第7話 仇討ち / 偵察

 ある日の早朝、アリサは私室でルームメイトのアルマがごそごそ動く音に目を覚ました。

「アルマ……?」

 アリサは目を擦りながら言った。部屋の向かい、アルマのベッドの方を見ると彼女が魔術師の装備である戦闘用のローブに身を包んでそこに居た。

「あ、起こしちゃった? ごめん」

 アルマは振り返ると言った。

「ほら、今日は私の番だから」

 アルマの言葉で思い出した。今日は彼女が「決闘」で戦う日だった。アリサはヒルデグントと一緒に応援に行く話をしていた。

 アリサはベッドから飛び出た。連日の鍛錬で常に疲れていて寝坊してしまったらしい。アルマは慌てた様子のアリサをくすくすと笑う。

「大丈夫だよ。まだ時間はあるから、ゆっくり来て」

 とっくに準備を済ませていたアルマは、アリサを尻目に部屋を出た。

 アリサは急いで顔を洗い、制服に着替えると部屋を出た。

 訓練場へと行く途中、湖の上に校舎へと架かる渡り通路を通ると、チカコに会った。彼女はこちらを見つけると「おはよう」と微笑を浮かべた。

「おはよう。その人は……」

 アリサはチカコの隣に立っている一人の少女に目を向ける。やや桃色がかかった白髪に切れ長の目。どうやら同じ神楽の国の人らしい。

「ああ……」

 チカコはアリサの視線を追ってその少女を見る。

「私の友人だ。自己紹介しろ、コトネ」

 すると、少女はチカコに一度会釈をしてから口を開いた。

「コトネ・カイラギです。どうぞ、よしなに」

 コトネと名乗った女子生徒はアリサに向かって深々と頭を下げた。

「アリサ・ブランドードです。よ、よろしくお願いします」

 アリサはギクシャクと慣れないお辞儀をする。

「ははっ、コトネ。その挨拶でも少々硬すぎるようだ」

 チカコははたからおかしそうに笑う。

「……ところで、どこへ行こうとしてるんだ?」

 聞かれてアリサはハッとした顔をする。

「あ! そうだった、友達の『決闘』が始まっちゃう。私、観戦する予定で……」

 コトネは不思議そうな顔をした。

「こんな時間から……ですか?」

「え……?」

 アリサは理解できずに聞き返す。

「まだ七時半です。『決闘』はその日の一番早い組み合わせでも九時からですよ」

 廊下に掛けられた大きな時計を見て、コトネは言った。

「あれ……? でも、友達はもう訓練場に……」

「恐らくですけど、戦いの前に訓練場で準備をしているのではないでしょうか?」

「あっ……」

 言われてみれば、そんな気がしてきた。アリサは恥ずかしそうに頭を掻く。

 その様子にチカコは、ふっと笑う。

「まだ時間があるのなら、一緒に朝食にしないか? ちょうど『湖面の語らい』へ行こうと思っていたところだ」

 食事もまだだったアリサは、カフェテリアで朝食を共にすることにした。

 

「……いよいよ、私たちも目前だな」

 チカコは食後のコーヒーをすすりながら言った。言わずもがな、二人の「決闘」のことだった。

「そ、そうだね」

 テーブルの向かいに座るアリサは急に緊張した面持ちになる。数日後に恐らく死闘を繰り広げるであろう人とこうして穏やかに食事をとりながら話をしているのも妙な気分だった。

「私は、これでも故郷で姫と呼ばれていてな」

 チカコは唐突に言った。

 話の脈絡がつかめないアリサは、目を丸くしてじっとチカコを見つめ返す。

 チカコは笑顔を浮かべ

「今の私からは想像もできないだろう?」

 と自嘲気味に言った。

「公衆の面前で下着を晒しそうになったんですよ? 私は見えないように慌てて姫様の前に立ち塞がったんですから」

 同じテーブルに座るコトネは目を細めると、少し皮肉交じりに言った。

「う~ん、それは姫っぽくないかも、確かに……」

 アリサは苦笑を浮かべながら控えめに言う。

「故国では、私は公務以外で屋敷から出たことも殆どないほど箱入り娘だったのでな。少しばかりここは、居心地が良すぎるのだ……」

 チカコはうわずった声で言うと、照れ隠しにまたカップに口をつける。

「……私は屋敷に籠って公務のために日々、決められた役目を果たしてきた。そんな私が唯一自分の意志で決めたことが、剣の修行を積むことだった」

 チカコは手にしたカップを受け皿にゆっくりと置く。

「剣の修行の面白いところは、その人の戦い方に生き様が色濃く現れるところだと思っている。もしかしたら私は、戦いの中に自分の人生にあるべきものを探しているのかもしれない……」

