☆?月?日 見知らぬベッドの上で(1)
気が付くと俺は見知らぬ大きなベッドに仰向けで寝かされていた。
受動態なのは俺自身でそうした憶えがないからだ。
思い出せる直前の記憶は、〈グリッチ〉の中での寝ずの番に音を上げて鷹宮の私室のドアから這い出たところまで。
どうやらあのまま眠り込んでしまったらしいぞと考えたところで身を
手を突いたベッドのシーツはシルクのような滑らかな手触りで、色は乳白色に輝いていた。枕は木綿のような質感だが、それよりもずっとふくよかで心地いい。起きたばかりなのに再びそこに顔を
そんないかにも高級で寝心地の良さそうな寝具の上に俺は寝かされていたわけだ。
最初は鷹宮邸のゲストルームにでも運ばれたのかと思った。
だが、そう断定するのもためらわれる謎の違和感によって、俺は眠気を四散させ身を強張らせる。
部屋の中を観察すると、光沢のない濃紺の壁紙が張られた壁で四方を囲われてることが分かった。天井を見てもどこを見ても、光源の類は見当たらないのに自分の周囲がぼんやりと照らされている。
その奇妙さも気になったが、もっと気になったのは
妙に薬品臭い人工的な臭い。清潔な印象こそあるがあまり好きにはなれない臭いだ。それがこの部屋や寝具から発せられる臭いではなく、自分の身体の内や外から臭う体臭であることに気付き、さらに落ち着かない気持ちになる。
自分の身を検めると、なんとパンツ一丁の半裸である。
それに、この身体はなんだか……。
ふと気づくと薄暗かった部屋の中は朝陽が射したように真っ白に輝き出していた。壁際には本棚や机といった調度品の数々が並んでいる。
それらはいつからそこにあったのだろう。
さっきまで影も形もなかったものが急に浮き出てきたように感じたが。
どうにもおかしい。
ここは断じて鷹宮邸の一室などではないぞと自分の警戒心を揺すって起こし、ベッドの上で立ち上がった。
そのとき、正面に見えるドア(いつからそこにあった?)が横に滑って開く。
「鷹宮⁉」
それは間違いなく鷹宮だった。
色気のないダボッとしたグレーのスウェットを身に着けて現れた鷹宮は、ベッドの上で身構えていた俺と目を合わせると、ホッと落ち着いたように表情を緩めた。
長い黒髪はまるで洗い立ての湿り気を帯びたように
これまで俺が見たことのない彼女のくだけた普段着感は新鮮で、却ってフェニミンな印象を醸していたが、すぐに俺はそんな感慨を抱くどころではなくなった。
「驚かせてすまんな。ようこそ、俺たちの世界へ」
「おっ、俺、たち? 世界って……ええっ⁉」
そこはかとなく漂う周囲のただならなさと、今の鷹宮の一言だけで、俺の頭にはたちどころにある考えが閃いて広がった。が、……いや、……いや、まさかそんな!
「培養槽の中から這い出して目覚めるっていう古典的な演出も考えたんだが、片付けが面倒だし。あと、そんな状態では落ち着いて話せないと思ってな。綺麗にしてここまで運んだ。これでもなるべく21世紀初頭に近いアンティーク調のテーマを揃えたんだぞ?」
そう言って鷹宮は両手を広げてみせる。
な、なるほど? なるほどなるほど。
なるべく俺が驚かないように配慮をしてくれたと?
それはありがたいな!
お陰で落ち着いて話を聞けそうだ。
「ほい」
「──おぅ、オレッ⁉ これ俺っ⁉」
前言撤回。まったく落ち着く間もなかった。
鷹宮が片手を掲げて振ると、その手元に一抱えもある大きさの〈鏡デバイス〉が現れる。
ヒラヒラと重さを感じさせないその平面は、思わずデバイスと呼びたくなるような常識のなさをしていたが、俺がたった今、スペインの闘牛士もかくやという威勢の良い奇声を上げたのは、突然取り出された鏡の奇抜さに驚いたからではなかった。
その中に映る俺らしきオッサンの姿に対しての驚きである。
俺はまるで初めて鏡と対峙したサルか原始人のように、そこに映る鏡像に向かって手を振り、頭を左右に回しなどしつつ、おっかなびっくり目を凝らす。
これは……、確かに、俺であることは間違いないだろうが、そこに映っているのは、これはどう見ても、あのいけ好かない鷹宮道実の姿であった。
「よし、把握したか? じゃあ説明しよう。座れよ」
鷹宮はニヤニヤと笑いながら、これまたいつの間にかそこに現れた一人掛けのソファーに腰を落ち着ける。
その一瞬の動作の中で〈鏡デバイス〉は手元から消えて跡形もない。
「い、いやっ、驚き要素を固めて持ってくるなよ。順番にぃっ! 物事には順序ってもんがあるだろぉ?」
何も
だが、それを受け止める鷹宮があまりに満足げで、嬉しそうな顔をするので俺も毒気を抜かれてしまう。
そうか、これは喜ぶべき結果なのかと、なんとなく納得させられてしまう。そうして自分でも意識しないままに、俺も鷹宮に釣られてベッドの上に腰掛け彼女と向かい合っていた。
彼女……? いや、果たして今の鷹宮を彼女と呼んでよいのだろうか?
