穏やかな時間


 ◆◆◆

 

 そして、グラッドがサンゴの街を発つ日がきた。

 ――はずなのだが。


「ありがとなアルサー。お礼に俺でも手伝えることがあったらすぐに手伝うからさ」

「その時は急いでご連絡しますよ」


 不老不死の騎士の姿は、サンゴの街の書庫にあった。

 本来なら今頃はマーメイド達に見送られて、比較的近くにある地上の漁村へと向かっている最中のはず。

 しかし、予想外の事態によって彼は滞在を長引かせることになり――何もしないのも暇を持て余すため、少しばかり書庫にて旅に役立つ知識がないかを探ることにしたのだ。


 今は元の若い女性の姿に戻った海のマジョ様ことアルサーに頼んで、適当に本を見繕ってもらっているところである。


「嵐や海流を乗り越えるための本があったりするかな?」

「幾らなんでもそんな都合の良い本は無いですよ。出発しようとしたタイミングで大嵐が来てしまったのは可哀想ですけどね」


 慰めるような口調のアルサーだが、その口元はおかしそうにくすくすと揺れている。意気揚々と街を出ようとした客人がすぐさま慌てて引き返すハメになったのは、本人には悪いが思い出し笑いできる程に珍しい光景だったのだ。


「旅をしていればこんなアクシデントのひとつやふたつ、珍しいことじゃないさ」

「あら、今までに嵐に足止めをされた経験がおありで?」

「さすがに水中は初めてだけどな」


「実は私もあります。昔の話ですけどね」

「その時はどうなったんだ?」


 顎に指を添えたアルサーが「んー」と思いだすような仕草を取ると、茶目っ気のある反応がかえってきた。


「あなたと同じような目に遭いました」

「なんだそりゃ」

「あまり上等な船に乗っていなかったもので、気がつけば色んな漂着物と共に砂浜で天日干しです。アレは干上がるかと思いましたね」

「そりゃ難儀だったな。助かってよかったよ」

「ええ本当に」


 マジョの体験談を耳にしながら、グラッドはそれとなく彼女の様子を伺っていた。

 理由はわからないが、どうやら調子がイイように見える。言い換えるなら元気そうというべきか。

 少なくとも今の彼女と話して、普通の人間よりも長い長い人生に疲れきってしまったような女性と感じる者はいないだろう。


「気のせいだったら済まんが、何か良い事でもあったか」

「どうしてそう思われるのですか?」

「勘」

「五本の指に入る程度に根拠薄弱ですね」


 ほんのり棘のある言い回しにも聞こえるが、アルサーの口調は重くない。


「ようやくウレイラが切っ掛けを得たようなんです。まだまだ改善しなければなりませんが、自分からもっと魔法を教えて欲しいと頼んできたのは初めてですよ」

「へぇ、今まではどうだったんだ?」

「頼むどころかサボるために逃げ回っていましたね。せっかく才能があるのに勿体ないと思いませんか?」


「才能があろうが無かろうが、どうしたいかは本人次第だな、と」

「それはそうなのですが……せっかくの長所を伸ばしてあげたいと考えるのも親心ではありませんか」

「あまり気にするなって話だよ。大丈夫、アルサーの気持ちは伝わるさ」

「……どこぞの愛しいプリンスが口添えしてくれれば、もっとやる気を出してもらえるやもですね?」


 ちらりと向けられた流し目を、グラッドは本のページに目を落として回避した。

 口添えとまではいかないだろうが既に話はしている。これ以上は部外者が介入しすぎるのも良くない。

 

 ――と、いうのは建前で。

 自分が更にどうこうせずとも、彼女らならば上手くやれる。

 そう思っているだけの話だ。


「午後になったら男達が獲物を捕りに行きます。グラッドさんの槍さばきに興味津々のようなので、捕り物ついでに披露して差し上げては?」

「そんな大層なもんじゃないさ。人手が欲しいなら幾らでも手伝うけどな」

「では、そう伝えておきましょう」


「…………」(←本のページをめくっている)

「…………」(←その様子を近くで見守っている)


「なあ」

「はい」


「あとは放っておいてくれて大丈夫だぞ。アルサーもゆっくりしたいだろ?」

「ですので、元の姿に戻ってこうしてゆったりしていますよ。変身魔法は意外と肩が凝るものなので」


「そうか。あんたがそれでイイならイイんだが……」

「お気になさらず」


 そうは言うものの、気にしないのは無理がある。

 グラッドはしばしの間、マジョの視線を気にかけながら本を読み続けた。


 そうしている内に穏やかな空気のようなものが、書庫の一部屋を漂い始める。ゆったりとした心地よい時間。もし書庫に第三者が居たのであれば、マジョが平凡で普通なな過ごし方をしているのにも関わらず、ココだけが時間の流れが止まってしまっているかのように感じえたかもしれない。

 決して悪いものではなく、気持ちのよい木漏れ日の下にいるような、そんな感覚を。


「グラッド」

「うん?」

「もし、読めない部分やよくわからない箇所があったら頼ってください。力になりますので」

「助かるよ」


 何をするでもなくどこかへ行くわけでもない。

 傍でじっと、本を読み漁るグラッドを眺めているだけ。どこか羨ましさを滲ませる表情で、生徒の成長を見守る先生のように。


 その時間を、アルサーはひとり楽しんでいるようだった。


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