Story From The Horizon

鳴セ カイ響

第1話 集結する運命

 石畳で舗装された道を、十数台の馬車が列を成して走っている。馬車の車体は漆喰しっくいで黒く滑らかに塗装され、端々には精緻せいちな金細工が施されている。馬車のその壮麗な見た目からして、乗車している人々が只者ではないことが伺い知れる。

 

 今から二百五十年ほど前、剣と魔術で大陸に世界一の巨大国家を築き上げたバルド帝国。その初代皇帝は大陸を統一するという志を遂げたのち、その生涯の最後に、自らの手で後継のエリートを育成する教育機関を創立した。


 帝都士官学校。


 馬車の車列はその場所を目指していた。

 バルド帝国の由緒正しき学舎には、皇帝直々の書状によって、他国で最も優秀と評判の生徒たちが招致される。皇帝陛下の客人として扱われる留学生たちは、一般の生徒たちとは違い、国賓のように丁重な扱いを受ける。

 その証拠に馬車の列を警護するように道の両端に、頭からつま先まで鈍く光る黒色の甲冑に身を包んだ帝国の兵士たちが、等間隔で配置されている。

 

 馬車の最後尾。

 異邦の少女アリサは、馬車の窓から石造りの街並みが流れていくのを眺めながら、屋敷を出た時のことを思い出していた。

 父親は屋敷の前で、アリサの頬に別れのキスをすると言った。

「シエルに会ったら、よろしく伝えてくれ。強い子だが少し危なっかしいところがある。お前がそばに居てやりなさい」


 しかし、アリサはその父の言葉の真意が分からずにいた。 

 姉のシエルは幼少から今に至るまで、まさに理想の子供であった。故国の養成学校では勉学から武術に至るまであらゆる科目で最高との呼び声が高く、常に首席を独占し続けた。

 その実績は海をも超えて、バルド帝国へと聞こえていた。皇帝陛下から帝都士官学校の下部に属する帝都のアカデミーへと特別に招致され、すでに帝国へと単身留学している。

 これだけの実績のあるシエルに一体何の心配があるのか、理解ができなかった。

 

 窓の外を見ながら思案していたアリサの目に、人だかりが映り始めた。士官学校に向かっていくにつれてどんどん人が多くなっていく。

 それが今期入学する帝都士官学校の帝国の生徒たちであることは、その服装から分かった。

 帝都士官学校の制服は軍の礼服をモチーフとし、膝上までの丈の長い上着に男子はズボン、女子はスカート。白と黒を基調とした色合いでデザインされており、これは帝国の厳冬の雪景色をイメージしたものであると言われている。

 

 その制服を着た生徒たちが延々と馬車の進む方へと行列を成していた。

 馬車は歩く生徒たちの視線を浴びながら進んで行く。

 今日は大陸各地から集まった帝国の学生の入寮や学内の見学が行われる。そして、門を通る前に来着した異邦の留学生たちは、帝国の生徒たちの好奇の目に晒される。

 それが恒例となっている。

 

 先頭を走る馬車の車中には、また別の少女、ヒルデグントが窓から外を眺めていた。馬車の屋根には、その車中の者の出身国を示す小さな国旗がはためいている。

 ヴァナヘイム共和国。それが、今は遥か遠くにある彼女の故国である。

 前方に白亜の尖塔が天を衝くかのように四つ伸びているのが見えた。

 皇帝の住む居城である。

 少女は眼前に迫って来るその景色を、まるで不気味なものでも見るかのように眺めていた。

 席の隣には、長年身の回りの世話をしてくれていたエリカという若い女の使用人が静かに座っている。ヒルデグントにとって彼女は、家の中で唯一信頼できる人だった。

 城が目前へと迫り、馬車が停止した。

 馬車の扉が開かれ、ヒルデグントは帝国の地を踏んだ。

 彼女を見ていた周囲の生徒たちからは、思わず嘆息たんそくが漏れた。すらりとした細身でしなやかなたたずまい。艶やかな淡いブラウンの長髪。エメラルドの宝石のように美しい澄んだ瞳。彼女の美貌は故国くにでも一番と言われた。さっそく帝国の地でも生徒たちの視線を釘付けにしたようであった。

