第4話

「おめでとう!」

美園ちゃんが、見事準優勝を勝ち取って、戻ってきた。

「ありがとう!今年も何とか全国大会出られて良かったー!」

額から流れる汗をタオルで拭いながら、とびきりの笑顔を見せる。

「聡史君もおめでとう!三位決定戦、すごかった!感動したよ」

「あざーっす!何とかギリギリ三位に入れて良かったよ」

言いながら、ボトルの中のスポーツドリンクをがぶ飲みする。そこに、

「美園」

と、声がした。

「純平さん!来てくれたの?」

美園ちゃんが嬉しそうに純平さんへと駆け寄る。

「仕事が早く終わったからな」

純平さんは、市役所のイベント課に配属されているらしく、土日の休みも仕事だったりと、不規則な勤務だと聞いている。ちなみに、純平さんの父親である先生も市役所の市民課勤務だと聞いて、あんなにすごい筋肉の人が市役所の窓口にいたら、みんな萎縮するんじゃないのかな、と、つい思ってしまった。

普段とは違う笑顔。純平さんの前でだけは女性の顔になる美園ちゃんは、本当にいつも以上にかわいくて、素敵な女性に見えた。そんな純平さんの周りに人だかりが出来る。そっか。この人は、世界選手権で二度も優勝しているアスリートなんだ。改めてその偉大さを目の当たりにし、自分がいかに素晴らしい人に師事しているのか、今になって気付かされる。

「もうすぐ修平の試合が始まるよ」

聡史君が僕に声を掛けてきた。いよいよ決勝戦。相手はもちろん小嶋君だ。美園ちゃんが、僕の横の席に戻って来た。

「緊張するね」

「うん」

僕の喉が、ごくりと動く。

純平さんは椅子に座らずにギャラリーから立って試合を見るようだった。


「お前、何で急に試合に出ることにした?あの、葵って奴のためか?」

拳サポーターを付け、スタンバイしている最中に、小嶋が修平に話かけてきた。

「別に」

「ふぅん。まあ、俺が試合に勝ったら、まず葵ちゃんのあのピンクの柔らかそうな唇にチューして、白い肌に思いっきり吸い付いて、もうめちゃくちゃにしようと思ってるから。だから、お前なんかには絶対負けねぇ」

そう言って、小嶋が修平を挑発するように鼻で笑う。

「好きにしろ」

修平は全く気にしない様子で、拳サポーターを装着し終えた両手の拳を胸の前で、バンッ!と力強く合わせると、

「久しぶりの試合、楽しませてもらうから、覚悟しとけよ」

と、片手を上げ、自分の配置場所へと向かってゆっくり歩き出した。

「めずらし…」

小嶋は、いつもなら一言も発することなく、冷静で無表情なまま配置に付く修平が、試合直前に言葉を発したことに、ひどく驚いたのだった。


試合時間は三分。その間に八ポイントを先取した方が勝ちとなる。一本だと三ポイント。技ありなら二ポイント。有効は一ポイント。両者がコートに入り、配置に付く。審査と副審にお礼をし、二人が向かい合った。修平君は青色の帯をしていた。

「始め!」

審判の掛け声と共に、デジタルの大きな時計で、タイムが刻まれ始めた。しばらく両者とも動かずに間合いを取っていた。先に動いたのは、小嶋君の方だった。突きの連打のあと、素早く蹴りが入る。