 言いながら、アリサに視線を向ける。

「あなたは、何のために戦う?」

 アリサはその視線から逃げるように俯いた。

 アリサにとって戦いとは忌避の対象でしかなかった。そんな自分が戦うに値するものなのかと思うと、とても目を合わせられなかった。

 しかし、チカコは優しく微笑みかける。

「……心配するな。戦いには必ずその人なりの『強さ』が表れるものだ。私は、今回の戦いを通して、あなたの事を知りたいと思っている。だから、お互いに悔いの残らないようにしよう、と、そう言いたかったのだ」

 チカコは、コトネと共に席を立ち「それでは」と最後にもう一度アリサに笑いかけてその場を去った。

 アリサはしばらく座ったまま動けずに居た。

 コーヒーをすすってみると、冷めてぬるくなっていた。

 カップを静かに置くと、アリサは両手で頭を抱える。

(ぜ、絶対勝てないよぉぉぉぉ!!!!)

 戦闘技術から精神面に至るまで、勝てる気がしなかった。

 

「アリサ!」

 闘技場へと行くと、ヒルデグントがこちらに手を振っていた。

「どこに居たの? 大丈夫?」

 近づいて来たアリサのどんよりとした空気に、ヒルデグントは尋ねずにはいられなかった。

「あ、ごめん。ちょっと他に用事があって……」

 アリサは、はぐらかしながら視線を闘技場の中央へと向けた。

「あっ……」

 とアリサは声を漏らした。闘技場の中央にアルマが立っている。そして、審判を務めるラディクを隔てて向かい合っているのは……。

 

「まさか、本当にやることになるとはね」

 ルカーシュは肩をすくめた。

 一方のアルマは眼鏡の下の大きな瞳に闘志をたぎらせている。

「私の友達を傷つけたこと、許さないから」

「でも、僕は別にルール違反してないよ? ただ戦って彼女が傷ついただけじゃないかな」

 ルカーシュは声を上げて笑う。

「……弱いから悪いんだよ。それより、自分の心配をしたら? 『強者』の勲章持ちなんだから、少しは楽しませてよね」

 少年の赤い瞳の奥が不気味に光る。

 お互いに手だけを前に構える。

 武器を持たない魔術師同士の戦いである。

「よし、それでは、始め!」

 ラディクの合図と同時にルカーシュの紅の雷光が飛んで戦闘の口火を切る。

 アルマは意表を突かれて少し驚いた顔をしつつも、雷撃をかわした。

 雷撃は闘技場端の壁に当たって雷撃の激しい破裂音がこだまする。上から観戦しているアリサは生唾を吞む。相変わらず凄まじい威力だった。

「詠唱する隙なんてあげないよ!」

 ルカーシュは叫びながら、矢継ぎ早に紅に閃く雷撃を撃ち込んで来る。

 アルマは距離を大きく取り直す。

「やっ!」

 素早く雷撃を撃ち返し、向かって来る雷撃を相殺した。

「へーえ、少しはできるみたいだね」

 ルカーシュは余裕の笑みを浮かべながら、逆の手を上げる。

(構えが、変わった?)

 攻撃を相殺しつつ、出方を伺っていたアルマは少し意外な顔をする。

 ルカーシュは左構えに変わった。

 今度は岩のように大きな氷塊が飛んでくる。

「魔氷晶……!?」

 アルマは大きく横に飛び、地面を転がりつつかわす。氷属性の魔力結晶体である魔氷晶は、非常に高密度で強固な魔力体であるため簡単に相殺することができない。

 