 しかし、彼女はその視線を避けるように顔を伏せた。

 後から降りた使用人のエリカは、ヒルデグントの背後に駆け寄ると、手に提げたペンダントをヒルデグントの首へとかけた。

 ヒルデグントは首元に下がったそのペンダントを指先で触れる。

 エリカは最後に背中を覆うヒルデグントの艶やかな髪を、ペンダントのチェーン外へと丁寧に出すと、背後で頭を深々と下げた。

「お気をつけて……いってらっしゃいませ、ヒルデグントお嬢様……」

 涙で声が震えているのが分かった。

「ありがとう」

 ヒルデグントは振り返らずに一言だけ言うと、使用人として最後の仕事を終えたエリカの足音が遠ざかって行く。

 そして、馬車はエリカを乗せて、次の馬車に場所を空けるために旋回して去って行った。

「ヒルデグント!」

 地面に向けて目を伏せたままのヒルデグントに、背後から明るく自分を呼ぶ声が聞こえた。

 振り返ると大きなふちの眼鏡をかけた利発そうな少女、アルマがこちらへと駆けて来る。

 目の前でアルマは立ち止まると、親友のヒルデグントを見上げて子供のように純朴な笑顔を見せる。背の低い彼女は長身のヒルデグントと並んでみると姉妹のようだった。

「それにしても、すごい人だねぇ」

 アルマは門前の広場を見回した。留学生たちを目にしようと滞留たいりゅうしている生徒たちでごった返している。

「ええ……」

 ヒルデグントの視線は、別の方向にある白亜の城へと向かっている。城は目前にあり、その巨大な尖塔が空を見上げるほどに大きく見えた。

 

 後続からはさらに別の国の生徒たちが来着していた。神楽の国、帝国からは遥か南の小国の生徒たちである。

 ある女子生徒は馬車から降り立つと、長い間乗車して固くなった体をほぐすように伸びをした。

 そして、長い黒髪を後ろにひとまとめにする髪留めが緩んでいないか確認する。

 女子生徒は、深く呼吸をして他国の空気を味わった。

 背後から別の女子生徒が現れた。

「チカコ様、これより我々は生徒としてまぎれて護衛させて頂きます」

 と言うと白い頭髪の頭を伏せた。

 しかし、チカコと呼ばれた女子生徒は無言で微笑をたたえたまま、ぼんやりと眼前の賑わいに目を向けている。

 吹き過ぎる風が二人の頬を撫でた。

「……チカコ様?」

 護衛の少女は伏せた顔を少し上げる。

「私たちの国とは、少し風の香りが違うと思わないか?」

 チカコは言った。

「……姫君は呑気なものだ」

 と長い立派な体躯の青年が二人の背後から現れる。

 護衛の少女は、むっと青年に顔を向ける。

大左宮吏おおさのみやつかさ殿、お言葉に気を付けられよ」

「気にするな、コトネ。ここは神楽の国ではない。それに、今は同じ学び舎の生徒だろう?」

 チカコは殺気立つ護衛の少女を宥めた。

 

 続々と到着する異邦の生徒たちを眺める人垣の裏で、気配を消して歩く小柄な女子生徒が居た。

 長い髪を左肩側に束ねて体の前におろしている。くせ毛なのか、束ねられた髪の毛先がうねっている。

 不思議なことに彼女は指定のコートを着用せず、指定のシャツの上に雨天の野外活動用の外套を着ていた。晴天の本日は誰もその外套を着用する者は居ない。

(誰もこっちを振り返るんじゃないわよ……)

 奇妙な服装の女子生徒は低い背丈をさらに丸めて、そろりそろりと人垣の裏を抜けて門の中の庭園へと消えていった。

 

