうと思っただけだ」

「ほんと、イヤな奴。お前、マジで性格悪いぞ」

 修平が、自分より少しだけ背の低い小嶋の目を真剣な眼差しで見る。小嶋は目を反らし、斜め下の方へと視線を移した。

「修平はさ、小学校の頃からどの大会でもほとんど優勝してただろ?俺もお前みたいに強くなりたい、って、ずっと憧れてた。やっと県代表に選ばれて、週に一回、強化練習で一緒に空手が出来るようになった時は本当に嬉しくて。そのおかげで、中学校の校区外通学も認められて、お前と同じ空手部に入れたけど、知ってる奴もいない中学校だったし、クラスで田舎者ってからかわれて。そしたらお前が…」


『お前らも同じ県に住んでるんだから、田舎者だろーが。どの目線でモノ言ってんだ?逆に恥ずかしすぎるだろ。コイツ、県で二位の実力があったから、ここの中学校にわざわざ来たんだ。しかも全国ベスト8で、遠征や試合で、お前らよりよっぽどいろんな県に行ってるしな。また変なこと言ったら、マジで全員ブッ飛ばされるぞ』


「って…。それからクラスの奴らが少しずつ話かけてくれるようになって、友達もできて。お前はただ本当に思ったことを言っただけなんだろうけど、そん時の修平が、めちゃくちゃカッコ良く見えて…。たぶん、それからだったと思う。憧れが、いつの間にか…」

 そこまで話して、その時を思い出しながら、自然と笑みがこぼれていた小嶋がハッと我に返る。

「そんなことはどうでもよくて!ただ、俺は、お前と一緒に空手が出来て、そばにいられるだけで幸せだった。それなのに、三年生になってから、兄貴のために、今までずっと選ばれてた日本代表も辞退して、試合に出るのも辞めた時、俺も何を目指して空手を続けていったらいいのか分からなくなって。試合に出てても、全然楽しくなくて、毎日が辛くて苦しかった。そんな時に葵ちゃんが現れて…」

 小嶋が顔を上げて、修平を見つめた。

「俺は、お前のこと好きだけど、お前を試合に出るようにしてくれた葵ちゃんには、本当に感謝してる。俺には、お前を挑発するようなことしか出来なかったから。ずっと憧れてた修平の試合がまた見られて、修平と試合が出来て、それだけで俺は今、十分幸せだから」

「小嶋…」

「ただ、今から俺が仕掛ける技だけは、かわさないで欲しい」

 言いながら、小嶋が修平の頭を勢い良く引き寄せた。体勢を崩し、少し前かがみになった修平の唇に、突然、小嶋の唇が重なった。そして、ゆっくりと唇が離れる。

「葵ちゃんには絶対に言うなよ。傷付けたくない」

小嶋が俯きながら、静かに呟いた。

「…言えるか。こんな汚点」

修平が言うと、小嶋がフッと笑い、口元を緩めた。

「修平の唇って、薄いくせに、柔らかいんだな」

「は?バカか、お前」

「…怒らないのか?」

「怒ったところで、今さらだろ」

修平がぶっきらぼうに言うと、

「俺、今日でお前のことは思い出にする。そんで、お前が嫉妬するくらいの相手をすぐに見つけてやる」

修平が、穏やかな表情で小嶋を見る。そんな修平に小嶋が手を差し伸べた。

「これからも、同志として、ライバルとして、一緒に、てっぺん目指して頑張ろうな」

「ああ」

修平が、その手を強く握り返した。

そして、二人は駅へと向かってゆっくりと歩き出した。駅まで、まだ半分のところで小嶋が「ここでいい」と、立ち止まった。

「明日からの遠征、長期間になるし、お前は早く帰って葵ちゃんと仲直りしろ」

修平を気遣う、小嶋の悲しそうな表情と声。それでも修平は「分かった」とだけ言って、その場で一緒に立ち止まった。

「じゃあ、また明日な」

小嶋が、背を向けて、駅へと向かって歩き出す。

その背中を見送りながら、修平は、ダウンジャケットのポケットからスマホを取り出した。

『はい。柳原整骨院です』

「あ、伸哉さん?修平だけど。祝日なのに診療所にいるんだ」

柳原伸哉。修平の兄の同級生である、行きつけの整骨院の院長だ。土日祝でも、緊急であれば、対応してくれることが多く、修平だけではなく、通っている患者は、いつも頼りにしている。その上、市役所空手部の専属と言っても過言ではないくらい、ほとんどの選手が、ここで世話になっていた。