 上から、アリサは心配そうに見ている。

「ヒルデグント、アルマ大丈夫かな……?」

「きっと、大丈夫よ」

 と言いながらもヒルデグントは胸の前に手を組んで心配そうに見守っている。

「複数の魔術が扱えるのか……」

 隣に並んだ誰かが呟いたのが聞こえ、そちらを向く。

 腕を組んで戦況を見守るロマンが立っていた。

「ロマン、いつの間に!?」

「俺だけじゃない」

 ロマンが周囲に視線を動かし、アリサが見回すと多くの生徒たちが集まっていた。

 上位の生徒同士の戦いになるとこうして観戦に来る人数も増えるらしい。全員真剣な眼差しで試合を観戦している。

 アリサは戦闘に視線を戻す。

「複数の魔術を使うのって、難しいはずだよね……?」

「ああ、前に話したが、属性ごとに存在する古代言語の『概念』を習得しなければ魔術は発動できない。それも無詠唱の下級魔術であの威力となると、相当な修練を積んでいるようだな」

 ロマンが話している間にも岩石のような質量を持った氷塊が地面に突き刺さり、闘技場を揺らした。観戦している生徒たちからはどよめきが上がる。

「あれは、お前が先日に使った氷属性の下級魔術だ」

 ロマンは地面に突き刺さり、柱のようになっている魔氷晶を指し示す。

「あれが、私の使ったのと同じ……?」

 この間アリサが初めて使った氷属性の魔術は、握り拳大の尖った魔氷晶を作り出したが、彼の作る魔氷晶は比べ物にならないほど大きい。

「それが練度の違いによって生まれる差だ。同じ下級魔術であっても術者によっては全くの別物になる。説明するよりも体感する方がよりわかりやすいだろう。よく見ておくと良い」

「うん……」

 アリサは魔術の応酬が繰り広げられる闘技場の中を見つめて呆然としている。

 

 アルマはまた一つ迫り来る魔氷晶を飛び退いてかわす。

 かわした先へ雷撃が撃ち込まれ、地面を転がりながらも雷撃を撃ち返して相殺する。

「逃げ回ってるだけかい? 口ほどにもないね!」

「そう見える?」

 ルカーシュの挑発にアルマは余裕そうに笑みを浮かべる。

「ははは、強がりだけは認めてあげるよ」

 ルカーシュは魔術を放っていた左手を返してまた構えを変える。

 アルマの目の前に強い風が渦巻き始める。

「風の魔術……!?」

 アルマは抵抗しようとするが、強く渦巻く風の中に捕えられ、ずるずると引き込まれて行く。

「潰れろ!」

 ルカーシュは左手を振り下ろす。

 天からまた巨大な魔氷晶が、身動きの取れないアルマに向かって放たれた。

「アルマ!」

 アリサとヒルデグントは叫ぶ。

 刹那にルカーシュは勝利を確信し、にやりと口元を歪める。

「雷の殿堂!」

 魔氷晶が迫る刹那にアルマの声が響き渡る。

 アルマを中心として紫電が瞬時に広がり、文字通り宮殿の形を成した。

 魔氷晶はアルマが作り上げた雷の強力な壁に衝突し、眩い光と雷電が立てたジリジリという音と共に弾き返されて崩れ散った。

「上級魔法……!? 詠唱の隙は作らなかった筈なのに……」

 ルカーシュは何が起きたのか理解できずに呆然とする。

「ん? どうしたの?」

 アルマがやけに愛想の良い笑顔で首を傾げる。

「これが、実力の差ってだけでしょ?」

 

「ロマン、確か、上級魔法って詠唱が必要だった、よね……?」

 アリサが不安そうに聞く。

 もちろん頭では必要と分かっている。しかし、どう見てもアルマが詠唱したように見えなかった。

「ああ、していただろう?」

 隣のロマンは不思議そうに首を傾げながらアリサを見る。

「え? してなかったよ?」

「いや、詠唱していたさ。戦いながらな」

「え……!? そんなことってできるの!?」

「通常、高い集中力が必要な詠唱の間、術者は無防備となる。上級の魔術ともなれば、長い詠唱が生じる筈だ。しかし、その隙を戦いながら詠唱することで無くす……。あんな無茶な戦い方ができるのは彼女くらいのものだろう」

 ロマンは目を細め、アルマを睨むようにじっと見つめながら言う。

「それがヴァナヘイム共和国の代表する学生、アルマ・フォルバッハだ」

「あの、アルマが……」

 アリサは戦いに視線を戻す。

 二人が話している間にもルカーシュは三つの属性の魔術をかわるがわる連射し防御を打ち破ろうとしていたが、びくともしなかった。

 