 一方、帝都士官学校の敷地内の庭園では、帝国の出身で先に入寮していた女子生徒が、この学校の職員と思しき男と話をしていた。

 しかし、女子生徒は他の生徒たちが次々と門の方へと向かっていくのを見ると「それでは」と微笑を浮かべて会釈し、男と別れた。

 同じく帝国出身の生徒たちは他国の留学生を一目見ようと門へと向かっていく。

「すごい騒ぎですわね」

 彼女独特のつり目がまた一人、門へと向かって行く生徒を見送った。

 歩きながらその女子生徒ことマリアナは、その情熱的な赤い頭髪の前髪をかき上げ、黒いカチューシャで留め直す。

 髪型を直すことに一瞬気をとられてしまっていた彼女は、目の前の生徒に気が付かずにぶつかってしまった。

 不意に衝撃を受けて尻もちをついてしまう。相手も同じように地面に座り込んでいる。

 体が小さいが制服からして男子生徒らしい。雪のように真っ白な長い髪と深紅の大きな瞳、華奢きゃしゃな顔立ちは少女に間違えられてもおかしくはない。

「ちょっと、アナタ! どこ見て歩いて……」

 立ち上がったマリアナは悪びれもせずに言おうとしたところで、少年の右手が勢いよく伸びて来てシャツの首元を掴んだ。

「っ!?」

「……駄目じゃないか。前を見て歩かなきゃ、危ないだろ?」

 声変わりもしていない耳あたりの優しい声とは裏腹に、少年は瞳に不気味な光を放ちながら、冷笑を浮かべている。

 マリアナは危険を感じて手を剥がそうとするが、固く掴まれていて外れない。

 少年の周りを少年の瞳と同じ紅色の雷電が、音を立ててにわかに取り巻き始める。

「うっ……くっ……! 訓練場以外での魔術の使用は……厳禁ですわよ!」

 掴まれてシャツの襟元が絞まり、苦しそうにマリアナは叫ぶ。


 その時、横からすっと伸びて来た別の手が、少年の手首を掴んだ。

「……入学早々、私のルームメイトに手を出そうなんて良い度胸ね」

 冷淡とした声が聞こえて来る。涼し気な蒼白の双眸そうぼうが少年を睨みつけていた。

 白銀のなびく長髪。頭の周りを囲うような編み込み。その頭の片側に乗った黒い薔薇ばらの髪飾りがやけに目を惹く。

 背は小柄な少年と変わらないほどだが、身体の周囲に満ちる覇気がそれ以上に彼女の存在感を際立たせていた。

「シエルお姉様!」

 マリアナは目を輝かせた。

「大人しくその手を離しなさい。それとも、この私とやり合う? 言っておくけど、素手でもあなたを制圧できるわよ」

 女子生徒はぎりぎりと掴んだ少年の手首を締め上げる。

 少年は目を細めて、その白銀の髪の女子生徒、シエルを横目に睨む。

「……ふーん。ま、いいや」

 とマリアナの胸倉を掴んだ手をゆっくり開いた。

 同時にけたたましい音を立てながら彼を取り巻いていた雷電は鳴りを潜めた。

「僕はルカーシュ・チェルベンカ。もし、僕と戦うことになったら、二人とも血祭りにしてあげるよ。楽しみにしておいて」

 彼は振り返り、口元を歪めて微笑むと、去って行った。

 シエルは、安心したように小さく息を吐いた。

「マリアナ、だいじょ……」

 と言いかけた瞬間にはマリアナの両腕がシエルの身体に絡みついていた。

「お姉様ァァァァァァァァァァァァァ!!!」

「え!? ちょっ……」

「さすがわたくしの敬愛するお姉様ですわ!!! お美しいですわ!!!」

 シエルは困惑した表情で周囲を見回す。この騒ぎを周囲から見ていた生徒たちは、ポカンとした顔でこちらを見ている。

「……と! マリアナ、は、離しなさい!」

 シエルは上擦った声で抱きついているマリアナに言う。

「仰せのままに!」

 シエルが言った次の瞬間には、マリアナは前に手を組み、綺麗な直立姿勢に戻っていた。

「……切り替えが早くて助かるわ」

「お姉様のご命令ですもの」

 マリアナは頬に手を当てがい、照れた顔で言う。

 背筋を伸ばして立ってみると、実はマリアナの方が少し背が高い。因みに二人に血縁関係はない。マリアナが一方的に「お姉様」と呼び慕っている。

「……あ! 私、大事な用事があるのよ。また後でね」

 シエルは何かを思い出したように言う。

「あ、お姉様! わたくしもお伝えしたいことが……」

 マリアナは小走りで行こうとするシエルを呼び止めようとする。

「ごめんなさい! また後にしてちょうだい」

 振り返ったシエルの明るい表情を見てマリアナは引き留め損ねる。普段、勉強や鍛錬に勤しみ、険しい表情ばかりしている彼女がそのような顔を見せることは珍しい。

 よほど楽しみなことなのだろう、と想像してマリアナは微笑みながらその背中を見送った。

 