『電話してきておいて、何だよ。まあ、自宅の一階だし、ここが自分の部屋みたいなもんだからな。何かあったのか?』

「今、小嶋と練習してて。ちょっと激しくやり合ったもんだから」

『なるほどね。分かった。電話してみるよ。痛みがあってもいつも我慢して、自分からは、なかなか来ないからな。確かカルテに携帯の番号書いてあったと思うんだけど…。あ、あった』

修平が黙り込んだことに気付いた伸哉は、

『明日には元気に練習に参加できるように、しっかりケアしとくから、心配しなくていい』

と、声を掛け、電話を切ったのだった。

そして、修平が家に戻ると、道場の出入口の前に、葵が立っていた。


修平君が、僕に気付く。

「何してんだ?寒いだろ?」

「その…。謝りたくて」

「入れよ」

修平君が、自宅の方の玄関の扉を開け、僕は一緒に修平君の部屋へと続く階段を上がって行った。部屋へ入るとすぐに、エアコンの暖房を入れてくれる。修平君がダウンジャケットを脱ぐ。厚手のパーカーを着ているにも関わらず、細身のスタイルの良すぎる姿に、また胸がキュッとなり、つい、ときめいてしまう。

僕は、そんな気持ちがバレないように、すぐに俯いた。ずっと黙ったままでいると、修平君が簡素な学習机の椅子に座った。

「聞いてたのか?小嶋との会話」

ビクッと、体がすくむ。

「ごめん。修平君に謝りたくてここに来たら、ちょうど二人が外にいて。聞くつもり、なかったんだけど…」

涙が出そうになって、声が震える。修平君への小嶋君の気持ちを思うと、二人を責める気にはなれなかった。

「別にいい。俺も葵に隠しとくの、イヤだったし」

僕は黙って俯いたまま、声を出せずにいた。握りしめた手の甲に、自分の涙がいくつも落ちてくるのをただただ見ていた。

「我慢するな。言いたいことがあるなら、言えよ」

言いたいことなんて、本当はたくさんある。でも、小嶋君が僕を傷付けたくないと言ってくれていたことも、僕に感謝してくれていることも、全部聞こえていた。そして、修平君のことを今日で諦めると決めたことも…。だからこそ、小嶋君のことも、修平君のことも、責めることができなかった。

「悪かった」

修平君が、突然、謝った。そんなこと、今までなら絶対にあり得ない。

僕が驚いて顔を上げると、その表情は、悲しくて苦しそうだった。修平君のそんな表情を僕は初めて見た。

「めずらしく、少し動揺した。小嶋が俺のことを好きだったってのもだけど、俺が試合に出るのを辞めたことで、小嶋があんなに苦しんでたと思ってなくて」

修平君が、辛そうに顔を背けて俯いた。

「俺って、本当に自分のことしか考えてねぇから…」

覇気のない声。

「そんなことないよ。試合に出なくなったのは、純平さんのことを思ってのことだし、僕のことだって心配して助けに来てくれたし、今だって、小嶋君の気持ちを真剣に考えたから、話を聞こうと思って駅まで送ろうとしたんでしょ?修平君は、ちゃんとみんなのこと考えてるよ。…ただ…」

修平君が、顔を上げて、僕を見た。

「修平君が、他の人とキスしてるところなんて、見たくなかったよ…」

嗚咽が漏れる。僕は両手で口を塞いだ。涙がどんどん溢れて止まらなかった。誰が悪いワケじゃない。ただ、どこに持って行っていいか分からない感情が、抑えきれなかった。

 人を好きになるって、幸せなことばかりじゃないんだと、思い知らされる。小嶋君のように、想いが通じない人だってきっと世の中にはたくさんいる。僕がもし小嶋君の立場だったら…と考えるだけで、胸が痛くて、押し潰されそうになる。

 修平君が椅子から立ち上がり、僕を優しく抱き締めてくれる。僕は修平君に抱き付いて、思いっきり泣いた。修平君の腕に力がこもる。僕は、修平の胸の中で、溢れる涙を止めることなく、流し続けていた。