「僕の魔術が、通用しない……?」

 ルカーシュは絶望感を露わにする。

「無駄だよ。どれだけ練度が高くても、下級魔術じゃ私の上位の防御陣は打ち破れない。それに魔力を使いすぎて、あなたの魔術はもう威力が落ち始めてる」

 話しながらアルマは、防御陣の中で人差し指と中指を立てて十字を切りながら詠唱している。

「今のあなたに、私の魔術は止められない」

 アルマは十字を切り終え、ルカーシュを睨んだ。

 周囲を取り巻く目に見えるほどの魔力が眩い雷光へと変貌していき、アルマの身体を中心として渦巻いている。

 アルマは両手を広げ、訴えるように天を仰ぐ

「神雷よ、裁きを!」

 ルカーシュの頭上高くの空間に円形の口が開いた。極雷の訪れをしらせる細い光が空間に開いた口から次々と溢れ出て来る。

「くそっ! いかづちの盾よ……」

 直前、ルカーシュは慌てて始めていた詠唱を終えて防御魔術を発動する。上面を電子の壁で覆ったが、アルマの構える宮殿のような防御魔法に比べると遥かに小さい。

 直後、空間に開いた口から放たれたいかづちは、三叉槍さんさそうのように穂先を分かちながら闘技場の地面に突き刺さった。

 ルカーシュの張った防御は雷の凄まじい衝撃によって一瞬で突き破られ、身体は宙を舞い、闘技場の端に強く打ちつけられた。

 

「……お終いかね」

 地面に付したまま起き上がらないルカーシュを見て、ラディクは勝敗を確信するとアルマが立つ方の腕を掲げる。

「勝者、アルマ・フォルバッハ!」

 勝ちの名乗りと同時に周囲で観戦していた生徒たちのどよめきが渦巻いた。

「格上相手に舐めてかかるとそうなるの。勉強になった?」

 アルマは倒れるルカーシュを見下ろし、少しずれていた眼鏡を掛け直す。

 そして、ふっと息を吐くと表情を緩める。

 

 アルマが闘技場の階段を上がって来る。

 そして、階段の上で待っていたアリサとヒルデグントの元へ戻って来ると満面の笑顔を見せる。

「見た? アリサ、意地悪を成敗して来たよ!」

「アルマ、すごい! こんなに強かったなんて……!」

「えへへ、これでも国を代表して選ばれた生徒だからね!」

 アルマは照れくさそうに頭を掻く。

 そして、アリサの後ろから見ているヒルデグントにも、両手でピースを送る。

 ヒルデグントも、アルマの子供のような笑顔に思わずつられてしまう。

 彼女のこの明るい性格に、ヒルデグントは幾度となく助けられてきた。

 

 ヒルデグントは幼い頃に実の親から引き離され、今のヴァナヘイム共和国の名家、ローデンバルト家へと入った。そして、ヒルデグントは高貴な家柄の子ばかりが集まるアカデミーへと入れられた。

 皆、将来、国政に関わるような学生たちで打算やしがらみばかりの学園生活を、暗澹あんたんたる気持ちで過ごしていた。

 ある時、魔術の研究ばかりしている変わり者とクラスが一緒になった。それが、このアルマである。

 養子に迎えられて以来、忘れていた笑顔を取り戻せたのは、この親友のおかげだった。

 

 日中、生徒同士の「決闘」が行われる闘技場は、夕方には無人となる。闘技場は「決闘」の時以外に使用をしないことが規則として決まっている。

 しかし、訓練場の中から闘技場へと繋がる道には、簡単な柵が置かれて封鎖されているだけでその気になれば簡単に侵入できる。

 

「チカコ様、規則違反ですよ! まずいですって!」

 コトネは柵を勝手にどかして闘技場へ侵入しようとするチカコの肩を慌てて掴んで言う。

「なに、無人なのだから別に構わないだろう」

「使用が禁止されてるから無人なんです!!!」

 必死の説得も虚しくチカコは闘技場へと侵入して行ってしまう。コトネは周囲を見回すが、ひとまず人の気配はない。仕方なく姫君の後を追った。

 チカコは足早に歩いて行き、無人の闘技場の中央で立ち止まった。

「……姫様ぁ、もう戻りましょう」

 無言で立ち尽くすチカコの背中にコトネは言う。

「剣を抜け、コトネ」

 チカコは振り返ると腰の刀を抜いた。

「えっ……?」

「久しぶりに、お前と稽古がしたい。駄目か?」

 チカコは、刀の切先を真っ直ぐコトネへと向けた。

 故国、神楽の国で剣術を趣味でたしなんでいた彼女は、戦闘達人集団である磐石衆ばんじゃくしゅうとよく稽古をしていた。チカコはその磐石衆ばんじゃくしゅうの手練れたちを相手に勝ちをあげるほどの腕前だが、若くしてその磐石衆頭目の一人となったコトネには一度も勝ったことがない。