 帝都士官学校は大陸全土から生徒を募っている。さらには異邦の国からの生徒も迎え入れるため、庭園内に大人数が生活できる立派な寮が用意されている。

 そして、庭園内にはその寮生に向けて施設が多く存在しており、郵送物の保管所もその一つである。

「シエル・ブランドードよ。私宛の手紙が届いていないかしら?」

 庭園内の通りにある小屋のような建物の前に立ち、カウンターの中年の女性に向かって聞いた。

 すぐに女性はシエル宛の手紙を奥から持って来て渡した。

 シエルは受け取りのサインをカウンター上の紙にすると、早足で庭園内にある寮の私室へと戻った。

 私室の一人用の机に座ると、シエルは大事そうに胸に抱えていたその手紙の紐を解き、丁寧に開く。手紙はワインのような朱色の蝋に家の紋章が押されて封印されていた。彼女の生家からの手紙である。

 毎月、決まった時期に届くように父母が送ってくれる。それがシエルの密かな楽しみだった。

 手紙を開くと、父の筆跡が見えた。

 

“親愛なるシエルへ

 

 元気にしているだろうか? 去年の夏に会って以来だな。

 

 お前が帝都へと旅立ってからもう丸三年になる。

 年に数えるほどしか会えなくとも、私がお前のことを考えない日はない。

 娘の成長を近くで見ることが出来ないのは残念だが、時々聞こえてくるお前の活躍を耳にするたび、私と母はお前を娘に持てたことを誇りに思うのだ。

 

 改めて帝都士官学校への入学、おめでとう。

 王城の話題はお前のことで持ちきりだ。

 

 ただ、私から言いたいことは、三年前にお前を見送った時と変わらない。

 お前の正しいと思う事を精一杯やりなさい。何時いつ如何いかなる時でも、お前は私たちの自慢の娘なのだから。

 

 異国の地に一人で大変かとは思うが、身体には気を付けてくれ。

 

 父より、愛を込めて“

 

「お父様……」

 シエルはまぶたに涙を滲ませる。

 先月まで在籍していた帝都のアカデミーで、優秀な帝国の生徒を差し置いて、最初から最後まで成績トップの座に君臨し続けた。

 そして、そのまま世界一と名高い帝都士官学校へと入学した。この実績により、ラヴァンディエ国王は、ブランドード家に一層の信頼を寄せるようになったという。

 一方で、帝国の生徒からはねたそねみを向けられたことは数えきれない。異国でたった一人、血の滲むような努力を続けて来られたのは、父と母が喜んでくれるという一事のためだった。

 この手紙は彼女にとって、今まで与えられたあらゆる名誉よりも尊い。

 

「あら……?」

 シエルは、読んでいた手紙の裏からはらりと落ちた紙片に気が付く。

 見てみると続きがあった。

 

“――追伸

 

 私としたことが、手紙に書きそびれた。驚いたことに妹のアリサが、お前と同じ帝都士官学校の今期入学生に選ばれたようだ。

 

 なんでも急遽決まったとかで、屋敷の使用人が全員、大慌てで準備をしている。

 だが、あの子にとっても素晴らしいチャンスだ。姉妹二人で頑張ってくれ。

 アリサは数日後に屋敷を出る予定だ。もしかすると、この手紙が届くころには……“

 

 シエルは文面に目を通しながら、顔の血の気が引いていくのを感じた。

(なんですって……? あの子が……?)

 突然降って沸いたような話に呆然としていると、背後で部屋のドアが開いた。

 

 「……あら? お姉様、急用はもうよろしいんですの?」

 部屋に戻って来たマリアナは、ぱたりとドアを閉めながら、座っているシエルの背中を見て言う。

「先ほどお伝えしようとしたのですけれど、妹君がもうすぐご到着されるとか。お姉様の妹君ですもの。きっとお姉様に似て……」

「だ、駄目……」

「は……?」

 マリアナはきょとんと見つめる。

「今すぐ迎えに行かないと!!!」

 シエルは慌てて椅子を立つと、マリアナのかたわらを猛然と通り過ぎて行った。

「お姉……様?」

 取り残されたマリアナは開けっぴろげられたドアを呆然と見つめていた。

 

 門前では既に各国りすぐりの留学生たちが次々と来着して一同に会している。

 そして、今、ちょうど最後尾の馬車が到着した。

 群衆がざわめき立つ。ラヴァンディエ王国からはシエル・ブランドードの妹、アリサが入学してくることが噂として広まっていた。

 