しばらくして、修平君が僕の両肩を持って胸から離した。

「葵に話しておきたいことがある」

めずらしく、真面目な低いトーン。僕は緊張して、その空気感に体が強張った。正座をして、両手を膝の上に置く。

「な、何…?」

「俺は、本気で空手をしようと思って市役所に入った。とにかく試合に勝ち続けて、日本代表にも戻りたいと思ってる」

「うん…」

僕は、修平君が小学生の頃から日本代表選手だったと、恥ずかしながら、この前の特番で初めて知った。

「そうなると、ほとんどここにはいられない。一年中、遠征にも行くし、かなりの数の大会に出場することにもなるし、日本にすらいられる日も少なくなる」

突き付けられる現実。修平君にはその才能があることが分かっているからこそ、考えるだけでも胸が締め付けられて、苦しくなる。

「それでも、俺と付き合う覚悟はあるのか?」

修平君が、僕の目をしっかりと見つめる。その表情は、どこか悲し気だった。

言いたいことは、分かる。些細なことで嫉妬したり、別れるとか簡単に口にしてしまう僕のせいで、いつも修平君を不快にさせてしまう。その度に、修平君がこうやって僕の気持ちを落ち着かせてくれていた。だけど、距離ができると、それもきっとうまくいかなくなることくらい、僕にも分かりきったことだった。

「僕は…修平君を信じる。離れてても、会えなくても、連絡が取れなくても。修平君と別れたくないから、信じて待つ覚悟を決めるから…。だから、心配しないで」

修平君に会えなくなるなんて、本当はすごくイヤだ。切なくて、息が詰まるくらい辛くて、また涙が溢れそうになる。でも、修平君の夢の邪魔をしたくない。

「分かった。それならいい」

修平君が、僕の頭に手をやり、

「よく言った、葵。強くなったな」

と、ガシガシと掻き回される。

「今も、よく怒って帰らずに俺のこと待っててくれたよな。ちゃんと成長してんじゃん」

言いながら、優しく、切なそうに目を細める。

僕はそんな修平君に思いっきり抱き付くと、修平君の柔らかくて温かい唇に、力強く自分の唇を押し付けた。

唇が離れたところで、

「小嶋君とのキスなんて、忘れてよ。修平君の頭の中も心の中も、僕でいっぱいにして、もう僕のこと以外、考えないで」

僕が勇気を出して言うと、そのまま床に押し倒される。

「お前、自分から誘っておいて、真っ赤になってんじゃねーよ」

首筋に唇が這う。その唇が、僕の唇へと戻り、キスが深くなり、舌を吸われながら、ゆっくりと衣服を脱がされる。僕は、さっきの胸の痛みの感情も吹き飛んでしまうくらい、修平君との抱擁に、いつも以上に翻弄されてしまったのだった。


修平君が、また余韻を味わうことなく、衣服を纏う。僕はまだ全裸で、修平君がかけてくれた毛布に身を包んでいた。

「あの…。変なこと聞いてもいい?」

すでに着替えを済ませた修平君が、僕の方を見る。

「その…、何でいつも、すぐに服…」

言いかけた僕に、修平が近付いて来て、今度は床に散らばっていた服を僕に着せてくれる。

「何?ヤったあと、裸で抱き合ってたいのか?」

図星を突かれ、カッと顔が赤くなる。

意地悪な笑みを浮かべて、僕のことを下から覗き込む。

「僕と、その…したくないのに、無理してるとか、さっさと終わらせたいから、とか…」

つい、いろいろと悪いふうに考えてしまう気持ちを吐き出した。

「俺、ほとんど脂肪ないから」

「え?どういうこと…?」

「汗が引くと、すげぇ寒いんだよ。脂肪あるとそうでもないだろ?お前、プヨプヨしてるし」

着せてくれた服を捲って、僕のお腹の肉をつまむ。

「肩とかも冷やしたくなくて。筋肉強張ると、練習の時、動きにも影響でるし」

「そうだったんだ…」

良かった…。

「また先走って、体だけかも、とか変なこと考えてたんだろ?」

「うん…」

「バーカ。裸で余韻に浸るとか、ドラマの見すぎだろ。お前も、こんなちっせぇ細い体で、すぐに風邪とか引きそうだし。服着てからでも、余韻には浸れるだろ?」

そう言って、僕をベッドへと上げてくれたのだった。

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