「『決闘』本戦前に実戦の勘を取り戻しておきたい。相手としてお前以上の適任はないだろう?」

「だから、ここに……?」

「ああ、訓練場では思い切りやり合えないからな」

 見据えるチカコの目が鋭く光っている。どうやら本気らしい。

「思い切り、って……。私が命じられてるのは姫様の護衛なんですから、怪我させるわけには行きません」

「私が、怪我をすると言うのか?」

「うぅ、そうじゃなくって……」

 と言い掛けたところに刀が迫ってくる。

 コトネは反射的に、コートの中に隠し持っていた番の短刀を逆手に抜いた。両手の短刀を交差させてその刃を受け止める。

 交えた刃から火花が散る。

「チカコ様……!?」

「話すよりも、この方が良い」

 チカコは体重を刀身に乗せて圧してくる

「もう……! 知りませんよ!」

 コトネは両手の短刀で受けた刃を側面に払う。

 チカコは後方へ宙返りで跳躍して距離をとった。

 二人は武器を構えたまま対峙する。

 

 それを闘技場の上からこっそり見下ろす影があった。

 レオニートはその光景をほくそ笑みながら見ている。

「これは思いがけない収穫だ」

「レオニート、閉鎖中の闘技場への侵入は規則違反だぞ」

 隣に並ぶロマンが言う。

うるさい。お前の言うあの女子生徒を勝たせたいなら敵の手の内を知らんわけにはいかんだろ」

 二人はアリサの対戦相手であるチカコの手の内を知るため、鍛錬をしている彼女を追ってここに来た。

 そこに本気で戦いを始めてくれたとあれば、確認しない手はない。

 

 チカコは刀に得意の風刃を創出し、刀を縦に一直線に振るって斬撃を飛ばす。

 コトネは風を身にまとい、高く跳躍してかわす。

 チカコはすぐに刀を返して切り上げし、空中のコトネに向かって斬撃を放つ。

 空中のコトネは手にした短刀で飛来した斬撃を横に切り払った。風刃の斬撃は切り裂かれて消える。

「手を抜いているな、コトネ!」

 チカコは叫ぶ。

 コトネは軽々と地面へと着地した。

「当たり前です! 私の任務は姫様を護衛すること。お怪我をさせるわけにはいきません!」

「そうか、ならば」

 チカコは刀を上段に構える。

「風刃剣術奥義、真空斬……。見せてやろう」

 刀の刃に風刃をまとったまま疾走し、コトネに切り掛かる。

 コトネは構えた短刀でそれを受けようとする。

 しかし、チカコの刀の刃がその短刀を切り落とした。

「!?」

 短刀が切れた瞬間には、コトネは素早く後ろに後退していた。

「これは……」

 コトネはチカコに切られた短刀を見る。柄より先はすっぱり切り落とされて、チカコの足元に転がっている。

「これで、やる気が出たか?」

 チカコはコトネを睨んで言う。

 二人の使用する武器は例の如く刃を丸めていて、訓練や身を守るのには使えるが、武器自体に切る能力はない。

(私の刀にも風刃を帯びていたというのにこの切断力……。あの刀に帯びた風刃、相当な魔力胆力が込められている。当たれば……)

 コトネはもう一度、切り落とされた短刀の刃を見る。

「チカコ様、どうして……」

「手を抜かれるのは、心外だ!」

 チカコは地面を蹴り、一気に距離を詰めると刀を振るった。

 紙一重でコトネはその太刀筋から逃れる。顔の横を通り過ぎた切先が、鋭く空気を引き裂きながら通り過ぎて行く。

 頬に生温かい感触がした。皮膚が切れたのかもしれない。

「もらった!」

 チカコが素早く振り抜いた刃を返して、コトネの身体に向けた。

(姫様は……やはり、私を憎んで)