 神楽の国、留学生のチカコは馬車の国旗を見た。

「ラヴァンディエ王国の国旗か。帝国に次ぐ大国だな」

「ふん、どんな奴が来るか」

 隣で腕組みをしているアキトは目をギラギラと光らせている。

「あのシエルの妹だ!」と周囲の帝国の生徒たちは口々に囁いている。

 これまでと違った緊張感が門前に静寂をもたらした。

 馬車の扉が開かれ、アリサ・ブランドードは帝国の地へと降り立つ。

 アリサが庭園の方を見ると、門前に居る全ての人間が静まり返り、注目が彼女に集まっていた。

「え!? な、何!?」

 アリサは驚いて、後ずさりする。

 さらに、後ずさりしたときに足が絡まりバランスを崩した。

 アリサの甲高い悲鳴が広場に響き渡り、無様に尻もちをついてしまった。

 緊張感に静まり返っていた生徒たちからどっと笑い声が上がる。


「間に……合わなかったわ……」

 ちょうど庭園前の広場に着いたシエルは、眩暈のするような恥ずかしさに頭を抱えた。

 そのまま落ち込んでいるわけにもいかず、妹の元へと歩き始める。

「ちょっと、退いてちょうだい!」

 シエルは人だかりの中をかき分けてアリサの元へと向かって行く。後ろから追いついて来たマリアナは、シエルに代わって前に立つと人を退かせた。

 

 アリサは一体何が起きているのか分からず呆然と周囲を見回していると、生徒たちの群れが割れて呆れ顔のシエルが現れた。

「アリサ!」

 姉のシエルは足早に歩み寄ると手を差し伸べた。

 

 幼い頃から何度も見た光景だった。

 まだ、シエルと同じ初等学校へ通っていた頃、気の弱いアリサは、意地の悪い他の子供にいじめられていることが良くあった。

 しかし、そうして虐められている場にはいつも決まってシエルが颯爽さっそうと現れて相手との間に割って入った。

 助けに入ったシエルは、手を挙げられることさえあった。しかし、幼くして父親から戦いについて学んでいた彼女は、自分より体格の大きい相手でも返り討ちにし、座り込むアリサに手を差し伸べた。

「どうしてシエルは、いつも助けてくれるの?」

 と聞いたことがあった。

 するとシエルは振り返ってアリサを睨みつけた。

「ブランドード家の娘がいじめられているなんて、噂になったらどうするの?」

 彼女が必死に守っているのは妹ではなく、家の名誉だったらしい。

 

 昔のことを思い出し、シエルの手を見つめたままになっていたアリサを見かねてシエルは身をかがめた。

「何をしているの!? 早く立ちなさい!」

 地面にへたりこんだアリサの手をつかみ、耳元で言う。

「ご、ごめんなさい!」

 アリサは我に返ってシエルの手を借りて立ち上がる。

「アナタたち! 突っ立ってないでお姉様に道をお開けなさい!」

 マリアナが前に立って群がる生徒を散らし、その後ろをシエルはアリサの手を引きながら士官学校の庭園の中へと消えて行った。

 全ての馬車が去り、これでお開きと言わんばかりに広場の生徒や関係者たちがまばらに散らばり始めた。

 

「なんか、不思議な子だったねぇ」

 遠目からそれを見ていたアルマは苦笑しながら、隣のヒルデグントを見上げた。

「ええ……」

 ヒルデグントは気のない返事を返した。

「アルマ、私は他に用事があるから先に行って」

「用事? 入寮の手続き以外に?」

 アルマは小首を傾げ、眼鏡の下の大きな瞳を丸くする。

「時間あるし、私も付き合うよ?」

「いいから、早く行って」

 ヒルデグントの長い腕が伸びて来て、アルマの背中を押す。

 身体を押されたアルマは不思議そうな顔で一度振り返り、

「う、うん。じゃあ、また後でね」

 と言うとそのまま庭園の敷地内へと消えて行く。

 ヒルデグントはその背中を浮かない表情で見送っていた。

「……失礼、あなたがローデンバルト家のご令嬢であらせられるか?」

 帝国軍兵士に急に声を掛けられ、肩が跳ね上がりそうになる。

 思わず、心の拠り所である胸元のペンダントを握りしめていた。

 ヒルデグントは自分を落ち着かせて、ゆっくり振り返ると会釈をした。

「はい、ヒルデグントでございます」

「お話は伺っております。どうぞ、こちらへ」

 兵士は丁寧な口調で言うと帝都士官学校の敷地から離れ、そびえ立つ城の方へ先導し始めた。

 ヒルデグントは陰鬱な面持ちで兵士の後に続いた。

 