「やめっ!赤、中段蹴り、技あり!」

ピッ、とデジタル板に二という点数が表示される。

「続けて、始め!」

審判の声と共に、二人がすぐに動いた。

「やめっ!」

コートの四隅にそれぞれ座っている副審の赤の旗が一斉に上がっていた。

「やばくない…?」

美園ちゃんが言うと、

「こんなに早く小嶋に三ポイント取られるとか、今までなかったのに…」

聡史君が真剣な眼差しでコート内を見ていた。膝の上に置いてある、握りしめた僕の掌は、汗でじっとりと濡れていた。

二人がコート内の正位置に戻る。

「赤、中段突き、有効!」

主審が小嶋君の方へ手を水平に伸ばす。

小嶋君が審判にお礼をし、

「始め!」

の合図で、また二人が構える。

小嶋君の激しい攻撃が始まる。あんな早い技、よけるので精一杯なんじゃ…。

「やめっ!」

今度は副審の青の旗が一斉に上がる。

「青、上段突き、技あり!」

修平君が主審に礼をする。

「よしっ!」

聡史君が声を上げた。

「さすが修平。攻撃をかわしつつ、体制を崩しながらも上段を狙うところがすごい」

美園ちゃんが言う。

そのあとも、修平君は小嶋君の容赦ない攻撃に、体制を崩しながらも、有効ポイントを積み重ねて行った。

それでも、小嶋君はひるむことなく攻めの技をしかけてくる。修平君が足を掛けられ、倒れた。その瞬間、小嶋君の突きが修平君を仕留めた。

「やめっ!赤、一本!!」

審判が手を上に向けて高く掲げた。

「やばい、どうしよう…。圧倒的に小嶋の方が有利だよ。もう六ポイントも取られちゃった」

言いながら、美園ちゃんが祈るように手を組んで、気持ちを落ち着かせるかのように、ふうっ、と息を吐く。

ピピピ…とホイッスルが鳴り、副審の赤い旗がクルクル回る。

「赤、忠告!」

審判が小嶋君の足元を指さすと、小嶋君はコートの端の方に行き、コート側を背にしたまま正座をした。

「何?どうしたの?」

僕は意味が分からず、聡史君に尋ねた。

「ちょっと過度な攻撃だったからな…」

「ポイントは?」

「小嶋には、そのまま入るんだ。しかも一回目の忠告はポイントがなくならなくて、二回目から減点されるようになってる」

「そんな…」

修平君が、なかなか起き上がらない。救急箱を持って、救護の人が走ってコート内に入る。

「修平、血が出てる」

美園ちゃんが気付いた。

「本当だ。目の上か。瞼が切れたんだ」

処置をしてもらい、修平君がコート内の自分の位置に戻ると、小嶋君も試合体制に戻った。

「始め!」

試合が再開された。

修平君は、小嶋君の攻撃をよけることに必死で、先ほどまでより、動きが鈍く見えた。

「やめっ!赤、中段突き、有効!」

「修平、ケガした方の目が見えてないんだ」

聡史君が呟く。

「あと一ポイントで負けちゃう。今まで小嶋に負けたことなんてなかったのに。時間もないし、どうしよう」

美園ちゃんが、組んでいた手に頭を付けて俯いた。僕はもう、喉の奥が苦くて、とても声を出せる状態じゃなかった。

審判の合図で試合が始まる。修平君が急にしゃがみ込み、油断したところに、中段の突きが決まった。

「よし!あと二ポイント!頑張れ、修平!」

美園ちゃんが立ち上がって大声を出した。

「でも、時間がない。あと二十秒。小嶋なら逃げ切れると思う」

「バカ聡史!!あんた、どっちの見方!?」

美園ちゃんが怒鳴る。

「始め!」

時間が刻み始められる。小嶋君は案の定、攻撃を仕掛けずに、修平君の技をかわして行くだけだった。

「あと、十、九、八…」

美園ちゃんが掠れた声で呟き始めた。

ピーッ!!と、試合終了を知らせるけたたましい機会音と同時に、

「やめっ!」

審判の大きな声。

副審四人の青い旗が、一斉に上へと高く掲げられていた。

「青、上段回し蹴り!一本!!」

一瞬、場内が静まり返ったが、すぐに歓喜とも取れる歓声と拍手が会場内に響き渡った。

「すごい!さすが修平!めっちゃすごすぎる!」

美園ちゃんも立ち上がったまま、ずっと拍手を続けていた。

時間ギリギリ、修平君の上段回し蹴りが小嶋君に決まり、見事に逆転優勝したのだった。


「大丈夫?」

先生に頼まれて、病院に付き添った帰り道、修平君の荷物を持ちながら尋ねた。 

「大丈夫じゃないだろ。三針も縫ったんだぞ。三針も」

「うん…。ごめんね。僕のせいで、本当にごめん」

修平君が立ち止まる。不機嫌そうにこちらを見ると、

「いい大人がいつまでもウジウジしてんな。さっきから何回謝ってんだよ」

「だって、僕のせいで試合に出ることになって、ケガまでして。傷痕が残っちゃったら、僕、本当にどう償っていいか…」

何度も何度もグズグズ言う僕に、修平君は大きなため息を吐いた。

「別に、空手やってたら、傷痕の一つや二つくらい、誰だって普通にあるだろ」

「でも、僕が小嶋君のことぶったりしなかったら…」

「しつこい!俺が試合に出たかったから、いいんだよ」

「え…?」

「試合に出ることを決めたのは俺だ。だから、もう気にすんな」

左瞼のテーピングが痛々しい。でも、そこからの眼差しは、とても優しげに見えた。修平君が、また歩き出す。

「修平君…」

「ああ?」

面倒くさそうに返事をして、振り返る。

「ありがとう…。今日だけじゃなくて、あの時も…」

「あの時?」

「電車で、痴漢から助けてくれた時…」

「ああ。あの時ね」

「修平君、僕…」

修平君が、好きだ。

喉まで出かかって、必死に言葉を飲み込んだ。いい歳して、高校生相手に告白なんて、バカげてる。

「いい心がけだよ」

修平君が言う。

「何が?」

「空手始めたの、それがキッカケなんだろ?」

「え…?あ、うん。少しでも強くなりたくて…」

「いい心がけだよ。自分で努力しようとしてんだから。いつまでも弱っちいけどな」

相変わらず、上から目線ではあるけれど、そんな優しいこと言わないでよ。僕の心が、ますます君に惹かれてしまう。僕は黙ったまま、背の高い修平君のあとをゆっくり付いて行ったのだった。

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