いや、そもそもなんで鷹宮の姿なんだ?
ここが俺たちの世界──つまり、鷹宮が元々いた上位世界──だというのなら、鷹宮は国府祐介という男の姿であるはずだろう???
「ここは……、本物の、現実の世界なのか? コンピューターが創り出したシミュレーション世界ではなく?」
部屋の中でほんの少し垣間見ただけではあるが、それでもこれは俺の生まれ育った価値観からすると、常識外れの科学技術に根付いた世界なのだと感じられる。ゴテゴテと押し付けがましくなく、自然とそこにあるように見えることで余計にそんな印象を持つ。
それに……、なんといっても自分自身だ。
紛れもなく自分である入れ物の
「ここがシミュレーション世界でないかどうか……。それは実に哲学的な質問だな。特に、現実と区別が付かないシミュレーション世界を創り出した、今の俺たち世代の人間からすると」
鷹宮がいうのは俺も知っている〈シミュレーション仮説〉のことだろう。それが技術的に可能なことであれば、自分たち自身も、より上位の存在によって生み出されたシミュレーションの中にいることを否定することは難しいという学説。
だがしかし、俺がいま本当に知りたいことは、そんな学究的な問いへの解法ではなかった。
「成功……したんだよな?」
「ああ、このとおり。お陰様でな。ただ、ちょっとトラブルがあって、それでまた、少し手伝ってもらうためにハルキを招待することにしたんだ」
招待なんて……、そんなことが気軽にできるだなんて聞いていなかった。
ていよく騙され、いや、からかわれているんじゃないかという疑いも拭えなかったが、それよりもトラブルという不穏な言葉が引っ掛かる。眉間に皺が寄るのが自分でも分かった。
その気配を察して、言い訳するように鷹宮が慌てて続ける。
「言っとくが、こうなった原因の半分はお前のせいでもあるんだぞ? たぶん……」
「どういうことだ?」
「俺はログアウトして、こっちで首尾よく準備を整えてから才川の野郎が出てくるのを待ち構えていたんだが、待てど暮らせど一向にログアウトしてくる様子がなくってなあ。普通はやらないことなんだが、外から強制的にログアウトさせたら、出てきたのはまったく何も話せない廃人になった才川だったんだ」
「廃人? ……もしかして、俺があっちで道実のアバターに打ったドラッグのせいか?」
「たぶん……」
「ちょっと待てよ。仮想現実に入ったプレイヤーは、中でどんな外傷や疾患を受けても、元の世界に帰れば何の影響も持ち越さないって話じゃなかったか?」
「まあ普通はそう。そのはずなんだが、あのシミュレーターは俺がチューンした特殊な環境だったしなあ。何がどう作用してああなったのかは分からん。もしかしたら、俺が強制リジェクトしたせいかもしれないし」
「あ? だったら俺のせいとは言えないじゃないか」
「いやまあ、そう。だからたぶん半分ぐらいはって言っただろ?」
手を上げて、ヘッヘッヘと悪びれてみせる鷹宮。
まあ、俺にしたところで本気で怒っているわけではないのだ。
いま聞いたばかりの話に真っ当な評価を下せるほど、情報と気持ちの整理が追い付いていない。
「元々ブラックボックスなものを当てずっぽうで
「あぁ……ったくぅ、よくそんな訳の分からんものを分からんまま使おうとするぜ」
「まあ、そんなわけで困った俺は証拠隠滅を図ることにしたんだ」
「証拠隠滅……。いや、正直に説明すればいいんじゃないのか? もともと才川の悪行が原因なんだし。まあ、この世界の警察組織がどういうものか知らねーけど」
「時間を掛けて検証すれば、分かってもらえるかもしれない。けど、その過程でどうやっても人間の生の脳に不可逆の影響を及ぼせる技術の存在が明らかになるだろ? 明らかになるってことは、拡散しちまうってことだ」
「あ、ぁあー……」
そうか。もともと鷹宮は、その技術を拡散させないようにするために、才川に相談を持ち掛けたと言っていたんだった。
世間から洗脳技術を秘匿するために、才川がシミュレーターで廃人になったという事実は(たとえ意図せぬ事故であろうとも)隠蔽したいわけか。
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