 帝都士官学校の敷地の隣に皇帝親族の住まう邸宅がある。

 一人の青年がその邸宅の上階の窓から、遠目に帝都士官学校の庭園門前の様子を見下ろしていた。広場で何かあったようで生徒たちの声がここまで響いて来ていた。

 帝都士官学校にも続々と今期生たちが集まっているようだ。

 濃色こきいろの髪の落ち着いた雰囲気の青年もまた、帝都士官学校の制服に身を包んでいる。首元にスカーフを留める盾型ブローチが光っている。これは、皇族に付き従う兵士に与えられる品である。

 そのブローチでスカーフをしめ直すと

「いよいよ、か……」

 と呟き、自分を育てた師匠との会話を思い出していた。

 

 彼の師であり、父親のような存在の男が、あの士官学校を代表する教師として働いている。

 その男が居る士官学校の教員居住区は学校敷地の端、この切り立った台地の切れ目近くにある。

 皇帝の住まう城や帝都士官学校は帝都の中心に百メートル突き出した台地の上にある。

 台地の上には皇帝側近や地方の有力貴族たちの別邸がひしめき、それらを相手にする商店や一部の市民が住んでいる。 

 その台地の端からの光景は壮観である。

 台地の下には帝都の重厚な石造りの街並みが広がり、その街の向こうにこの大陸の大地を潤す大河の本流が見える。

 そして、そのさらに向こうにはこの大陸の中央に横たわる巨大な山脈が雪化粧をしてこちらを見下ろしている。

 現在のバルド帝国を築いた初代皇帝が台地の上から、その景色を眺め、国を造る夢を語ったことは今も語り継がれている。

 彼の師はここからの眺めが好きで、会うときはいつも二人してその景色をのぞみながら話す。

 

「……紆余曲折うよきょくせつはあったが、とうとうこの時が来たな。ヤツも腹を括ったかね」

 師、ラディク・ポドホルカは景色に目を向けながら感慨深そうに目を細めた。

 かつて、皇帝陛下に従者として仕え、若い頃は世界各地を転々と活躍した人らしい。

 と、青年は聞いている。

 しかし、現在では皇帝のお膝元であるこの地で、帝都士官学校の代表教師を務めつつ、帝国軍の精鋭中の精鋭を集めた「魔神まじん部隊」の訓練指導をすることが主な役割となっている。

 皇帝の彼への信頼は厚く、戦闘技術を教える家庭教師として皇太子とその従者である青年に幼い頃より指導をして来た。

 皇太子と青年にとって彼は、父親代わりであり、同時に戦闘技術を教えこんだ師匠でもある。

 

 青年は斜め後ろから、その大きな背中をじっと見つめている。

「いいか、ロマン」

 ラディクは青年の方へと振り返る。

「歴代皇帝は必ずこの士官学校を出るのが伝統だ。何せ、初代皇帝が創立した由緒正しき学び舎だからな」

 男は目を細めて笑った。彼の目元に刻まれたしわは長い年月を感じさせるが、その眼の輝きは、いささかのかげりも見えない。

「お前の役目は、ヤツ皇太子を無事に卒業させることだ。ただの従者の仕事と思うな。帝国の未来のために己の全てを尽くせ」

 男の力強い眼差しが、青年へと向けられる。

 

 回想を終えると青年ことロマン・スレスキナは窓に背を向ける。

(殿下を、迎えに上がらねば)

 彼は邸宅の廊下を行き、しばらくすると一つの部屋の前で立ち止まった。

 軽く咳払いをし、ドアをノックする。

「殿下、参りましょう」

 しかし、部屋の中の皇太子から返事はない。

「……殿下?」

 再び呼んで耳を傾けるが、返事は一向に聞こえなかった。

 今日のスケジュールは帝都士官学校への訪問と決まっている。居ないはずがない。

(まさか、このに及んでまた迷っておられるのか)