 しかし、コトネの迷いも刹那の裏に消えて行った。

 生涯、戦うために生まれた彼女は、感情と目の前の戦いを切り離す術を知っている。

「……鰄流風術かいらぎりゅうふうじゅつ『つむじ舞踊ぶよう』!」

 コトネが呟くと、チカコの足元から突如旋風が吹き上がった。

 チカコの身体は風にさらわれて空中へと舞い上がる。

「くっ!」

 吹き飛ばされたチカコが目を開いた瞬間には、コトネが旋風に乗り、高速で身体を回転させながら目の前に迫っていた。

 その回転の勢いのまま、コトネは空中でチカコの身体に蹴りを入れる。

 チカコはその蹴りに叩き落とされて地面に転がった。

「くそっ!」

 チカコは地面を転がりながらも受け身を取ってすぐに起き上がった。

 既にコトネは地面の上で短刀を構えて、チカコの次の隙を窺っている。

 無駄な瞬きひとつとして見逃すつもりはない。

「そこまでだ!」

 パンパン、と不意に手を打つ音が聞こえ、男の声がした。

 チカコとコトネはその男の顔を見てぎょっとする。

 レオニート皇太子。

 世界一の大国であるバルド帝国皇帝の嫡男。当然、チカコとコトネは知っている。

「見事な戦いだったが、死人が出そうだったのでな」

 彼は微笑を浮かべたまま言った。

「はっ……こ、これは……!」

 コトネはあたふたしながら手にした短刀を仕舞ってチカコに寄った。

(ほら、チカコ様どーするんですかぁ!? 勝手に闘技場に入ったことが皇太子殿下にバレましたよ!!!)

 コトネは慌てふためいた顔でチカコに耳打ちする。

 チカコはおもむろに膝を地面につくと、ゆっくりと両手を地面につけて頭を下げた。コトネも慌てて隣で膝をついて体を丸める。

「申し訳ございません、皇太子殿下。訓練場では激しい稽古ができないと思い、勝手にこの場所を使わせて頂いておりました。全てはわたくしの一存」

 頭を地面に伏せたまま、チカコは言う。

 帝国と比べ、神楽の国は小さな島が集まった小国であり、国力には天と地ほどのひらきがある。帝国の機嫌次第で神楽の国の情勢が悪くなることも有り得ない話ではない。

 しかし、皇太子は何も言わず、足音だけが近付いて来る。

 二人は身を固めたまま、皇太子の次の言葉を待つ。

「なぜ、謝るのだ?」

 レオニート皇太子は首を傾げた。

「は?」

 チカコとコトネは拍子抜けして顔を上げる。

「今の俺は一介の学生に過ぎない。つまり、勝手に闘技場に入ったという意味では俺も同じだ。このことは互いに他言無用にしよう」

 レオニート皇太子は穏やかな表情で言う。

「それにしても、それが神楽の国のカタナと言うやつか」

 レオニート皇太子は物珍しそうにチカコの腰のあたりにある刀を見ている。

「これは、刃は丸められて切れないようになっているのです。本物の刀ではありません」

 チカコは身体を起こすと、剣を抜いて両手で差し出す。

「そうなのか」

 とレオニートは剣を受け取って刃の上に視線を這わせると、打ち合った場所が刃こぼれしているのが見えた。

(ほう、刃が薄いな)

 とは口に出さない。

「ところでいつまでそうしている?」

 レオニート皇太子は可笑しそうに笑いながら聞く。

 チカコとコトネは、まだ地面に両膝をついてレオニート皇太子を見上げている。

「あ……」

 二人はゆっくりと立ち上がった。

「面白いものを見させてもらった」

 レオニート皇太子は立ち上がったチカコに刀の柄を向けて差し出す。

「……ありがとうございます」

 チカコは恐々と両手で、それを受け取った。

「それではまた」

 レオニート皇太子はまた二人に笑いかけると背を向けてその場を去って行った。

 

「はぁぁぁ……」

 闘技場から出て来たレオニートは深いため息を吐いた。

「どうした?」

 ロマンは不思議そうな顔をする。

「皇太子らしいことをしてしまった」

 レオニートは身体を痒そうにさすった。

「別に構わないだろう、皇太子なのだから」

 ロマンは呆れた顔をする。

 この皇太子は、妙に皇太子らしい振る舞いを嫌っている。

「それより、ロマン」

 とレオニートは例のにやけた策略家の笑顔を見せる。

「勝算は立ったぞ」

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