 ロマンはドアの取手を握った。

「殿下、恐れながら、失礼致します」

 ドアを開くと同時にやや冬の気配の残った涼しい風が、頬をかすめて通り抜けていった。

 部屋の奥から吹き込む風にカーテンがなびいている。

 開け広げられた窓を一瞬見つめた後、

「まさか……!」

 とロマンは何かに気が付いたように窓に駆け寄る。

 窓の外へと顔を突き出すと、邸宅を取り囲む垣根の中にゴソゴソと動く影が見えた。現皇帝と同じ深紅の頭髪。そして、ヒスイ色の瞳がこちらを見上げる。

 目が合ったと思うと、皇太子は慌てて垣根をくぐって姿を消す。

「殿下っ……!」

 ロマンが窓枠に片足をかけたその時、

「あ、ロマン! 兄貴はぁ?」

 と突然、場違いに気の抜けた声が聞こえた。

 振り返ると鮮やかなオレンジ色の頭が目に飛び込んで来る。長身の青年がドアの枠に手をかけてこちらを見ていた。

 

 彼のオレンジ色の頭は、幼い頃はブラウンであった。しかし、年を重ねるうちに色素が抜けたらしく、今は目の染みるような鮮やかなオレンジ色となっている。

 ちなみにこれは、今の状況と何の関係もない。

 

 青年の名はオレク・クリシュトフ。皇太子を「兄貴」と呼び慕っているが、血縁関係はない。彼は広大な帝国の西方領土を任される帝国の名家の次男坊である。

 

「……お前の相手をしている暇はない!」

 ロマンは言い終わると同時に窓枠によじ登り、外へと飛び出した。

「なんでぇ、ロマンの奴……」

 一人残されたオレクはつまらなそうに独りごちりながら廊下を引き返して行く。

 すると近くを通りかかった若い女の使用人が目に入った。

「あっ! ねぇ、キミ!」

 と腕を掴んで止める。女の使用人は驚いてまぶたを大きく見開いた。

「うーわ、めっちゃ美人じゃん。見たことないけど新人さん? 後で一緒に……」

 そう言いかけてオレクは首を小さく横に振る。

「……じゃなくて! 兄貴……いや、皇太子殿下はどこ?」

「ほ、本日はお部屋を出ていらっしゃらない筈……ですが……」

 女はうつむき加減に頬を紅潮させながら言った。

「え……」

 オレクは眉をひそめて、開け広げられたままの皇太子の部屋の方を振り返る。

「あー、そういうこと!」

 オレクは何か察したらしく、ポンと手を叩くと、呆気に取られる女を置いて廊下を駆け出す。

「サンキュー! 機会があったら今度一緒に食事でも行こうね!」

 オレクは小走りしながら、後ろで呆然としている女に向かって手を振った。

 

 逃亡した皇太子ことレオニート・バルド・アレクサンドロヴァは、台地の外縁にある地下トンネル通路の入り口へと向かっていた。

 皇帝の住まう城と親族、側近たちの邸宅、そして帝都士官学校の敷地など帝国のまつりごとのあらゆる機能が凝縮されたこの場所は、地上から高さ百メートル以上、面積は約六平方キロメートルの楕円形の台地の中に収まっている。

 このトンネルはかつて地上から荷馬車で資材を台地上の街へと運ぶ通路として活用されていた。

 しかし、魔術応用力学の発展により複数の馬車や貨物を一気に台地上の街へと運べるほどの昇降機が作られた現在ではほぼ不要となり、なかばただの資材置き場と化している。

 トンネルの入り口は地上に突き出し、関係者以外が立ち入らないように鉄柵で入り口一面を塞がれている。そして、柵にある重い鉄扉だけが中に侵入する手段となっている。

 台地外縁を緩やかに地上まで下るこの地下トンネルを抜ければ、時間はかかるものの人目を避けて地上に到達することができる。

 そして、通常は鍵がないと開かないが、内側からは鍵なしで開く。

 実は扉の近くの鉄格子の隙間から手を入れ、長い棒などを使えば扉の内側の取手に手が届くことを知っている者は少ない。そして、取手を叩けば、少し立て付けの悪い鉄扉は自重で開く。

 皇太子は邸宅から近いこの場所に、幼少時代よく忍び入って遊んでいたため知っていた。

 手にした愛用のロッドで扉の取手を叩き、開いた扉から内側に入る。

 鉄扉を閉めると、その音がトンネル内部に反響した。

「殿下、どちらへ行かれるおつもりか」

 レオニート皇太子はぎくりと体を震わせて、声の方に目を向けた。

 積み上げられた石材の影から、ロマンが現れる。

「ちっ、ロマン、貴様、先回りしておったのか……」

「どれだけの時間を共に過ごしたとお思いですか? 殿下のお考えになることはお見通しです。さぁ、戻りましょう」

 ロマンの言葉にレオニート皇太子は俯いた。

「……いいや、戻らぬ」

「今更なにをおっしゃるのです。殿下が帝都士官学校へ入学されることはもう帝国中に知られているのですよ」

「ああ、そうだ! だから、今日を譲れば、もう後戻りはできなくなる!」

 レオニート皇太子はぶら下げた両手の拳をぐっと握りしめる。

「俺は……士官学校で実績を残して皇帝を継ぐ。何もかも皇帝陛下の筋書き通りだろう?」

「そうです。何かご不満が?」

 ロマンは冷静な口調で言う。

 レオニート皇太子は「あるさ」と呟いた。

「……俺は生まれてからずっとそうだ。皇帝陛下が敷いた道の上を、誰かに押されて進んでいるに過ぎない。どんなに恵まれた環境を用意されても自分で道を選ぶこともできぬなら、囚人と変わらぬではないか!」

 レオニート皇太子は吐き捨てるように言って、眼前に立ち塞がるロマンのかたわらを抜けて歩き始める。

「とにかく俺は、戻らぬ。己の道は己で決める」

 レオニート皇太子は薄暗いトンネルの中を進んで行く。

「お待ちください! 殿下が居なければ、誰が未来の帝国を導くのですか!」

 ロマンは振り返ると、その背中に向かって叫ぶ。

「ふん! そんなもの、顔も知らん親戚にでも任せればいい! 継承争いでもなんでも、俺抜きで勝手にやれ!」

 レオニートの背中がトンネル内の闇でぼやけ始める。

 ロマンは奥歯を噛み締めていたが、とうとう意を決したように口を開いた。

「おい止まれ、レオニート! この、出来損ないが!」

 レオニートの足がぴたりと止まったのが見えた。

「……誰が、出来損ないだと?」

 静かな声の中に、怒りが滲んでいる。

 ロマンはまっすぐレオニートがたたずむ薄闇に顔を向ける。

 ここからレオニートの表情は暗くて見えないが、立ち止まっている足は見える。

「確かに俺は、皇帝陛下の恩に報いるためにお前の従者となった。だが、今はめいに従うだけじゃない。信頼できる友に、帝国の未来を継いで欲しい。そして、この国に渦巻く醜い争いをお前に終わらせて欲しい。これは、お前にしか……出来ないことなんだ」

 過去を思い出し、ロマンは顔を歪めた。

「俺は、お前の友としてこの命をかけるつもりだった。それなのに……」

 胸に渦巻くやりきれない思いに一瞬、言葉が詰まる。

「お前は、一人の友の想いにすら背を向けるのか?」

「……」

 立ち止まったまま沈黙するレオニートに、微かに迷うような気配を感じた。

 その時、何者かが棒で扉の取手を叩き、トンネルの鉄扉が開いた。

 大きな音が通路内部に反響する。

 ロマンは驚いて振り返った。

「あ、お〜い、兄貴ぃ! や〜っぱここかぁ」

 場違いな明るい声が聞こえる。鮮やかなオレンジ色の髪が目に染みた。

「ったく、久しぶりに会えるってのに邸宅に行ったら居ないんだもんよ。冷たいねぇ」

 へらへらと笑いながら現れたのは、さっき邸宅でロマンに声を掛けた青年だった。

「オレク……!?」

 ロマンは驚いた顔をする。

 あまりに場違いなのに、タイミングとしては完璧だった。

「……レオニート、訂正する」

 ロマンは思わずふっと笑うと、闇にたたずむレオニートの方へと向き直った。

「ここに二人、お前に消えて欲しくない友が居る。お前がここに残るのに、それ以上の理由が必要なのか?」

 レオニートの大きなため息が、返事の代わりに聞こえる。

 ロマンは説得が上手くいったことを確信し、心の内でほっと胸を撫で下ろした。

 オレクは隣でまたへらへらと笑う。

「あー、やっぱりな! まーた逃げようとしたんだろ? 行くなら俺も連れて……いってぇぇぇぇ!?!?」

 突然、頭頂部に凄まじい衝撃を受けて、オレクは絶叫した。

「てんめー! ロマン! なにしやがんだ、このやろう!!!」

 オレクは頭を両手で押さえて悶絶している。

「……余計なことは、喋らんでいい」

 ロマンの拳から、湯気が上がっていた。

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